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大阪地方裁判所 昭和47年(ワ)5936号 判決

箕面市桜井一丁目二七―一〇

原告 乙武淑子

〈ほか四四名〉

右原告ら訴訟代理人弁護士 佐々木哲蔵

同 児玉憲夫

同 高野嘉雄

同 稲田堅太郎

同 金子利夫

同 正木孝明

同 高階叙男

同 松本剛

同 藤田剛

同 美並昌雄

同 大沢龍司

同 石川寛俊

同 石丸悌司

同 上野勝

同 黒川勉

同 柴田信夫

同 仲田隆明

同 村田喬

同 藤田勝治

同 山下潔

同 後藤貞人

同 浅野博史

同 井門忠士

同 浦功

同 里見和夫

同 高階貞男

同 西川雅偉

同 畑村悦雄

同 丸山哲男

東京都千代田区霞が関一―一―一

被告 国

右代表者法務大臣 古井喜實

右指定代理人 篠原一幸

〈ほか一六名〉

兵庫県宝塚市美幸町一〇番六六号

被告 日本チバガイギー株式会社

右代表者代表取締役 エッチ・エッチ・クノップ

右訴訟代理人弁護士 赤松悌介

同 井出正光

同 井出正敏

同 笠利進

同 宮武敏夫

同 藤田泰弘

同 広川浩二

同 土屋泰

同 長内健

同 高池勝彦

同 直江孝久

同 加藤豊三

同 黒川辰男

同 玉利誠一

同 渋川孝夫

同 美根晴幸

右訴訟復代理人弁護士 橋本公明

同 早川忠孝

大阪市東区道修町二丁目二七番地

被告 武田薬品工業株式会社

右代表者代表取締役 小西新兵衛

右訴訟代理人弁護士 日野国雄

同 岡本拓

同 木崎良平

同 川本権祐

同 品川澄雄

同 本間崇

同 早崎卓三

同 中島和雄

同 中筋一朗

大阪市東区道修町三丁目二一番地

被告 田辺製薬株式会社

右代表者代表取締役 松原一郎

右訴訟代理人弁護士 石川泰三

同 丁野清春

同 青木康

同 武田隼一

同 美作治夫

同 大矢勝美

同 野村弘

同 榎本昭

同 羽田野宣彦

同 小松英宣

同 吉川彰伍

同 塩川哲穂

同 大久保均

大阪市東区道修町二丁目一九番地の一 山口ビル

被告 保栄薬工株式会社

右代表者代表取締役 西保織之助

右訴訟代理人弁護士 野嶋董

右訴訟復代理人弁護士 森賢昭

同 土居忠昭

大阪市東区伏見町二丁目一七番地

被告 丸石製薬株式会社

右代表者代表取締役 井上哲

東京都中央区日本橋本町四丁目一番地

被告 岩城製薬株式会社

右代表者代表取締役 岩城謙太郎

右両名訴訟代理人弁護士 竹澤喜代治

主文

別紙「認容金額一覧表」記載のとおり、同表記載の原告らに対し、各原告に対応する被告欄記載の被告らは各自、各原告に対応する認容金額欄記載の金員及び右各金員に対する昭和五三年九月一九日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。

原告らの被告らに対するその余の各請求を棄却する。

訴訟費用は、原告らと右一覧表で各原告に対応する被告欄記載の被告らとの間で同被告らの負担とする。

この判決は、一項記載の認容額につき各三分の二の限度で仮に執行することができる。

事実

第一節当事者双方の求めた裁判

第一原告ら

一  別紙「請求金額一覧表」記載の原告らに対し、それぞれ、同表各原告欄に対応する被告らは、各自同表各請求金額欄記載の金員及び右各金員に対する昭和四五年九月七日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。

二  訴訟費用は被告らの負担とする。

三  仮執行宣言。

第二被告ら

一  原告らの請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

三  仮執行免脱宣言

第二節請求原因

第一被告らの地位

一  被告国は、公衆衛生の向上及び増進を図るため、厚生大臣をして薬事行政を担当させているものである。

二  被告日本チバガイギー株式会社(以下「被告チバ」という)、同武田薬品工業株式会社(以下「被告武田」という)、同田辺製薬株式会社(以下「被告田辺」という)、同岩城製薬株式会社(以下「被告岩城」という)、同丸石製薬株式会社(以下「被告丸石」という)、同保栄薬工株式会社(以下「被告保栄」という)はいずれも医薬品の輸入、製造、販売等を目的とする会社である。

第二被告国のキノホルム剤等の製造承認等及び被告会社らのキノホルム剤等の製造、販売等

一  厚生大臣は、

1 昭和二六年三月、第六改正日本薬局方を公布し、これにキノホルムを収載し、

2 次いで昭和三六年四月、第七改正日本薬局方を公布し、これにキノホルムを収載し

昭和四六年四月まで日本薬局方にキノホルムを収載し続け

3 別紙キノホルム剤製造許可等一覧表記載のとおり、被告チバ、同武田、同田辺らのキノホルムを含有する医薬品(以下「本件キノホルム剤」という)の製造又は輸入にかかる許可又は承認申請に対し、それぞれ許可又は承認をし以後昭和四五年九月まで何らの措置もしなかった。

二  昭和二八年以降、

1 被告チバは、別紙キノホルム剤製造許可等一覧表4乃至9記載のキノホルム剤を輸入又は製造し、これを被告武田を通じ販売し、

2 被告武田は、同表4乃至9記載のキノホルム剤を販売し、

3 被告田辺は、同表1乃至3記載のキノホルム剤を製造販売し、又キノホルムを製造し、これを販売し、その一部は他の薬品業者を通じて被告丸石、同岩城、同保栄らに販売され、

4 被告丸石、同岩城、同保栄は、いずれもキノホルムを製造(小分け)し、これを販売した。

第三原告らの罹患及びその病因

一  原告ら又はその被相続人らは、別表二記載のとおり、被告会社らの製造、販売にかかるキノホルム剤又はキノホルムを服用してスモン(亜急性脊髄視神経症Suba-cute Myelo Optico Neuropathy)に罹患した。

二  キノホルムとスモンとの因果関係は次の各事実により明らかである。

1 スモン患者の大多数がスモン発症前にキノホルムを服用している。

2 キノホルム非服用者からはスモンの発症はみられなかったが、キノホルム服用者からは有意のスモン発症率がみられる。

3 キノホルムの服用量とスモンとの間には密接な相関関係がある。

(1) キノホルムの服用量が多いほどスモンの発症率が高くなる。

(2) キノホルムの服用量が多いほど重症度が高くなる。

(3) キノホルムの服用量が多くなるほどスモンの再燃の発生率が高くなる。

4 キノホルムの使用量とスモンの発生数との間に密接な相関関係がある。

(1) わが国におけるキノホルム販売量の年次的推移又は地理的分布とスモン発生数との間には平行する関係が認められる。

(2) 同一地区内のスモンの発生数に特定病院への集積性が認められ、これとキノホルムの使用状況とが平行する事例がある。

(3) 特定病院内のキノホルム使用量の時間的推移とスモンの発生数とが平行する事例がある。

5 厚生省がキノホルムの販売中止の行政措置をとった昭和四五年九月以降スモンの発生が激減した。

6 スモン患者に対するキノホルムの投与が中止された後は、スモンの症状の改善ないしは軽減がみられ、再燃数も減少した事実がある。

7 以上の外、動物実験その他の調査、研究の結果によっても、キノホルムとスモンとの因果関係が明らかである。

(1) スモン患者にしばしばみられる緑舌、緑便はキノホルムと三価鉄とのキレート化合物であり、右緑舌は、大多数においてスモンの初発又は再燃と密接な時間的関連がある。

(2) スモンの病理学的所見の特徴は、中毒症として最もよく説明することができる。

(3) 兎、猿、犬、猫、マウス、ニワトリなどに対し行われたキノホルムの投与実験の結果、スモンの神経症状と同様な所見がえられ、その病理所見は、ヒトのスモンと本質的な差異がないことが明らかにされた。

(4) 放射性標識キノホルムを用いた各種投与実験の結果、キノホルムの体内への吸収、分布、滞留などの事実が証明された。

第四被告会社らの責任

一  注意義務

被告会社らは、医薬品による生命、身体に対する侵害を防止するため、医薬品の輸入、製造、販売を開始するに際し、世界最高水準の医学、薬学その他関連諸科学上の知識と技術を用いて国内外の各種文献等の調査・検討、各種毒性試験・薬理試験等の動物実験及び臨床試験を行い、当該医薬品の安全性を確認すべき義務がある。そして、その安全性に疑念の存する場合は、輸入、製造、販売をしてはならないのである。

又当該医薬品の輸入、製造、販売を開始したのちも、当該医薬品の服用結果について追跡調査をするとともに右同様の調査研究をなすべき義務がある。そして、安全性に疑念が生じたときは、医師及び公衆に警告し、輸入、製造、販売を停止し、販売された医薬品を回収する等の措置をとるべきである。

二  予見可能性

1 医薬品に内在する危険からの予見可能性

医薬品は、人体にとって異物であり、疾病の予防、治療に有効な作用のほか、人体に対する害作用を伴うのが通例であり、人体に対する危険性を内在している。とりわけキノホルムのような化学合成医薬品は、その作用が強力かつ多面的である一方、その作用機序及び作用の全てが解明されているわけではなく、その必然的な結果として予期し得ないような害作用が起り得る危険性を常に有している。即ちキノホルム等化学合成医薬品は、本来的に安全性についての疑念が存在するものであり、被告会社らはキノホルムの人体に対する危険性を予見することができた。

2 キノホルムの開発の歴史等からの予見可能性

キノホルムは、キノリンの持つ殺菌作用、消毒作用のより強化を求めて合成されたもので、キノリンの八位に水酸基を導入して8ハイドロオキシキノリンが合成され、さらにその五位にクロール、七位にヨードを導入したキノリン誘導体であり、外用殺菌・消毒剤として一九〇〇年頃に開発されたものである。

右の如きキノホルムの合成の過程ないしはドラッグデザインからみて、又殺菌剤であるということ自体からみて、キノホルムは開発当時から神経毒性を含む強い毒性を有することが当然考えられていた。そして開発当時既にターフェル、クレッケル、テルングらの各種実験結果や症例によるキノホルムの毒性報告がなされていた。

3 キノホルム及びその類縁化合物の毒性報告からの予見可能性

キノリンや8ハイドロオキシキノリン等キノリン誘導体即ちキノホルムの類縁化合物が毒性を有することは古くから多数の報告により明らかにされており、類似構造・類似活性という薬学上の経験則からキノホルムに毒性が存在することは当然予見された。更にキノホルムの内服が開始された一九三〇年代から一九五三年(昭和二八年)までの間に、デービット、アルマン、アンダーソンらの動物実験の結果や臨床例の報告によりキノホルムが動物やヒトの胃、肝臓、腎臓その他の内臓に障害を起すことが明らかにされており、一九四五年デービットはキノホルムの危険性及び無規制な使用を禁ずる警告をなしていた。

4 キノホルム及びその類縁化合物の神経毒性報告からの予見可能性

昭和二八年以前において、キノリン、8ハイドロオキシキノリン、アミノキノリン等キノホルムの類縁化合物が神経毒性を有することは多数の実験結果、臨床例の報告により明らかにされていた。又キノホルムが神経毒性を有することも、ホーグの組織培養試験、デービットらの動物実験の各結果、グラヴィッツやバロスの臨床例の報告により明らかにされていた。これらによりキノホルムの内服によってヒトにスモン様の神経症状が発症することが明確に示されていた。

又昭和二八年以降も、キノホルムの類縁化合物により神経症状が発現した旨の動物実験の結果や臨床例の報告が多数なされ、キノホルムによりヒトにスモン様神経症状が発症する旨の報告が多数なされていた。

5 キノホルムの体内吸収による危険性からの予見可能性

キノホルムは腸管から体内にかなりよく吸収されるが、このことはキノホルムの内服が開始された一九三〇年代以降一九五三年(昭和二八年)までの間にデービット、ナイト、ハスキンスらの報告により明らかにされていた。

三  被告会社らの義務懈怠

被告会社らは、本件キノホルム剤又はキノホルムの輸入、製造、販売開始時において、前記二記載のとおり化学合成医薬品に内在する危険性により又文献等の調査のみによりキノホルムが人体に対し神経障害を含む害作用を起すことが予見でき、前記一記載の各種試験等その余の注意義務を尽くしておれば右予見は更に容易であったにもかかわらず、文献の調査はおろか何らの注意義務を尽くすことなく本件キノホルム剤及びキノホルムの輸入、製造、販売を開始した過失がある。

又輸入、製造、販売開始後も前記二のとおりキノホルムによる神経障害その他の害作用の報告が年々累積しており、前記予見は更に容易になっていたにもかかわらず、被告会社らは前記義務を尽すことなく本件キノホルム剤及びキノホルムの輸入、製造、販売を継続した過失がある。

第五国の責任

一  注意義務

1 医薬品の本質的危険性に基く条理上の義務

医薬品は、本質的に、人体に対し害作用をおよぼす危険性を内在している。したがって医薬品の安全性の確保は、常に社会的至上命令であり、又その実質的意義は、国民の生命、健康の保持そのものである。

したがって国は、国民の生命、健康という絶体的人類普遍の価値を守るため、国民に対し医薬品の安全性を確保すべき条理上の義務を負っている。

2 薬事法上の義務

憲法は、一三条、二五条で、基本的人権として国民の生命、健康を保持する権利を保障し、一方国に対しては、国民の生命、自由、幸福の追求を最大限に尊重し、公衆衛生の向上及び増進をはかり、右基本的人権を維持し発展させることに努めるべき義務を課している。そして薬事法はこれを具体化し、厚生大臣が医薬品の中から有効で安全な医薬品を選別し、これを日本薬局方等の公定書に収載することにより当該医薬品の安全を保証し、公定書外医薬品については厚生大臣がその安全性を審査し、その輸入、製造、販売につき許可(承認)を与えることにより当該医薬品の安全性を確保することとしている。即ち国は、薬事法に基き、個々の国民に対し、医薬品による害作用を防止すべき義務を負っているものである。

3 注意義務の内容

(1) 薬事法により、公定書に収載された医薬品については、品目ごとの輸入、製造の許可(承認)を受けることなく輸入、製造することができることとされている。したがって厚生大臣は、世界最高水準の医学、薬学その他関連諸科学の知識と技術を用いて、国内外の文献等の調査検討、各種毒性試験・薬理試験等の動物実験及び臨床試験を行い、当該医薬品の安全性を確認すべき義務がある。そしてその安全性について疑念の存する場合には、公定書に収載してはならないのである。

又公定書に収載した後においても、右同様の調査研究をすべき義務があり、安全性に疑念が生じたときは公定書から削除する等の措置をとるべきである。

(2) 厚生大臣は、公定書外医薬品の輸入、製造の許可(承認)をなすに際しては、許可(承認)申請者をして当該医薬品につき、国内外の文献等の調査、検討、各種毒性試験・薬理試験等の動物実験及び臨床試験を実施させる等してその安全性を確認させ、自らも右と同様の調査、研究をしたうえ、申請を審査すべき義務がある。そしてその安全性につき疑念の存するときは許可(承認)をしてはならないものである。

又右許可(承認)後も、各申請者らに対し右同様の調査、研究及び服用結果についての追跡調査、研究を実施させ、自らも右同様の調査研究をすべき義務がある。そしてその安全性につき疑念が生じたときは、直ちに許可(承認)を取消し、当該医薬品の輸入、製造、販売を中止させ、販売された医薬品を回収させる等適切な措置をとるべきである。

二  予見可能性

前記第四の二のとおりである。

三  注意義務の懈怠

厚生大臣は、前記のとおりキノホルムが人体に対し神経障害を含む害作用をおよぼすことが予見できたのに、前記注意義務を怠り、何らの調査研究をすることなくキノホルムを第六改正次いで第七改正の日本薬局方に収載し、被告会社らから本件キノホルム剤の輸入、製造許可(承認)の申請がなされた際、前記注意義務を怠り、審査にあたり被告会社らをして前記の調査研究をさせず、又自らも何らの調査研究もせずにこれを許可(承認)した過失がある。

又厚生大臣は、キノホルムを日本薬局方に収載し本件キノホルム剤の輸入、製造の許可(承認)をした後も、前記注意義務を怠り、服用結果の追跡調査、その他の調査研究をせず何らの措置をとらないまま昭和四五年九月八日まで被告会社らのキノホルム及びキノホルム剤の輸入、製造、販売を放置した過失がある。

第六原告らの損害

原告番号第一一八番の一、二の原告らの被相続人坂口コトエ、同番号第一二七番の一乃至六の原告らの被相続人久保木ハツ、同番号一四七番の一乃至四の原告らの被相続人南村宗一及びその余の原告らは、スモンに罹患したことにより、別表二記載のとおりの死亡の事実、現在の症状、過去の病状経過、逸失利益、家庭破壊の事情等を総合して請求金額一覧表慰藉料欄各記載の金額(但し右被相続人らは当該相続人請求額の合計額)に相当する財産上、精神上の損害を蒙り、又本件訴の提起を余儀なくされ、同一覧表弁護士費用欄各記載の金額に相当する損害を蒙った。

右原告番号該当の原告らは、別表二記載のとおり、各被相続人の死亡により死亡の日に相続により法定相続分にしたがい損害賠償請求権を承継した。

第七時効の主張に対する答弁

被告チバの時効の主張は争う。

第八結語

よって原告らは、民法七〇九条、国家賠償法一条一項により、請求金額一覧表の各原告欄に対応する被告らに対し、同表請求金額欄記載の金員及び右各金員に対する不法行為の日の後である昭和四五年九月七日から支払済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

第三節被告チバの答弁、主張

第一被告らの地位及び行為について

請求原因第一、第二は認める。

第二スモンの罹患及び病因について

一  請求原因第三の一は知らない、同二は否認する。

二  次の各事実によりキノホルムとスモンとの因果関係は認められず、スモンは、農薬の大量使用によって食品中に残留するに至った農薬の中毒であるか、その他日本特有の要因によるものと考えられる。

1 スモン調査研究協議会(以下「スモン協」という)その他のキノホルム服用調査は、スモンの必発症状である前駆腹部症状の発現時を無視し、神経症状発現時を基準とする等その方法、分析に欠陥があるが、それらによってもスモン患者の中にキノホルムを服用していない者が多数存在することが明らかにされている。

2 外国においては、キノホルムが永年販売され繁用されているが、スモン患者は存在しない。

3 日本においても、戦前からキノホルムが販売使用されていたにもかかわらず、昭和三〇年代以前にはスモンは発生していない。

4 スモン患者の発生は、キノホルム販売中止措置前の昭和四四年後半からすでに減少の傾向にあり、また例年スモン患者は六、七、八月の夏場にかけて集中的に発生していたが、昭和四五年は右中止措置前の六、七月から減少している。

5 キノホルム販売中止措置後もスモン患者の発生が皆無となったわけではなく、発生はしている。

6 キノホルムとスモンとの間には量と反応の原則が認められず、特にキノホルムの服用継続中にスモンの症状が改善された例が悪化した例よりも圧倒的に多い。

7 スイス国チバガイギー社(以下「スイス・チバ社」という)やその他の動物実験、臨床試験によっても、経口投与されたキノホルムは腸管から体内に吸収されるが、神経組織に対して特別な親和性を示すことなく、三、四日でほぼ完全に体外に排泄され、体内に蓄積することはない。

8 スイス・チバ社やその他の動物による長期慢性毒性実験によるも、神経障害等スモン様の症状は現われていない。原告らが主張するスモン協その他の動物実験は、漸増法、大量投与による実験であり、慢性毒性試験の方法としては適切でなく、又その結果の分析解釈にも問題があり、右実験による実験動物の病変は、異物を大量投与したことによる作用である。

三  類似疾患との鑑別の困難性

スモンの臨床像のとらえ方については医学界において混乱があり、又スモンに類似する疾患が多数存在することからスモンと類似疾患との鑑別は非常に困難な作業である。そのことからスモンと診断された患者の中にもスモンでない者が多数存在する。

第三被告チバの責任について

一  請求原因第四は否認する。

二  注意義務等について

1 医薬品の有用性について

医薬品は本来的に副作用を伴うものであるから、医薬品の有用性は、有効性と安全性との比較衡量の問題であり、副作用が有効性を否定する程度のものかどうかを比較検討したうえで判断しなければならないものである。したがって安全確認義務も、具体的には各医薬品毎にその薬効、治験例との関連において考慮されるべきものである。

2 動物実験義務等の不存在

医薬品の安全性は最終的にはヒトにおける臨床例により確認されるべきものであり、ヒトにおける臨床例が集積された場合その情報こそが安全性の直接的な最良の資料であり、いかなる動物実験にも優るものである。キノホルムは新薬でなく昭和九年以来世界各国においてさしたる副作用もなく繁用されてきた医薬品であり、多数の安全性についての報告が集積していた。したがって被告チバが本件キノホルム剤の輸入、製造、販売を開始するに際しては動物実験等をする義務はなかった。

三  予見可能性について

1 予見可能性を肯定するには、何らかの有害性、危惧感又は不安感について予見可能性があれば充分であるとするならば、いかなる医薬品も何らかの副作用の可能性をもっているのであるから、常に結果について予見可能性があることとなり、無過失責任を課するのと同様となり、又それは医薬品の本質を無視したものであって是認しえない。予見可能性の対象は何らかの危険という程度では足りず、具体的な危険でなければならず、本件において予見を要求されるのは、スモンそのものか仮にそうでないとしてもスモンに特有な末梢神経症状でなければならない。

2(一) 医薬品特に化学合成医薬品が何らかの副作用を伴うとのことから、キノホルムがスモン或いはスモン特有の末梢神経症状を引き起こすことを予見できたとはいえない。

(二) 経口投与されたキノホルムが体内に吸収されるからといって、そのことから直ちに人体に害作用をおよぼすおそれがあるとのことを意味するものではない。

(三) 物質の化学構造が類似しているからといってその作用も類似しているものではなく、化学構造のわずかな違いによりその作用に大きな差異が生ずることもある。薬物の作用は官能基によって影響されることが多い。したがって類縁化合物の副作用からキノホルムの副作用を予見することはできない。

(四) 薬物に対する反応は種によって夫々異なり、ある薬物がある種の動物にとって危険性があることが示されたからといって、その薬物がヒトに同種の危険性を示すとは限らない。したがって動物実験の結果から人に対する副作用を予見することはできない。

(五) キノホルムについていくつかの副作用報告があるが、一、二の神経症状を疑わせる報告を除いては、軽度な一般の医薬品についてと同様のありふれたものであり、報告者自身もそれらは軽度なものとして重視せず、結論としてキノホルムの有効性と安全性を強調している。又これら軽度な副作用報告からスモン或いはスモン特有の末梢神経症状を予見することはできない。一、二の神経症状を疑わせる報告もそれらはスモンと臨床像が異り、又少数のきわめて特異な孤立した床例であり、キノホルムが長年世界各国でみるべき副作用もなく使用されてきた事実に照らせば、これを一般化しキノホルムに神経毒性があるとの疑いをいだかせる余地はなかった。

(六) 医薬品の安全性は終局的にはヒトにおける臨床例によって確認されることとなるところ、キノホルムは約四〇年間世界各国で繁用されてきたし、その間有効性と安全性とを確認する多数の床例報告が集積していたから、スモンあるいはスモン特有の末梢神経症状を予見することはできなかった。

四  注意義務懈怠について

被告チバは、スイス・チバ社の全額出資による子会社であり、スイス・チバ社からキノホルム剤の製品や原料を輸入し、日本において製造、販売していたもので、スイス・チバ社による厳重な品質管理が行われているものである。キノホルムは外用薬として開発されたが、一九三〇年頃に多くの動物実験や臨床試験等により抗アメーバー剤としてその有効性と安全性が確認され、スイス・チバ社は一九三四年(昭和九年)内服薬としてキノホルム剤の製造、販売を開始した。スイス・チバ社は、右製造、販売の開始に先立ち各文献を検討すると共に、世界的に著名なカリフォルニヤ大学医学部薬理学研究室のリーク教授、同助手アンダーソン、デービット、コッホらに調査研究を委嘱し、その結果に対する学界の検討をえてその安全性と有効性の確認を行い、又販売開始後は、同社自身において毒性試験を行い、デービットらに対する継続的調査研究やその他の著名な学者や研究機関に対する調査研究を委嘱し、その安全性の確認を行う等し、各時代における可能な最善の方法により安全確認義務をつくした。このように被告チバは、親会社であるスイス・チバ社を通じて十分な安全確認措置をとっていた。

第四原告らの損害について

請求原因第六は争う。

第五時効

原告らは当初遅延損害金の起算日を本件訴状が被告に送達された日の翌日(原告番号一四番から五三番までの間にある原告については昭和四八年二月五日、原告番号五四番から一五一番までの間にある原告については昭和四九年四月二五日、原告番号一五二番から二〇七番までの間にある原告については昭和五〇年五月八日)としていたが、昭和五三年五月二三日付、同日の本件口頭弁論期日において陳述した訴の変更申立書によりその起算日を昭和四五年九月七日として請求を拡張した。しかし原告らは右昭和五三年五月二三日より三年以上も前から本件の加害者が誰であるかを知っていた。したがって右各訴状送達の日の翌日以前に発生した遅延損害金は時効により消滅している。

第四節被告武田の答弁、主張

第一被告らの地位及び行為について

請求原因第一、第二は認める。

第二スモンの罹患及び病因について

一  請求原因第三の一は知らない、同二は否認する。

二  被告チバの答弁第二の二1乃至8の事実により、キノホルムとスモンとの因果関係は認められない。

第三被告武田の責任について

一  請求原因第四は否認する。

二  販売者である被告武田の注意義務

医薬品の安全確認義務は、医薬品の開発から生産に至る領域及び生産工程を支配している製造業者が負うべき義務であり、このような領域に関与せず単に製品の流通領域の一部にたずさわる販売業者には右注意義務はない。このことは、薬事法が医薬品の製造業者と販売業者との間にその取扱いにつき大きな差異をもうけていることからも明らかである。

被告武田は、被告チバが製造し完全包装した最終製品である本件キノホルム剤を同被告から預り、これを卸店に配給し、被告チバから一定の手数料の支払を受けていた中間販売者である。

したがって被告武田には、原告ら主張のような注意義務はない。

三  その他の注意義務等について

1 医薬品の有用性について

被告チバの答弁第三の二1のとおりである。

2 動物実験義務等の不存在

キノホルムは、昭和一四年に第五改正日本薬局方追補に収載されて以来、第六改正、第七改正の日本薬局方に引続き収載されていたところ、局方に収載されることは、最高の科学水準により品質、性状が公認され、安全性が実証されたことを意味する。又キノホルムは永年にわたり世界各国においてみるべき副作用もなく広く繁用されてきた。このようなキノホルムを主成分とするキノホルム剤の販売に際し、動物実験やその他の試験をする必要はなくその義務もなかった。

3 文献の調査義務

世界各国で発行される医薬品に関する文献を全て入手することは不可能である。

四  予見可能性について

被告チバの答弁第三の三のとおりである。

五  注意義務懈怠について

1 被告武田は、キノホルム剤の販売開始前より引続き、入手可能な限りの文献を調査、検討し、キノホルムにみるべき副作用がないことを確認してきた。したがって被告武田には注意義務懈怠はない。

2 被告チバは、スイス・チバ社の全額出資による子会社であり、スイス・チバ社からキノホルム原末を輸入してキノホルム剤を製造していた。スイス・チバ社は世界有数の医薬品会社で、生産コストの三分の一を研究開発費に投じている良心的企業である。被告武田が、このような企業が開発し製造した製品に信頼を寄せたのは、当然のことであり過失はない。

第四原告らの損害について

請求原因第六は争う。

第五節被告田辺の答弁、主張

第一被告らの地位について

請求原因第一は認める。

第二被告らの行為について

請求原因第二の一及び被告田辺が原告ら主張の本件キノホルム剤を製造販売したことは認めるが、キノホルムを製造し又それを被告丸石、同岩城、同保栄らが入手したことは否認する。

第三スモンの罹患及び病因について

一  請求原因第三の一は知らない、同二は否認する。

二  被告チバの答弁第二の二1乃至8記載の事実により、キノホルムとスモンとの因果関係は存在しない。

スモンは井上ウイルスにより発症し、増悪したものである。

1 井上ウイルスの存在及びその病原性は、京都大学ウイルス研究所の井上幸重助教授、西部陽子、中村良子ら三名のグループによる実験でコッホの四原則を満たしたことにより実証された。

2 北里大学西村千昭教授、大阪市環境科学研究所木村輝男研究員らによっても、それぞれ井上ウイルスが分離され、井上ウイルスによる実験動物でのスモン様症状の発症が確認されている。又スモン協の多ケ谷勇、永田育也、桜田教夫らの各追試実験によっても、発症率が高くはないが井上ウイルスによる実験動物でのスモン様症状の発症が確認されている。

3 井上らによって、電子顕微鏡による井上ウイルスの写真撮影がなされ、その他性状の確認がなされている。

4 スモンが、一定の地域で一定の時期に多発し、又同一家族、同一職場内で複数の者に発症したが、このことはウイルス感染を示すものであり、先に指摘したキノホルム説の欠陥はウイルス説によって合理的に説明することができ、井上ウイルス説によりスモンの病因を一元的に説明することができる。

第四被告田辺の責任について

一  請求原因第四は否認する。

二1  日本薬局方は、薬事法の規定に基づき、医薬品の性状および品質の適正化をはかる目的をもって厚生大臣が公示した医薬品の規格書であり、その時々の科学的水準にもとづいて有効性と安全性とを比較衡量した結果、通常の使用方法において有用と認められた医薬品を収載し、その性状および品質を定めている。したがって局方に収載されることにより、その医薬品の有効性と安全性は公認される。それ故局方に収載された医薬品については、薬事法上その製造許可(承認)を受ける必要がないものとされている。

したがって国は、局方に沿って医薬品を製造する者に対し、安全確認義務を免除又は大巾に軽減しているものというべきである。

キノホルムは局方に収載された医薬品であり、被告田辺は国の保証に依存して本件キノホルム剤を製造、販売したのであるから責任はない。

2 医薬品に関する情報源は、国内国外を通じて膨大な数である。したがって医薬品に関する情報が掲載されている雑誌等文献の全てを入手し、これをつぶさに検討することは不可能である。

3 医薬品の安全性は、窮極のところ、人に対し広く使用されることにより確認されるものである。キノホルムは日本においては昭和四年頃から内服薬として使用が開始され、又世界各国においてもさしたる副作用もなく繁用されてきた。そして被告田辺が本件キノホルム剤の製造を開始した昭和三一年当時、世界各国の医学界においてキノホルムは有効でみるべき副作用のない安全な医薬品であるとの評価が定着していた。又その後においてもみるべき副作用もなく繁用されてきた。したがって被告田辺には、キノホルム剤の製造を開始するに際し又その後においても、動物実験や臨床試験等をすべき義務はなかった。

三  予見可能性について

1 医薬品は本質的に副作用を伴うものであり、その副作用もその種類は多様である。そして医薬品の有用性は、個々の具体的な効果と副作用との比較衡量の上に決定されるのである。したがって予見可能性の対象も、何らかの副作用の可能性という抽象的なものではなく、具体的な副作用の可能性でなければならず、本件においてはスモン又はスモンに連らなる重大な神経障害でなければならない。

2(一) 外用の消毒薬を内用に使用し、それが体内に吸収されるからといって、それが危険であり、危険性を予見できたとはいえない。即ち外用、内用ともに使用されている抗菌剤、又当初外用に用いられたが後に内用に用いられるようになった抗菌剤は多数にのぼっている。又キノホルムが当初外用薬であったことは単なる経緯にすぎず、被告田辺がキノホルム剤の製造を始める相当以前から内用薬として繁用されていた。

(二) その他は被告チバの答弁第三の三、2のとおりである。

四  注意義務懈怠について

1 被告田辺が本件キノホルム剤の製造、販売を開始した昭和三一年当時、キノホルムは局方に収載されその有効性と安全性は公認されていたし、それまでの間国内外を通じみるべき副作用のない医薬品として繁用され、副作用のない安全な医薬品であるとの評価が定着していた。又その有効性と安全性を確認する多数の文献が集積していた。被告田辺は、これら文献を検討して安全性の確認を行ったものである。

2 スモンがキノホルムの長期大量投与によるものとすれば、それは能書の記載を越えて異常に長期、大量に投与されたことによるものであり、一定の用法を記載して販売した被告田辺の責任ではない。

第五原告らの損害について

請求原因第六は争う。

第六節被告保栄の答弁、主張

第一被告らの地位について

請求原因第一は認める。

第二被告らの行為について

請求原因第二の一の1、2及び被告保栄がキノホルムを製造したことは認める。

但し被告保栄は、キノホルム自体を製造したものではなく、他からキノホルムを購入しこれを五〇〇グラムの罐入、二五グラムの瓶入の二種類に小分けして販売したものである。

第三スモンの罹患及び病因について

一  請求原因第三の一のうち、原告倉田くにが被告保栄が販売したキノホルムを服用してスモンに罹患し又はその症状が増悪したとの主張は、否認する。

原告の主張によれば、原告倉田のスモンの発病は昭和四二年五月二三日であり、原告申請の証拠によれば原告倉田は小田医院でキノホルムを投与されたというのである。しかし小田医院が被告保栄のキノホルムを購入したのは昭和四三年一月以降であるから、原告倉田が発病までの間に投与されたとするキノホルムは被告保栄の製品ではない。又昭和四三年一月以降に原告倉田の症状が増悪した事実もない。

二  請求原因第三の二は否認する。

被告チバの答弁第二の二の1、4のとおりの事実により、キノホルムとスモンとの間に因果関係はない。

第四被告保栄の責任について

一  請求原因第四は否認する。

二1  被告保栄は、キノホルム自体を製造したものではなく、これを他から購入し小分けして販売したものであるから責任はない。

2 被告保栄は薬品製造業者としては極めて小規模な企業であり、大手薬品会社のように自己の専用販売ルートや巨額の広告、宣伝費を用いて売上を図っているものではなく、又会社独自の研究開発や大規模な追試を行う能力もない。そのためキノホルムのような国が安全な医薬品として保証し、局方等の公定書に収載した医薬品を取扱っているものである。したがって被告保栄は大手企業と同様な責任を負うものではない。

3 キノホルムは、日本薬局方に収載され、局方では副作用のきわめて少い医薬品とされている。局方に収載された医薬品は、国によってその有効性と安全性が確認され保証されている。被告保栄は局方の記載を信頼してキノホルムを製造(小分け)販売したのであるから、過失はない。

4 キノホルムは永年みるべき副作用もなく世界各国で繁用されてきたものであり、したがってスモンを予見することは不可能である。

5 被告保栄は、キノホルムの製造(小分け)販売開始前及びその後も内外の文献を調査し研究してきたが、それらにはみるべき毒性又は副作用の報告はなかった。したがって被告保栄には注意義務違反はない。

6 被告保栄の販売したキノホルムは医療機関を通じて使用されているものである。スモンがキノホルムによるとしても、それは用法、用量の誤りに起因するものであり、したがって被告保栄に責任はない。

第五原告らの損害について

請求原因第六は争う。

第七節被告岩城、同丸石の答弁、主張

第一被告らの地位について

請求原因第一は認める。

第二被告らの行為について

請求原因第二の一の1、2及び被告岩城、同丸石がキノホルムを製造販売したことは認める。

但し被告岩城、同丸石は、キノホルム自体を製造したものではなく、他からキノホルムを購入し、これを医家向に二五グラム、五〇〇グラム、五キログラムの三種類に小分け包装して、これを販売したものである。

第三スモンの罹患及び病因について

請求原因第三の一は知らない、同二は否認する。

被告チバの答弁第二の二の1、2、3等の事実により、キノホルムとスモンとの間に因果関係はない。

第四被告丸石、同岩城の責任について

一  請求原因第四は否認する

二1  医薬品は、薬効を有する反面副作用を伴うものである。そのため国は、薬事行政を行うについて薬事法を制定し、医薬品の製造許可、承認等厳格な規制を行い、又医薬品の性状及び品質の適正をはかるため日本薬局方を定め、これを公示している。そして日本薬局方に収載された医薬品は、国によってその有効性と安全性が確認され保証されているものである。

被告丸石は昭和三二年一一月二日、同岩城は昭和二九年七月一九日、それぞれ厚生大臣からキノホルムの製造(小分け)について登録承認を受け、その承認基準を守り、局方収載のキノホルムを製造(小分け)し販売したものであり、薬事法に違反したものではない。したがって同被告らには過失はない。

2 被告丸石、同岩城は、キノホルム自体を製造したものではなく、これを他から購入し、小分けして販売したものであるから責任はない。

3 又被告丸石、同岩城は、大手薬品会社のように自己の専用販売ルートを通じ、巨額の広告、宣伝費を用いて宣伝して売上を図っているものではなく、医師や病院向けの卸業者からの注文により販売しているものであるから、大手薬品会社と同様の責任はない。

4 被告丸石、同岩城が販売したキノホルムは、医療機関を通じて使用されている。そしてその使用にあたって、用法、用量等の判断は医師の責任において行われるものである。したがって右両被告らに責任はない。

第五原告らの損害について

請求原因第六は争う。

第八節被告国の答弁、主張

第一被告らの地位について

請求原因第一は認める。

第二被告らの行為について

請求原因第二の一は認め、同二は知らない。

第三スモン罹患及び病因について

請求原因第三は知らない。

第四責任について

一  請求原因第五は否認する。

二  薬事法と国の責任

薬事法の立法趣旨及びその目的は、薬事法制創設以来現行薬事法に至るまで一貫して、いかに医薬品の性状及び品質を確保し、これに違反した不良医薬品を取締るかにあった。そして薬事法は医薬品の製造許可(承認)にあたっての審査基準、審査手続及び審査機関並びに追跡調査制度及び許可(承認)の撤回等の規定を欠き、医薬品の安全性確保のための積極的な具体的規定がないことから、国に対し、積極的な安全保証活動を法的に義務付けているものとはいえない。換言すれば、薬事法は、適正な医薬品の供給を通じて公衆衛生の向上及び増進を図るという公益の保護を目的としており、副作用のない医薬品の供給を受け得るという特定の個人の利益の保護を目的としたものではない。

そうだとすれば、薬事行政における厚生大臣の権限は、医薬品製造業者に対する関係については、右公益目的達成のために製造業者の営業の自由を規制するものとして意義ずけられる。そして、この権限行使の結果、国民のうちの特定の個人も少なからず利益を享受することにはなるが、それは右規制による反射的利益に過ぎず、法律上の利益ではない。

したがって、医薬品の副作用により被害を受けたとする特定の個人が、厚生大臣の義務違反を理由として国に対し損害賠償を請求することは、その法的根拠を欠いているものといわねばならない。

三  自由裁量性

1 厚生大臣の行う医薬品の製造許可(承認)は、当該医薬品の有する有効性と安全性との比較衡量、社会的必要性その他の事情を考慮し専門的、技術的見地から合理的に判断して行われる、いわゆる自由裁量行為である。したがって裁量に逸脱又は濫用がないかぎり右許可(承認)を違法とすることはできないところ、本件においては裁量に逸脱又は濫用はないから国には損害賠償責任はない。

2 又一般に行政権限の行使は、当該行政権限を付与された公務員の専門的技術的見地に立った合理的判断に基づく自由裁量にゆだねられており、法令上行政権限の行使が義務づけられていないかぎり、当該公務員はその権限を行使すべき義務はない。ところで旧及び現行薬事法並びにその他の法令にも、厚生大臣に許可(承認)後において医薬品の副作用による被害を回避するための措置をとるよう義務づけた規定は存在しない。したがって厚生大臣には、右の措置をとるべき法律上の義務はなく、これらの措置をとるか否かは、専門的技術的見地に立った厚生大臣の合理的判断に基く自由裁量にゆだねられている。

四  注意義務について

1 注意義務の程度

薬事法は、本来、不良医薬品の取締を目的とした取締規定である。そして厚生大臣は、薬事法の規定に基づき、チェック機関として後見的立場から医薬品にかかわり合いを持つにすぎない。したがって製薬会社や医師の注意義務に比べおのずから限界があり、注意義務は軽減される。

2 動物実験義務等の不存在

医薬品の作用は種によって異り、又臨床試験も、おのずからその回数に制約があり、医薬品の作用が条件により異ること等一定の限界があることから、医薬品の安全性については、永年の繁用という事実に勝るデータはない。キノホルムは永年にわたる繁用の実績があったから、動物実験や臨床試験を改めて行う義務はない。

又医薬品は、開発される過程において研究者や製造業者らによって動物実験その他の実験が繰り返えされ、これらは外部からの学問的評価を経ているから、国が改めて動物実験をする必要はなくその義務もない。

3 文献等の調査義務について

医薬品に関する研究発表、論文、報告等は世界各国において様々の言語により随時行われており、これら文献は膨大なものであり、これらを全て入手し検討することは一般的に不可能である。特に国の場合は、企業と異り特定の調査目的がないまま外国の医薬文献を詳細に調査評価することは、その必要もなく不可能でもあり、その義務はない。

五  予見可能性について

1 医薬品は本来、副作用を伴うものである。したがって何らかの副作用なり危険があれば予見可能性があるとするのは、医薬品の本質を無視したもので不当な主張である。

2 経口投与されたキノホルムが体内に吸収されるとしても、六日乃至九日の間にその殆んどが排泄され体内に蓄積しない。したがって体内に吸収されることをもって直ちに危険性を予測することは不可能である。

3 化学物質は、置換基がわずかに変わるだけで生体におよぼす作用が異る場合が多い。したがって化学構造が類似しているというだけでその毒性や薬理作用を推測し得るものではない。

4 人と動物との種差のため、医薬品の動物に対する毒性、薬理作用がそのまま人にあてはまるものではない。したがって動物実験の結果から直ちに医薬品の人に対する毒性を予見することはできない。

5 キノホルムについていくつかの副作用報告があるが、それらの報告はいずれもキノホルムの有効性を強調し、有用性を確認するものである。そしてそこで挙げられている副作用の多くは、通常医薬品にみられる一般的な軽度の副作用であり、このような副作用からスモンを予見することは不可能である。

6 医薬品の安全性は窮極的には人に対する使用実績により確認されるものであるところ、キノホルムは永年世界各国においてみるべき副作用もなく繁用されてきた実績がある。そしてその有効性を否定するような副作用報告はなく、有効性と安全性を確認する多数の文献が集積していた。又世界各国において薬局方等の公定書に収載され、何ら規制もされていなかった。同時にキノホルムが安全で有効な医薬品であるということは世界の医学、薬学界における常識であった。このような事実からキノホルムの危険性を予測することはとうてい不可能である。

六  注意義務懈怠について

1 日本薬局方収載について

我が国においては、キノホルムは昭和一四年に初めて日本薬局方に収載され、その後第六改正、第七改正の各日本薬局方に収載された。ところでキノホルムは昭和九年以来内服薬として繁用され、多くの有効性、安全性を確認する文献が集積していた。さらに厚生大臣は、局方への収載にあたって、その時代における我が国の医学、薬学等の最高の科学的水準にある学識経験者の英知を集めた機関である薬事審議会(旧薬事法)又は中央薬事審議会の審議を経たが、右審議会においてキノホルムの安全性を疑問視する意見はなかった。そこで右審議会の意見に基づきキノホルムを局方に収載したものである。したがって局方収載にあたって厚生大臣には何らの過失はない。

2 許可、承認について

本件キノホルム剤は、メキサホルム散を除いては、キノホルムを有効成分とし、それに若干の添加物を加えたものであり、キノホルムについては前記のとおりの審査を経て局方に収載され、永年繁用されていたことから使用経験、承認前例等を参考に審査し、メキサホルム散はキノホルムとエントベックスの配合剤であったため、前記の中央薬事審議会における検討を経てその意見にしたがい、それぞれ許可、承認がなされたもので、厚生大臣には何らの注意義務懈怠はない。

七  違法性等について

1 患者の治療に当る医師は、疾病に対する的確な診断に基き、医薬品の効能、効果を見ながら妥当な投薬をすべき義務を負っている。したがって医薬品の安全性の確保は医師のかかる専門家としての注意がなければ期待し得ないものである。そうすれば被告国の責任の存否については、このような医師の行為が介在していることを考慮に入れなければならない。

そして仮にスモンがキノホルムによって発症したものとするならば、それはキノホルムの過剰投与が原因であり、被告国には責任はない。

2 許可(承認)後において厚生大臣がとる種々の行政措置は、明文上の根拠を持たない、いわゆる行政指導に該当する。したがってそれには強制力はなく、医薬品製造販売業者の任意の協力によってはじめて実効を挙げ得るものである。

そうすれば、厚生大臣が行政権限を行使したならば医薬品製造販売業者がそれに従ったであろうという関係がない限り、権限不行使と原告らの損害との間に因果関係はないものといわねばならないところ、本件においては右のような関係は存在しなかった。

3 行政権限の不行使が違法であるというためには、単に行政庁が被害の発生を放置しただけでは足りず、被害の発生に加功、加担あるいは寄与したことが必要であるところ、本件においては右のような事実はない。

第五原告らの損害について

損害原因第六は争う。

理由

第一章認定に用いた書証の成立関係等についての説明《省略》

第二章スモン及びキノホルム

第一節スモン問題の沿革

《証拠省略》を総合すれば、次の事実が認められる。

一  初期の報告と疾患の確立

昭和三〇年(一九五五年)頃から、下痢、腹痛等が先行し、下肢の知覚異常、筋力の低下等を起す従来みられなかった神経病が発生し始め、昭和三七、八年頃から飛躍的に増大し、同四四年(一九六九年)には、年間の発生数が最高に達した。そして特に、釧路、山形、大牟田、徳島、津、井原、湯原等における集団発生が注目を引いた。

一方学会においても、昭和三三年(一九五八年)に楠井賢造(和歌山県立医科大学教授)らによる一例、同三四年に菅田政夫(東北大学医学部)らによる三例、同三五年に清野祐彦(山形県立山形病院)らによる一二例、高崎浩(三重県立医科大学教授)らによる二例等の報告がなされ、その後も同様の疾患の報告、発表が相次いでなされた。

このようななかで昭和三九年(一九六四年)五月、第六一回内科学会総会(会頭前川孫二郎京都大学医学部教授)においてこの問題が取り上げられ、楠井の司会のもとに「非特異性脳脊髄炎症」との主題でシンポジュウムが開かれ、臨床症状の特徴、病理像がほぼ明らかとなった。右シンポジュウムにおいて、豊倉康夫、椿忠雄、塚越広(以上当時東京大学医学部)らがSubacute Myelo-Optico-Neuropathy(亜急性脊髄・視・神経症)の病名を提唱し、その頭文字をとってSMON(スモン)との名称が多用されるようになった。

次いで翌四〇年(一九六五年)の第六回日本神経学会総会においても、本症に関する多数の報告、研究発表及び論議がなされ、又前川による特別講演が行なわれた。

そしてこれら学会における討議等を通じて本症を独立の疾患単位として取扱うとの意見が確立していった。

二  病因論と研究体制

スモンの病因については、細菌あるいはウイルス等による感染説、腸内細菌毒素説、アレルギー説、ビタミン欠乏等の代謝障害説、農薬、重金属等による中毒説等が考えられ、多発地域の報告者は感染説に、散発地域の報告者は非感染説に立つ傾向にあり、又病理学的立場からは、本症が非炎症性であることから感染症としては説明し難いとし、中毒説あるいは代謝障害説が唱えられていた。

このように原因不明の難病として社会的にも注目を集めるようになり、昭和三九年(一九六四年)厚生省科学研究助成金により前川を班長とする「腹部症状を伴う脳脊髄炎症の疫学的及び病原研究」班(以下、前川班という)が発足し、スモンについての調査研究がなされたが、さしたる成果が得られず、昭和四二年研究費が打切られたことから解散した。

しかし、その後もスモンの発生が続き昭和四一年以降岡山県の井原地区、湯原地区に集団的に多発したことから、厚生省は昭和四四年(一九六九年)三月厚生科学特別研究費を投じてスモン研究班を発足させ、次いで科学技術庁が特別研究促進調整費をスモンの研究にあてることとなり、右スモン研究班は発展的に解消され、同年九月二日スモン調査研究協議会(以下、スモン協という)が発足し、スモンの調査研究にあたることとなった。スモン協は甲野礼作(国立予防衛生研究所ウイルス中央検査部長)を会長とし、当初疫学、病理、病原、臨床の四班が置かれていたが、昭和四六年以降は疫学、治療予後、病理、キノホルム、保健社会学、微生物の六部会に編成替がなされ、医学、薬学等関連各分野の研究者が多数参加し、調査研究が行われた。そしてスモンが特定疾患に指定されたことから、昭和四七年(一九七二年)度より、スモン協は特定疾患調査研究スモン班(以下、スモン班という)として再出発した。

三  緑色物質の研究

スモン患者に緑色の舌苔がしばしば見られることは臨床医や研究者らにより気付かれており、かつ昭和四一年以降、高崎、豊倉、石山功(石山病院)、島田宣浩(岡山大学医学部第一内科助教授)、椿らによって報告され、高崎は、ときには糞便が緑色を呈する旨報告していた。豊倉、井形昭弘(当時東京大学医学部、現鹿児島大学医学部教授)、高須俊昭(東京大学医学部)らはこれに着目して調査研究し、昭和四五年(一九七〇年)二月七日の第三二回日本神経学会関東地方会において「スモン患者にみられる緑毛舌について」と題し、スモン患者の緑舌は緑色調をおびた舌毛からなり緑の色調はスモンに特異的であるという印象が強く、緑舌はスモンにかなり一般的な現象といってよいと考えられ、緑舌は大多数例において急性腹部症状、神経症状の初発または再燃を伴って発現しており、スモンの病因と何らかの関連をもつ可能性が強く示唆される旨の研究発表を行い、又その頃、スモン患者に緑黒便がみられこれが神経症状、腹部症状と密接な関連がある旨報告した。

井形らは、右緑色物質の分析にあたったが難行し、昭和四五年(一九七〇年)三月頃から田村善蔵(東京大学薬学部教授)らも緑色物質の分析を始めた。そして同年五月井形らが緑色尿を排泄する二例のスモン患者が存在することを発見し、田村らがこの緑色尿を分析した結果、尿中の緑色物質がキノホルムの三化鉄キレート化合物であることが判明し、田村らは同年六月三〇日のスモン協総会において右分析の結果を発表した。又その頃狐塚寛(科学警察研究所)、井形らは、スモン患者の緑色舌苔に多量のヨウ素が含まれていることを発見し、これがキノホルム中に含まれるヨウ素であると推定した。次いで田村、今成登志男(東京大学薬学部)らは、ガスクロマトグラフィによりスモン患者の緑色舌苔中にキノホルムが存在することを確認した。

四  椿によるキノホルム説の提唱

前記田村の分析結果を知った椿(当時新潟大学医学部教授に転出)は、キノホルムがスモンの原因ではないかとの仮説を立て、新潟県下を中心に疫学調査を行った。その過程でスモン患者の大多数が神経症状発症前にキノホルムを服用していること、神経症状の発現時期とキノホルムの服用時期とに密接な関連があること、キノホルムの使用量の多い病院でスモン患者が多いこと、服用量と重症度とにある程度の関連があることをつきとめ、昭和四五年(一九七〇年)八月六日、スモンの発生とキノホルムの服用との間に関連がある旨の発表をし、その旨新潟県を通じて厚生省に報告した。そして椿は疫学調査を進めたうえ、同年九月五日の日本神経学会関東地方会において右調査結果にもとずき、スモンの発生とキノホルム剤の服用とは関連がある旨の発表を行った。

五  キノホルム剤販売中止の行政措置

厚生省は、椿の報告を重視し、椿から資料の提供を受け、又同年八月二七日、甲野らを招いて会合を開き、次いで同年九月二日、スモン協から甲野、椿ら七名、中央薬事審議会から石館守三会長のほか医薬品安全対策特別部会の五名、副作用調査部会の六名、厚生省薬務局長ら関係者が出席してキノホルムに関する打合会を開き検討した。その結果同月四日厚生大臣が中央薬事審議会に諮問し、これを受けて同月七日同審議会が開催され、甲野、椿、豊倉らが参考人として意見を述べた。そして同審議会は同日厚生大臣宛に次の内容の答申をした。

「本病(スモン)発生に対してキノホルムがなんらかの要因になっている可能性を否定できないので、事態がさらに明確になるまで当分の間左記の措置をとることが適当であると考える。

(1) キノホルムおよびキノホルムを含有する製剤の販売を中止させるとともに、これらの使用を見合せるよう警告すること。

(2) 他の8・ヒドロキシキノリンのハロゲン誘導体についても同じ扱いをすること。

(3) 腸性末端皮膚炎等医療上本剤を使用することが特にやむを得ない場合については、別途考慮すること。」

右答申に基き、厚生省は同月八日各都道府県知事宛に左記内容の「キノホルムを含有する医薬品の取扱いについて」と題する薬務局長通知を発し、キノホルムの販売中止措置を行った(以下、行政措置という)。

「中央薬事審議会の答申に基き、標記医薬品については、今後左記のとおり取り扱うこととしたので、ご了知のうえ指導に遺憾なきを期されたい。

(1) キノホルム及びプロキシキノリン並びにこれらを含有する医薬品の販売を当分の間中止させること。

(2) キノホルム及びプロキシキノリン並びにこれらを含有する医薬品であって、既に販売されているものについては、その使用を見合わせるよう広く一般に周知を図ること。

(3) 腸性末端皮膚炎等医療上これらの医薬品を使用することが特にやむを得ない場合の措置については、おって通知すること。

(4) キノホルム及びプロキシキノリン並びにこれらを含有する医薬品の製造(輸入)は、今後当分の間承認及び許可しないこと。」

六  スモン協およびスモン班の総括等

1 それ以後、スモン協においては、スモン患者のキノホルム服用調査を二回にわたって行い、後記第三章第一節第二認定のとおりの結果を得、スモン協班員らによる疫学調査等も行われ、又各種動物を使ってのキノホルムの毒性試験や体内分布に関する実験その他の研究、調査がなされた。その結果次第にキノホルム説が有力となっていった。

2 そしてこれらの調査や研究の結果に基づき、スモン協は、昭和四七年(一九七二年)三月一三日の総会において研究総括として会長甲野による「以上述べた(各研究結果による)疫学的事実ならびに実験的根拠から、スモンと診断された患者の大多数は、キノホルム剤の服用によって神経障害を起したものと判断される」旨の発表をした。

3 次いで昭和四八年(一九七三年)三月一三日のスモン班総会において、甲野班長から、昭和四七年度スモン班の研究の総括報告として「新患者発生の届出は昭和四七年は六月大阪府よりの一名に止った。このことはキノホルム発売停止措置がいかに有効であったか、換言すれば、スモンの病因はキノホルムをおいては考え得ないことを示すデーターであり、キノホルム病因説は確定されたとみてよいと思おれる。」との報告がなされた。

4 その後昭和四九年(一九七四年)三月一三日のスモン班総会において、甲野班長から、昭和四八年度スモン班の研究の総括報告として「その後の疫学的事実および研究成績から昭和四七年三月一三日スモン協総会における総括に背馳する事実は認められず、キノホルム原因説はより一層強固なものとなった。」旨の報告がなされた。

5 さらにまた昭和五〇年(一九七五年)三月二一、二二日のスモン班総会において、重松逸造(国立公衆衛生院疫学部長)班長から、昭和四九年度スモン班の研究の総括報告として「昭和四六年度に報告されたスモンとキノホルムの因果関係については、昭和四九年度の研究(動物実験、新発生患者サーベイランスなど)で決定的となった」旨の報告がなされた。

6 他方、その間、スモン班は、昭和四七年九月二四日の総会において、井上ウイルスの追試はほぼ終了したが一定の結果は得られず、これ以上実験の数を増加しても意味はないと判断し、今後特別の新らしい所見が得られるまで腸内細菌の研究以外の微生物学的研究は凍結する旨を決定した。そして前記昭和四八年三月一三日のスモン班総会における総括報告で「キノホルム説とのバランスにおいてはウイルス説はもはや殆んど問題にならないものと結論されるに至った」旨報告された。

第二節スモンの病像

一  臨床像

《証拠省略》によれば次の事実が認められる。

スモンの臨床症状は、一般に、下痢、腹痛等の腹部症状に続いて急性又は亜急性に神経症状が発生する。神経症状は、下肢末端にしびれ等の異常知覚が現われ、次第に上向し、臍附近にまで及ぶことがあり、これら知覚障害は左右対称性(両側性)で下肢末端に行くほど強い。又多くの場合下肢の筋力低下等を伴い、歩行困難ないしは歩行不能に陥いる。又視力障害を伴うこともあり、重症例では失明に至ることもある。

ところで、臨床症状については、従来椿、高崎、祖父江逸郎(名古屋大学医学部教授)その他によりそれぞれ診断基準や臨床的特徴が発表されていたが、それらは基本的部分については一致していたものの、細部については多少の差がみられた。そのため統一した臨床診断指針が求められ、スモン協は、楠井が立案準備委員長となって検討し、昭和四五年五月八日、左記のとおりの「スモンの臨床診断指針」を設定した。右診断指針は、診断基準ではなく、正確な診断をするためのガイダンス(指針)であり、従来発表されていた診断基準や臨床的特徴を基に最もスモンらしき病像を描き出し、その病像に沿って作成されたものである。したがってスモンの臨床像は診断指針によるのが的確である。

必発症状

(1) 腹部症状(腹痛、下痢など)・おおむね、神経症状に先立って起こる。

(2) 神経症状

a 急性または亜急牲に発現する。

b 知覚障害が前景に立つ。両側性で、下半身、ことに下肢末端につよく、上界は不鮮明である。とくに、異常知覚(ものがついている、しめつけられる、ジンジンする、其他)を伴ない、これをもって初発することが多い。

参考条項(必発症状と併わせて、診断上きわめて大切である)

(1) 下肢の深部知覚障害を呈することが多い。

(2) 運動障害

a 下肢の筋力低下がよく見られる。

b 錐体路徴候(下肢腱反射の亢進、Babinski現象など)を呈することが多い。

(3) 上肢に軽度の知覚・運動障害を起こすことがある。

(4) 次の諸症状を伴なうことがある。

a 両側性視力障害

b 脳症状、精神症状

c 縁色舌苔、緑便

d 膀胱・直腸障害

(5) 経過はおおむね遷延し、再燃することがある。

(6) 血液像、髄液所見に著明な変化がない。

(7) 小児には稀である。

《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。

神経症状発現前にみられる腹部症状については、安藤一也(名古屋大学医学部)、祖父江、井形らの研究により、神経症状の発現に先行して慢性的又は急性に現われる腹部症状と神経症状に時間的に密着して現われる特異的な前駆腹部症状とに分けられる。そして前者はキノホルム剤投与の原因となった慢性の胃腸疾患、食中毒等非特異的な一般の胃腸障害であり、後者の前駆腹部症状はキノホルム服用の結果発現するスモンに特徴的な腹部症状で、その症状は、主に激しい腹痛、便秘、腹部膨満感、嘔吐、食思不振で更にはイレウス様症状をきたす場合も多いとされている。そしてこの前駆腹部症状は、自律神経の障害によるものと考えられている。

二  病理像

1 スモン協における白木の報告

《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。

昭和四七年三月一三日のスモン協の総会において、白木博次(東京大学医学部教授)は、全国の病理学者により集められた剖検例につき、スモン協に属する病理学者らによる共同討議の場においてほとんど異議なく確認されたスモンの病理所見を要約すれば、次のとおりである旨の報告をしている。

(1) 神経系をのぞく臓器や組織における病変、とくに腸、肝、腎、内外両分泌腺などには、各例により多少の差はあるが、それなりの病変をみいだすことができる。しかしそれらは、後述の神経系にみられる強烈かつ恒常性の病変に対比できるほどのものではない。

したがってすくなくとも現段階では、スモンの病理学的診断の本質は、神経病理学に求めざるをえない。

(2)(イ) 一般的所見

スモンは脊髄長索路、つまり知覚性後索路と運動性錐体路、ならびに末梢神経の変性性疾患であり、変性は左右ほぼ対称性で、ニューロンの遠位に強く、系統性(もしくは偽系統性)の性格を明示している。一方、病理組織学的には、神経線維のうち、軸索、髄鞘ともにおかされるが、比較的急性に死亡した例では軸索が髄鞘よりも、より強烈な損傷をうける。

(ロ) 脊髄

後索路のうち、下半身に対応する長索路としての後索病変はスモンの全剖検例に例外なくみいだされ、しかもその遠位に位置する頸髄ゴル(Goll)索に最も著しく、上半身に対応するブルダッハ(Burdach)索の病変はこれを欠くか軽度にすぎない。錐体路病変は、腰髄に最も目立ち、上方にすゝむにつれて軽度となっていくが、後索病変よりも程度が軽く、また頻度も恒常性を欠く。灰白質の神経細胞は、一部を除き脱落、消失することはない。ただし、腰髄を中心に前角細胞の逆行性変化や空胞性病変、また前角の腹内側を中心に軸索腫脹性の類球体を多発する。

(ハ) 末梢神経のうち、脊髄レベルにおける後根神経は恒常的におかされ、その病変は前根よりも強烈である。後根神経節の神経細胞は、前記脊髄前角に比べ、変性や消失の程度と頻度の両面ではるかに目立つものがあり、それらは胸、腰、両脊髄レベルに著しく、頸髄により軽い。より末梢レベルにおける末梢神経系の病変は、一概に表現することは困難であるが、遠位性に著しく、同じ神経束のなかでも、おかされる線維は一見かなり恣意的であり、また非連続性にみえる傾向を指摘できなくはない。

(ニ) 交感性、副交感性神経節ならびに索の病変は、前記のものほど多数例について系統的に検索されていない。しかし一般的にいって後根神経節とその索病変に比べて軽度である。

(3) 以上のものほど恒常的ではないが、以下の所見の存在が証明できれば、スモンの神経病理学的診断は一層確実なものとなる。

(イ) 視神経の両側性かつほぼ同格性の変性がみられ、末梢神経に比べて脱髄的性格が目立つ場合もある。病変は視索のほぼ全長、外膝状体の直前ではそのほぼ全域に、交叉部から遠位部にかけてはその中心部に限局し、乳頭部に近づくにつれて次第にその範囲がせばまるとともに、その腹外側部にかぎられてゆく傾向にある。他方網膜の内神経節細胞層(inner ganglion celllayer)の神経細胞が脱落し、しかもとくに乳頭黄斑部(PaPillomacular region)に著しい例があるが、外膝状体の神経細胞の脱落はみられない。

(ロ) 延髄レベルにおける迷走神経の病変も、その頻度と程度から推し、前記視神経病変に匹敵視できる例があり、とくに比較的臨床経過の短いものに目立つ。しかし延髄の背側迷走神経核には著変をみない。

(ハ) 大脳から脳幹にかけては、前記諸領域に比肩できる所見をみいだすことは困難である。

(4) 以下の所見は、スモンの本質的プロセスとおよそ無関係のものとは思われないという意味で列挙しておく必要がある。

(イ) 延髄オリーブ核の病変がかなりの数にみいだされ、それは、神経細胞の大空胞変性、軸索突起の異常増生、その脱落、星状グリア細胞の異常な肥大と増殖、またグリオーゼなどである。

(ロ) 脳幹網様体の錐細胞の中央染色質融解(Central chromatolysis)、黒質と淡蒼球また小脳白質の星状グリア細胞核の異常増加がみられる場合があり、一例ではアンモン角ソーマ扇状部の神経細胞が、両側性かつ高度に脱落し、グリア細胞の異常な増加がみられた。

(5) 以上を総合し、既知の神経疾患群の神経病理学のなかで位置づけを行ってゆくと、スモンは、病巣の分布と局在性の諸特性からみれば、脊髄長索路と脳神経根をふくむ末梢神経系の系統性(もしくは偽系統性)変性症であり、その細胞病理学的特徴を加味すると、その病因は病理学上、中毒性もしくは代謝障害性と考えられる既知の神経疾患群のカテゴリー中に組入れることができる。

2 スモンの病理組織学的診断基準案

《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。

スモン協病理部会は、全国からスモンの容疑例および参考例を含む一五〇例の剖検例を蒐集し、そのうち各部会員による鏡検の結果スモンと判定された一一四例を基に、次のとおりの「スモンの病理組織学的診断基準(案)」をまとめ、昭和四七年三月一三日のスモン協総会において、江頭靖之(国立予防衛生研究所病理部長)がこれを報告した。

「SMONは、脊髄長索路および末梢神経の変性疾患である。変性はほゞ対称性で、ニューロンの遠位に強い。

Ⅰ 脊髄:(1)病変はゴル(Goll)束にもっとも強い。(2)錐体路もおかされる。(3)前角細胞の中央染色質融解(central chro-matolysis)が腰髄そのほかに見られることがある。

Ⅱ 末梢神経:(1)末梢神経の病変も下肢遠位部に強い。(2)後根神経の病変は前根神経よりも強い。(3)後根神経節内の神経細胞もおかされることが多い。(4)自律神経にも変性がみられる。

Ⅲ 視神経の変性を伴うことがある。通常は視索と視神経交叉附近がおかされる。

Ⅳ 病変の強い例ではオリーブ核等に変化がみられる。

Ⅴ 大脳、小脳には上記部位にみられるほどの強い変化を認めないのを常とする。」

そして同時に内臓臓器で神経系の変化に匹敵するような特異的な変化は舌の過角化症だけと考えられる旨報告された。

第三節キノホルム

《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。

一  化学構造

キノホルムは、キノリンの八位に水酸基を導入した8ハイドロオキシキノリンの五位に塩素、七位にヨウ素を導入したもので、その分子構造は次のとおりであり、「ヨードクロルオキシキノリン」「ヨードクロルオキシン」「5クロル7ヨード8ハイドロオキシキノリン」等と呼ばれ、又国際的にはクリオキノールと呼ばれている。

二  開発

キノホルムは、一八〇〇年代末ヨードホルムに代る外用防腐剤として開発され、明治三三年(一九〇〇年)、スイス・チバ社の前身であるスイスのバーゼル化学工業会社がヴィオフォルムの商品名で外用防腐創傷剤として製造、販売を始め、大正二年(一九一三年)我が国においても、東京三共株式会社が一手発売元となり発売されるようになった。

三  内用化

昭和四年(一九二九年)梶川静夫(梶川内科医院長)が、ヴィオフォルムが内用薬として腸結核、疫痢等の治療に効果がある旨の報告を発表し、昭和六年(一九三一年)チバ社らの援助により研究にあたっていたH・H・アンダーソン、N・A・デービット、D・Aコッホらがヴィオフォルムがモルモットでの実験で殺バランチュウム作用がある旨の報告を行い、又サルでの実験ではアメーバー赤痢の治療に効果がある旨の報告をし、その後N・A・デービットその他の学者らによりヴィオフォルムが内用薬としてアメーバー症患者の治療に効果がある旨の多数の報告がなされた。

その結果、昭和九年(一九三四年)、スイス・チバ社が、ヴィオフォルムの腸内面における乳化とその分布を容易にするためキノホルムにサパミンを配合した「エンテロヴィオフォルム」を内用薬として製造、発売し、我が国においてもヴィオフォルムと同様に発売された。戦後、スイス・チバ社からキノホルムにエントベックスを配合した「メキサホルム」や被告田辺からキノホルムにカルボキシメチルセルローズ(CMC)を配合した「エマホルム」等のキノホルム剤が製造、発売されている。

第三章因果関係

第一節疫学的研究

第一病因推定のための疫学的手法

一 《証拠省略》によれば、次のとおり認められる。

病因の究明にあたっては、疫学的手法が有力な一つの方法とされている。ところで疫学において疾病の発生原因の研究方法として、記述疫学的方法、分析疫学的方法、実験疫学的方法がある。そして記述疫学的方法、分析疫学的方法によって相関性の高い因子が浮んできた場合、その因子と疾病との間に因果関係があるかどうかを総括的に検討することとなるが、この場合なるべく多くの集団について観察した結果、右因子と健康障害(疾病)との間に少くとも次のような条件の全てが認められる場合には、実験的方法をまたずに、両者の間に因果関係の存在することが高い確率で推定できる。

(1) その因子が健康障害の発現に先行して存在していること

(2) 両者の間に高い関連性があること

(3) 時間的、場所的及び集団の種類別にみても同様の関連性が認められること

(4) そのような関連性が医学的理論とも矛盾しないこと

(5) 量と反応の関係(DoseRe-lationship)があること。

二 そこで以下、キノホルムとスモンとの関連につき順次検討していくこととする。

第二スモン患者のキノホルム剤服用状況

1 スモン協第一回服用調査

《証拠省略》によれば、スモン協は、昭和四五年九月二〇日付でスモン協臨床班員二〇名に対し、スモン患者について神経症状発現前六ヶ月以内及び発現後のキノホルムの服用状況の調査を依頼し、内一八班員からの回答を得た(以下、スモン協第一回服用調査という)。その結果は、調査症例八九〇例中、「薬剤使用状況の不明」一四八例を除いた七四二例のうち、六一〇例(八二・二%)は神経症状発現前六ヶ月以内にキノホルムを服用しており、一一〇例(一四・八%)は右期間内にキノホルムを確実に服用していないこと、又、「薬剤使用状況の不明」一四八例、「キノホルム剤の服用はないらしいが不確実」二二例を除いた七二〇例についてみれば、キノホルムの服用率は八四・七%、非服用率は一五・三%となることが認められる。

2 スモン協第二回服用調査

《証拠省略》によれば、スモン協は、昭和四六年七月一五日付で各都道府県、政令指定都市を通じ全国の医療機関に対し、同年四月一日から昭和四七年三月末日までに医療機関で受診したスモン患者で当該医療機関における初診の者全てについて神経症状発現前六ヶ月以内及び発現後のキノホルムの服用状況の調査を依頼し、回答を得た(以下スモン協第二回服用調査という)。右回答は、全都道府県からは得られず三八道府県にとどまり、調査症例は、スモン患者の都道府県別患者分布に比例しておらず関西の府県に偏在する傾向があるが、重複を除き二四五六例であった。その結果は、調査症例二四五六例中「薬剤使用状況の不明」六一七例を除いた一八三九例のうち一三八一例(七五・一%)は神経症状発現前六ヶ月以内にキノホルムを服用しており、二六九例(一四・六%)は右期間内にキノホルムを確実に服用していないこと、又「薬剤使用状況の不明」六一七例「キノホルムの服用はないらしいが不確実」一八九例を除いた一六五〇例についてみれば、キノホルムの服用率は八三・七%非服用率は一六・三%となることが認められる。

そして《証拠省略》によれば、右調査の解析にあたった山本俊一(東京大学医学部教授)、中江公裕(同大学医学部保健学科疫学教室)らは、右調査結果につき、報告県が三八道府県に及び報告数も多数にのぼったこと、スモンの実態像は各地区の間で大きな相違がみられないことを考慮するとデーター脱落に基づく偏りについてはそれ程重大に考慮する必要はないように思われ、又統計学的にみても処理に耐えうるものであること、スモン協第一回調査の結果と比較してみると両者はほとんど大差ない成績であり、このことは二回にわたる調査結果に対する信頼性を裏書きするものであると思われる旨述べていることが認められる。

3 椿らの調査

《証拠省略》によれば、椿らは昭和四五年七月、新潟県下の六病院、長野県下の一病院でスモンと診断された症例(新潟大学医学部附属病院では調査の終った二五例を対象とし、その他の病院では受診前発症の一五例を除いた)一七一例について調査したところ、そのうち一六六例(九六%)が神経症状発現前にキノホルム剤を服用しており、五例についてはキノホルム剤服用の事実をつかみ得なかった旨報告していることが認められる。

4 伊東らの調査

《証拠省略》によれば、伊東弓多果(釧路市伊東内科医院院長)らは釧路市のスモン多発病院での調査の結果、昭和四〇年に同病院外来患者で発生したスモン患者は八名であり、全員がキノホルム剤を使用していた旨報告していることが認められる。

又《証拠省略》によれば、同人らは昭和三九年から同四三年までの釧路市立病院内科外来患者四〇、七八〇例(内スモン患者二二名)及びそれ以外の釧路のスモン患者でカルテが全て保存されている二五例について調査したところ、調査し得たスモン患者全てがキノホルム剤を服用していた旨報告していることが認められる。

5 豊倉らの調査

《証拠省略》によれば、豊倉らは、昭和四五年九月ころ、東京大学附属病院等で受診中のスモン患者一一八例について調査し、そのうちスモン初発当時の薬剤服用状況を明らかにしえた三五例中三四例が神経症状発現時にキノホルムを服用していた旨報告していることが認められる。

6 三好らの調査

《証拠省略》によれば、三好和夫(徳島大学医学部教授)は、同大学医学部第一内科、第二内科所属の医師が同大学附属病院ないし関連病院において診療したスモン患者約七〇例についてキノホルム服用状況を調査し、調査しえた三〇例のうち、六例はキノホルム服用状況不詳、神経症状発症前に服用しているもの二二例、いないもの二例であったが、この二例も服用を全く否定することはできない旨報告していることが認められる。

7 平木らの調査

《証拠省略》によれば、平木潔(岡山大学医学部教授)は、同大学医学部第二内科に入院したスモン患者四三名について神経症状発現までのキノホルム服用の有無を調査したところ、確実に服用していない者はなく、それに対し服用している者が三三名で、その他不明六名、不確実四名であった旨報告していることが認められる。

8 黒岩らの調査

《証拠省略》によれば、黒岩義五郎(九州大学医学部教授)らは、福岡市南部六校区を対象として、昭和四四年八月以来内科、外科、小児科など二六施設についてカルテ調査、集団検診の方法により調査を行い、昭和四五年一二月現在、二七名のスモン患者を発見したが、そのうち二五名(九三%)が神経症状出現前にキノホルムを服用していた旨報告していること。

又、《証拠省略》によれば、同人らは、福岡市の某病院で発生したスモン患者のうち九州大学医学部神経内科で受診し、追跡調査が可能で詳細な情報がえられた一七例について調査したところ、全例がキノホルムを服用していた旨報告していること

がそれぞれ認められる。

9 越島らの調査

《証拠省略》によれば、越島新三郎(国立東京第一病院神経科)らは、昭和四一年一月から昭和四五年九月上旬までの期間に経験したスモン患者のなかで、神経症状発生前後の服薬状況が確実に把握され、かつ発症当初より同人らが診察する機会をえた五一例を調査したところ、五一例全例においてキノホルム剤の持続的服用を神経症状の発現前に認めた旨報告していることが認められる。

10 杉山らの調査

《証拠省略》によれば、杉山尚(東北大学医学部教授)らは、同人らの教室例、集積発症病院である米沢市立病院、長井市立病院、宮城県黒川病院でのスモン患者一五〇例のうち整理が完了した七五例中、キノホルム剤服用六六例(八八%)、確実に服用せず一例、正確でないが服用せず八例であったが、集計後確実に服用せずの一例は、発症数日前に約一週間にわたりキノホルムを一日量六〇〇ミリグラム含有する家庭薬を服用していたことが判明し、結局六七例(八九・三%)がスモン発症前に確実にキノホルム剤を服用していたことが分かり、確実でないが服用せずの八例は前医に問い合わせたものであり、直接当時の病歴を調査したものではなく、腹部症状の時期に何人もの医師を訪れた場合すべてについては調査しておらず、また家庭薬服用の状況も不明である旨報告していることが認められる。

11 藤原らの調査

《証拠省略》によれば、藤原哲司(京都大学医学部助手)らは、スモンの診断確実な自験例のうち、腹部症状発症当時に服用した薬剤を、診療に従事した医師のカルテにもとづいて検討することのできた三三例について調査したところ、三〇例(九一%)がキノホルムを服用していた旨報告していること。

又《証拠省略》によれば、同人らは、腹部症状の時期にキノホルム服用症例は四一例中三七例(九〇・二%)、残り四例は確実に服用されていない旨報告していること。

がそれぞれ認められる。

12 祖父江らの調査

《証拠省略》によれば、祖父江らは、名古屋大学医学部附属病院内科その他の病院でスモンと診断された二八五例について調査したところ、そのうち二六四例(九二・六%)が神経症状発現前にキノホルム剤を服用しており、二一例(七・四%)についてはキノホルム剤の服用を確認することができなかった旨報告していることが認められる。

13 中江らの調査

《証拠省略》によれば、山本、中江、柴田凡夫(岡山県湯原温泉病院院長)らは、岡山県湯原温泉病院内科及び小児科で昭和四〇年四月から同四三年三月までの間に受診(入院を含む)した全患者の診療録についてキノホルム使用状況とスモン発生とについて調査した(以下中江らの湯原温泉病院調査という)、その結果につき、右期間中におけるスモン発生数は、疑スモンを含め一四一名で、この内神経症状発現前にキノホルムの投与を受けていたものは一〇七名(七五・五%)であり、なお非服用者として処理した三四名の中に、発症前のキノホルムの服用の有無についてきわめてあいまいなものが一五名あり、これを差引いて計算すると発生前のキノホルム服用率は八四・九%となる旨報告していることが認められる。

14 小川らの調査

《証拠省略》によれば、小川勝士(岡山大学医学部教授)らは、岡山地方のスモン患者の剖検の結果、病理的にスモンと診断した二五例のうち、臨床記録が入手不能のため調査し得なかった二例を除く二三例全例が神経症状発現前に一定量以上のキノホルム剤の投与を受けていた旨報告していることが認められる。

15 総括

以上の各調査結果をみるに、スモン患者のキノホルム剤服用状況は、スモン協の調査では、不明、不確実を除いて算定すると第一回調査では八四・七%、第二回調査では八三・七%となり、この数値は疫学調査の困難性を考慮すると極めて高率といわねばならず、又各研究者の個別調査によっても、そのほとんどがスモン協の調査結果を上まわっており、一〇〇%との報告もみられる。そして服用率のバラツキの問題も後記第九の一で述べる如く調査精度の問題と考えられ、調査を綿密に行えば、服用率も高くなっていくことが考えられる。

以上により、キノホルムとスモンとの関連性は相当に強いものといえる。

第三キノホルム服用者と非服用者とのスモン発症率の比較

1 椿らの調査

(1) 《証拠省略》によれば、椿らは、新潟県H町立病院内科外来で昭和四四年四月一日から昭和四七年七月三一日までに受診した全患者のカルテ四一五〇枚を調査し、病歴にキノホルム剤投与の記載のある全症例二六三例、キノホルム剤投与の記載はないが消化器疾患で受診した全症例七〇八例を抽出し、両群についてスモンあるいはそれに類似する神経症状(キノホルム投与群についてはキノホルム投与後のもの)を検討したところ、キノホルム非投与群には神経症状の記載はみられず、キノホルム投与群中にはスモン一八例(六・八%)、スモンの疑い一一例(四・二%)合計二九例(一一%)がみられ、両群の右差はP<0.001で有意であった旨、

(2) 又、《証拠省略》によれば、椿らは、新潟県下のS病院内科外来で昭和四五年一月一日から同年九月三〇日までに受診した全患者のカルテ三〇五二枚からキノホルム投与の記載のある全症例二七七例、キノホルムが投与されていないが消化器疾患で受診した全症例七六六例を抽出し検討したところ、キノホルム非投与群からはスモンあるいはスモンの疑いは見出しえず、キノホルム投与群からはスモン一九例、スモンの疑い六例合計二五例(九%)が見出され、その差はP<0.001で有意であった旨、それぞれ報告していることが認められる。

2 倉恒らの調査

《証拠省略》によれば、倉恒匡徳(九州大学医学部公衆衛生学教室教授)らは、次のとおり報告していることが認められる。

同人らは、腹痛、下痢などからなる何らかの腹部症状があってキノホルムを投与された集団と同様の腹部症状があってキノホルムを投与されなかった集団とを比較検討することとし、昭和四一年、同四二年の二年間に某病院の一看護区域に一時的であっても入院していた結核患者一、〇三五例を対象にカルテおよび処方箋を調査した。その結果、入院中に五名のスモン患者が発生していた。そして腹部症状(腹痛あるいは下痢または両方)を一日以上経験し、何らかの治療処置を受けた者を選び出したところ、三三一名が選出された。そのうち一一四名がキノホルムを投与されており、この中から五名のスモン患者が発生していて、この五名はいずれも神経症状発症前にキノホルムの投与を受けている。これに反してキノホルムを投与されていない二一七名の中からはスモン患者は発生していない。この差をフィッシャーの直接確率計算法で検定すると、P≒0.005で有意であった。

3 吉武らの調査

《証拠省略》によれば、吉武泰男(石山病院胃腸科)らは、昭和四一年一月から昭和四六年六月までの間に石山病院で行った虫垂炎以外の腹部手術を受けた一九〇例のうち、経過の追跡可能な一五五例について調査したところ、一五五例のうち術後キノホルムを服用したのは七八例であり、そのうち三四例(四三・六%)がスモンを発症し、キノホルムを服用しなかった七七例からは一例の発症者もなかったこと、そして右服用群と非服用群との間に基礎疾患、年令、性、手術時期、手術術式、注射(輸血、抗生物質)、麻酔法、食事、体重その他の全身的条件につき有意な差は認められなかった旨報告していることが認められる。

4 青木らの調査

《証拠省略》によれば、青木國雄(愛知県がんセンター研究所疫学部長)、祖父江らは、名古屋市内のスモン多発地区の中心にあるA病院の昭和四四年度外来患者四、三一八例を対象に診療録を中心にキノホルムの服用状況を調査したところ、スモン発症例は二一例あり、キノホルムを服用しているもの五三二例からは一七例(三・二%)が発症し、キノホルムを服用していない三、七八六例からは四例(〇・一%)が発症しており、その間にP<0.001で有意な差があった旨報告していることが認められる。

5 総括

以上の調査結果により、キノホルム剤服用群と非服用群のスモン患者発生率を比較すると、前者の方が有意に高いことが認められ、キノホルムとスモンとの関連性が相当に高いものと考えられる。

第四スモン患者の家族内、病院内、地域の各集積性

1 椿の調査

《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。

長野県下の結核療養所であるE病院では、一病棟に院外で発生したスモン患者が入院したが、その後この病棟に次々とスモン患者が発生し、その病棟担当の医師二名もスモンに罹患したことから、スモンの伝染性を強く支持する証例となった。しかし椿らの調査の結果、入院中発症の全患者とスモンに罹患した二名の医師は神経症状発現前にキノホルム剤を服用しており、当時他の病棟ではキノホルム剤はほとんど投与されていなかったことが明らかとなった。そして一病棟のスモン多発が終った以後、全病棟にわたってスモン患者が少しづつ発生していたが、それらの患者はいずれもキノホルム剤を投与されていた。又非スモン入院患者二四〇名について調べたところ、キノホルム剤を投与されていた者は五例(うち二例は少量)のみにすぎなかった。

右調査結果につき椿は、集団発生のため伝染を疑わせた右病院について全てキノホルムをもって説明できる旨述べている。

2 祖父江らの調査

《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。

祖父江、安藤らは、スモンの多発したA、N、K、Yの四病院における院内発生の状況及びキノホルム剤の使用状況を調査し、その結果を次のとおり報告している。

A病院での院内発生は昭和四一年一例、昭和四二年二例、昭和四三年九例、昭和四四年二一例、昭和四五年(八月まで)一四例で、各種疾患で通院中の罹患例が多く、また五例の往診中の発症例があることが注目される。又勤務中のナース一例の発症があり、通院中発症例の中には夫婦一組、勤務中の健康ナースの夫、二軒おいて並びの家とその筋向いの家の中年の三女性が含まれている。N病院での院内発症例は、昭和四〇年二例、昭和四一年二一例、昭和四二年一例、昭和四三年三例、昭和四四年一例で、ここでも通院中の発症例が多い。又勤務中のナース一名が発症しており、通院中発症例の中には父と娘の例、女主人と女中の例が含まれている。K病院では昭和三九年六月から昭和四三年二月にわたって多発し、以後の院内発生は四例にとどまっている。ここでも通院中発症例が多く、勤務中のナースと事務員が一名ずつ発症し、他疾患で入院中のナースとX線技師それぞれ一名も発症した。スモンに罹患した勤務中ナースの姑はスモンで死亡している。Y病院では昭和三八年から昭和四一年七月までに結核病棟入院患者より一〇例、昭和四〇年五月から一年間に一般病棟入院患者より四例のスモンが発生したが、ここでは通院中の患者や病院勤務者でスモンに罹患したものはない。病院単位でみると院内発生は三~四年間にわたり、その間にも二、三のかなり多発する時期がある。

A、N、Kの三病院につきカルテの記載からキノホルム剤の使用状況を調査したところ、スモン発症前にキノホルム剤を処方されていた症例は、A病院では調査のできた四八例中三六例(八〇%)、N病院で二七例全例(一〇〇%)、K病院では四九例全例(一〇〇%)であった。

A病院では一日一・八~二・七グラム、N病院では一日一・八グラム、K病院では一日一・二~一・二五グラムのキノホルムが処方されていた。

A・K各病院におけるキノホルム購買量の移推とスモン患者発生数との関連は、後記第五、5記載のとおりであった。

K病院は、岐阜県山間部の人口約二〇、〇〇〇名のK地区にあり、某企業体の病院でその企業体の従業員とその家族約一〇、〇〇〇名を対象として医療を行っており、他の一般住民約一〇、〇〇〇名は同一地区のC病院で医療を受けているが、C病院でのキノホルム使用量はK病院に比べ格段に少く、C病院ではスモン患者は二名しか発生していない。

以上の調査の結果、K山間地区のスモンの多発は地区的な多発というよりもK病院での院内発生であると考えられ、家族内発生についてもA、N、K病院症例中にもみられるとおり同一家族が同一の医療機関で受診する傾向が強く、やはり院内発生と推測される。又K山間地区のK病院からは五五例のスモンが発生し、C病院からは二例の発生しかみられないが、両病院はほぼ同じ規模でありながらキノホルム剤の使用量に著しい差があり、K病院でのキノホルム剤の購買量の移推とスモンの発生数とが平行している。A病院でもキノホルム剤が多量に使用され、一日の使用量が多く、又キノホルム剤の購買量の移推とスモンの発生数とが平行している。四病院ともスモンの発生は、入院、外来、往診ともにキノホルム剤を好んで処方した特定の医師の取扱った患者から多発しており、K、Y病院ではその医師が他に転任した時期からスモンの発生がなくなるか著減している。これらのことから院内発生の原因はキノホルム剤によっても説明可能である。

3 中江らの調査

《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。

中江、井形らは、昭和四五年四月ごろから同年末までの間にスモン多発地区である埼玉県戸田、蕨地区において疫学調査を行った(以下、中江らの戸田、蕨地区調査という)。そしてその結果につき次のとおり報告している。

右調査において井形がスモンと診断した者は五一名であり、この内戸田、蕨地区で発症した患者は四七名であった。この四七名につき神経症状発現時に受診していた医療機関を調査したところ、三六例が、同地区には歯科、助産婦、接骨医を除く医療機関が六九(戸田市三二、蕨市三七)ある内の戸田市のA病院、蕨市のB医院の二つの医療機関に集中していた。又同地区では家族内及び職場内集積性、医療機関職員の発症はみられなかった。

そこで蕨市の昭和四一年から昭和四四年までの国保レセプト(国民健康保険診療明細請求書)約一六四〇〇件を調査し、B医院とそれに地理的に接近し受診圏がほぼ同一で診療科、診療規模、受診者の男女比、小児成人の比率、腸疾患患者の比率もほぼ同一のD医院とを比較対照したところ、B医院では一〇名のスモン患者が発生していたのに対し、D医院ではスモン患者の発生はなく、キノホルムの使用状況をみると、一日投与量がB医院では一・三五グラム乃至三・一五グラムであるのに対し、D医院では〇・三乃至一・三五グラムであり、大きく相違していた。又B医院は蕨市全体の中でキノホルム一日量が最高であった。

又、A、Bを含む戸田、蕨地区の七つの医療機関を訪問調査したところ、B、D両医院のキノホルム使用状況は国保レセプト調査と略々一致し、A病院では三二例のスモン患者が発生しており、A病院と同じ総合病院で相互の距離が約四〇〇メートルしか離れていないC病院ではスモン患者は一例しか発生しておらず極めて少いが、キノホルムの一日投用量はA病院に比べC病院が少く、使用期間もA病院では長期間の使用が多いのに対し、C病院では長期間の使用は二例と少い。

4 総括

以上の調査結果から、家族内発生及び同一地域内の多発は、結局のところ特定の医療機関に集中しているものと考えられ、特定の医療機関での多発にはキノホルムが関連していることが認められる。

第五キノホルムの生産・輸入量及び使用量とスモン患者発生数との関係

1 椿らのキノホルム生産量とスモン患者発生数との関係についての調査

《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。

椿らは、被告チバから被告チバの日本国内におけるキノホルム剤の販売量に関する資料の提供を受け、これとスモン患者の発生数とを比較した。これによれば次のとおりとなった旨述べている。

(1) 年次別の生産量とスモン患者発生数(第六一回内科学会シンポジュウムにおける楠井の発表によるもの及び前川班の調査によるもの)との関係をグラフに表わせば別紙第一図のとおりとなり、スモンは昭和三〇年(一九五五年)ごろから発生し、以後次第に増加している。一方キノホルム剤は、三〇年も前から本邦で使用されているが、実際に生産量は昭和三〇年ごろから増加しはじめ、その後急激に増加している。すなわち、キノホルム剤生産量とスモン患者発生数はほぼ平行している。

(2) 被告チバの昭和四三年度の府県別キノホルム剤販売率を計算し、これと昭和四二年、同四三年の府県別初診患者率とを比較すると、両者は比較的よく平行している。

なお椿は、右調査結果について、一つの会社だけのものであり正確なものとはいえず、又(2)については府県全体でみるという見方はグローバルであまり正確ではないが、一つの傾向が知られる旨述べている。

2 甲野の調査

《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。

甲野は、我が国の年次別のスモン患者の発生数とキノホルム剤の生産、輸入量との関係を調査し、その結果につき、次のとおり報告している。

調査の結果をグラフに表わせば別紙第二図のとおりとなる。昭和三〇年(一九五五年)以降のスモン患者の発生数(第六一回内科シンポジュウムの集計とスモン協の集計とによる)についてみれば、昭和三〇年に始めて発生し、以後昭和四四年まで増加しており、特に昭和三三、四年頃からは急増している。一方、キノホルム剤は、昭和一四年に国産化され、戦争中は軍用に使用され、昭和二一年頃から民需用として製造が再開された。当時は月産三〇~五〇キログラム程度といわれているが、昭和二八年に吸収を促進するためCMC配合キノホルムが製造されるようになり、生産は年と共に増大し、昭和三七年には原末生産一五、〇〇〇キログラムに達した。一方、輸入は昭和一一年にはじまったが、戦時中一時中断し、昭和二八年に再開された。当初年間三八・三キログラムであったが、順次増加し、昭和三二年には年間一五五八・九キログラムとなり、年を追って飛躍的に増大した。キノホルムの生産、輸入量の増大とスモンの年次別発生数の増加とは明瞭な平行関係がある。

3 中江のキノホルム剤販売量及び処方件数とスモン患者発生数との関係についての調査

《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。

中江らは、昭和四九年一月二八日のスモン班総会において次のとおりの報告をした。

インターコンチネンタル・メディカルスタティスティック社による日本医療統計中医薬品の販売および処方に関する統計に基づく日本におけるキノホルム剤の販売量とスモン協の調査によるスモン発生状況とを、昭和四二年から昭和四五年までの間について三ヵ月単位の年次移推でみたところ、両者の間には相関係数〇・八八二で極めて高い相関関係があった。又スモン発生数を販売当該月より一ヶ月づらした場合においても、相関係数は〇・八四六とやはりかなり高い相関がみられた。

次いで右統計における全国の一九床以下の診療所開業医のキノホルム剤処方状況に基づき、スモン協に報告されたスモン患者は病院からのものが多いがキノホルム剤の処方の仕方が開業医と病院との間でそれ程大きく異ることはないと仮定し、キノホルム剤の服用開始後神経症状発現までの期間については、腹部症状発現から神経症状発現までの期間が平均五六・六日であることが知られているので一応二ヶ月として、キノホルム剤の処方件数とキノホルム剤の処方当該月より二ヶ月ずれたスモン発生状況とを三ヶ月単位の移推でみたところ、昭和四五年(一九七〇年)六月ごろからスモンの発生が横這い又は減少傾向を示している事実は、同時期におけるキノホルム剤の処方件数の横這い又は減少と大略符合していることがわかった。

4 椿らのA病院での調査

《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。

椿らは、新潟県下の比較的短期間にスモン患者が多発したA病院におけるスモン患者の発生数の移推とキノホルム剤の使用量とを比較したところ、別紙第三図のとおりとなり、キノホルム剤の使用量の消長とスモン患者の発生数の移推とが関連した旨報告している。

5 祖父江らのA、K病院での調査

《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。

祖父江らは、スモン患者の多発したA病院(名古屋市内)およびK病院(岐阜県山間部)のそれぞれにおける六ヶ月毎のスモン患者の発生数とキノホルム剤の購買量とを比較したところ、別紙第四、第五図のとおりとなり、いずれの場合においても両者の間に相関関係がみられた。

6 中江らの湯原温泉病院での調査

《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。

中江らは、中江らの湯原温泉病院調査の結果につき、次のとおり報告している。

同病院でのスモン患者は、昭和四〇年一二月の一例を初発とし、大部分(一一六名、八二%)は昭和四三年から同四四年に多発し、昭和四五年には一二名(八%)と激減し、同年九月の一例を最後に発生が終焉した。右患者の発生数と同病院におけるキノホルム使用量とを年次月別に示すと、別紙第六図のとおりとなり、この図によると、発症に関与するキノホルム使用総量とスモン発症との間には極めて高い相関関係があることがわかる(昭和四二年以降の両者の相関係数は、当該月間で〇・七九七、使用月とそれより一ヶ月後の発症数との相関は〇・七九一といずれもきわめて高い)。

7 総括

以上によれば、我が国におけるキノホルムの生産、輸入量ないしは処方件数とスモン患者発生数との間、又特定の医療機関におけるキノホルムの使用量とスモン患者発生数との間には、いずれも相関関係があるものと認められ、キノホルムとスモン発症との間に高い関連性を認めることができる。

第六行政措置後のスモン発症の激減

一 スモン患者発生数の推移

《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。

スモン協による二回のスモン患者全国実態調査及びスモン班の調査による昭和四九年三月末までの全国のスモン患者の発生数は、年次別にすれば次のとおりであり、

昭和三六年以前 一五三例

同三七年 九八例

同三八年 一六六例

同三九年 二六〇例

同四〇年 四五一例

同四一年 七三一例

同四二年 一四五二例

同四三年 一七七〇例

同四四年 二三四〇例

同四五年 一二七六例

同四六年 三六例

同四七年 三例

同四八年 一例

又昭和四五年についてみれば、同年九月以降の月別発生数は次のとおりである。

九月 三七例  一〇月 一八例

一一月 四例  一二月  六例

右事実によれば、行政措置後スモン患者の発生が急激に減少していることは明らかであり、甲野、重松、豊倉らは「行政措置は、プロスペクティブ・スタディであり、疫学的実験であった」等と述べている。

二 スモンの他疾患への繰入の可能性について

1 被告らの主張

被告らは、行政措置以後、従来ならスモンと診断できた患者であってもスモンと診断することを躊躇する傾向が生じたから、スモン患者の報告数が激減したからといって直ちに患者の発生が激減したとはいえない旨主張している。

2 柳川らの調査

《証拠省略》によれば、柳川洋(国立公衆衛生院疫学部室長)らは、第八回I・C・D分類による神経系疾患の人口動態死亡統計(昭和三〇年から同四八年、スモンのみ同四七年七月より同四九年一〇月)および患者調査成績(昭和四三年以降)を資料として、全国の各種神経系疾患死亡率と受療率の年次移推を調査したところ、神経系疾患の全国死亡者数は昭和四六年以降減少傾向にあるものは多発性硬化症、てんかん、その他の進行性筋萎縮症、振戦麻痺、増加傾向にあるものは進行性筋ジストロフィー症、その他の中枢神経系の脱髄疾患であり、その他の神経系疾患はほぼ不変であり、神経性疾患の一日受療患者全国推定数は多発性硬化症のみに昭和四五年一五三、同四六年二三九、同四七年二一三、同四八年二九五と昭和四六年以降増加傾向がみられたが、その他の疾患は不変か増減が不明であった旨報告していることが認められる。そして《証拠省略》によれば、厚生省特定疾患多発性硬化症調査研究班の昭和四八年度における多発性硬化症全国症例調査では、多発性硬化症等の診断分類別初発年次数は別紙第一表のとおりである旨報告されていることが認められる。

3 片岡らの調査

《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。

片岡喜久雄(国立東京第二病院)らは、国立東京第二病院及び国立大蔵病院において、行政措置前後の昭和四四年及び同四六年の神経疾患患者数の比較調査を行い、次のとおり報告している。

昭和四四年の神経疾患新患者数は五六八名であり、同四六年のそれは四九八名であった。そして昭和四四年は、スモンが三八例、スモンの疑が九例であったのが、昭和四六年にはスモンが四例、スモンの疑が一例となった。しかし、その他の疾患では両年に大差はなかった。又スモン類似疾患も昭和四四年が四三例、同四六年が四〇例と変っていない。スモン類似疾患のうち多発性(代謝性)神経炎が〇から八例となっているが、東二における昭和四四年以降(昭和四五年は除く)昭和四八年までの神経内科新患者数に占める多発性神経炎の割合は、年によってその差は著明ではない。これらの成績から行政措置前後における神経疾患患者数の比較においては、スモン及びスモン疑症例は昭和四四年から昭和四六年になると激減しているが、これに代って他の神経疾患患者が増加しているという成績は得られなかった。

4 総括

以上の事実によれば、行政措置後、スモンと診断されるべきものが他の神経疾患に繰入れられたとみることもできない。

三 行政措置以前からの減少

1 行政措置以前の患者発生数の減少

《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。

スモン協が行ったスモン患者全国実態調査によれば、昭和四二年から昭和四七年までの月別年次別のスモン患者発生数は別紙第七図のとおりであり、昭和四二年、同四三年は九月が、同四四年は八月がピークとなり、いずれも各月のスモン患者発生数は前年より増加していたが、昭和四五年は、一月がそれ以前の年の同月よりも多くなっているとはいえ、二月は前年と同数となり、それ以後は増加傾向がにぶり、五月から七月まではほぼ横這いとなり、八月以降は急激に減少している。

《証拠省略》によれば、各都道府県別にみた場合においても、昭和四三年又は昭和四四年頃からスモン患者の発生が横這い又は減少傾向にある道府県があることが認められる。

2 柳川らの見解

《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。

柳川洋(国立公衆衛生院疫学部)らは、スモン協の二回にわたるスモン患者全国実態調査の解釈上の問題点として、「(1)第二回の調査では、昭和四五年一月~六月の初診患者分と七月以降の分とでは調査個人票の提出方法が異る。すなわち前者は一括して提出することを求めたのに対して、後者は毎月提出することを求めた。またその提出時期は、キノホルム原因説発表(昭和四五・八)、同販売停止(昭和四五・九)の後であるために、この時期以降の提出率が低下していると考えられる。また昭和四五年初診患者の発病から初診までの期間が二ヶ月以上のものが四〇%以上もあり、発病月別に観察する場合、調査票提出率低下の影響が昭和四五年五月以前にまで及ぶ可能性のあることを無視してはならない。(2)第二回調査の調査個人票の集まり状況はすべての府県で必ずしも均等ではない(昭和四五年三月までの初診分は全県より提出あり。その後では四~八月二県、九月四県、一〇月五県、一一~一二月九県が未提出)。したがって報告患者は四月以降において、みかけ上低くなっていると考えられる。このような事情があるので、昭和四五年の患者発生の月別傾向は全国合計の値で観察するよりも、むしろ調査個人票提出率がよく、しかも患者数の多い特定県について観察した方がより現実に近い傾向がえられる。例えば報告患者数の最も多い三都府県(大阪一、一〇三名、東京八六一名、愛知七二〇名)はいずれも提出率があまり落ちていないので、それらについて年月分布をみると、いずれもキノホルム販売停止時期と患者発生減少の時期とはよく一致していた。」と述べている。

3 中江の調査

前記第五、3認定のとおり、中江らの調査によれば、昭和四五年初旬からキノホルムの処方件数が横這いとなっており、これにほぼ符合してスモン患者の発生数も横這いとなっている。

4 各地域における個別調査

行政措置前に減少傾向にあった一、二の道府県や多発地区についてみると、次のとおりである。

(1) 《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。

北海道では、釧路地区、室蘭地区に多発し、両地区とも昭和四〇年をピークに減少傾向にあった。伊東は、釧路地区での調査によれば、同地区では釧路市立病院に集中して発生しており、同病院でのキノホルム剤使用量は、昭和四三年には同四〇年に比べ半量近くに減少し、又キノホルム剤を投与された患者も昭和四二年、同四三年にはいちぢるしく減少している旨報告している。

(2) 《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。

秋田県は、昭和三九年以降増加し、同四二年、同四三年に特に多数の患者が発生し、又同県の患者の内約半数近くが湯沢地区に集中している。又山形県では昭和三二年から同三九年にかけて山形市周辺に、同三六年から同四三年にかけて米沢市周辺に、同四二年から同四五年にかけて長井市周辺に集中的に発生した。杉山尚(東北大学医学部教授)は、調査の結果、これらの各地区においてもその地区の特定の病院の、しかもほとんどが消化器科を中心に発生しており、医師の交替その他によるキノホルム剤の使用量の減少と共に患者の発生数が減少している旨述べている。

(3) 《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。

岐阜県のK山間地区(人口約二〇〇〇人)は、昭和三五年から同四四年の間に五四例とスモン協の調査による岐阜県で発生したスモン患者の三割弱のスモン患者が発生し、特に昭和四二年に二〇例発生した後、同四三年、四四年と減少していった地区である。しかし前記第四、2に認定のとおり、祖父江らの調査によれば、同地区のスモン患者はK病院で五二例と集中的に発生しており、同病院のキノホルム剤の使用量の減少と共に患者の発生も減少した。

(4) 《証拠省略》によれば、岡山県では湯原地区及び井原、芳井地区がスモン患者が多発した地区であることが認められる。

ところで前記第五、6に認定のとおり、中江の湯原温泉病院調査によれば、湯原地区では、同地区のスモン患者の八二%にあたる一一六名が昭和四三年、四四年の両年に集中して発生し、同四五年の前半から激減しているが、同地区でも湯原温泉病院に集中して発生しており、同病院のキノホルム剤の使用量の減少に伴い、スモン患者の発生が減少していった。

5 総括

以上のとおり行政措置前からのスモン患者発生の減少傾向については、柳川らの見解の全国調査の調査方法の問題によっても合理的に説明することができ、又他方全国的にみても行政措置前から既にキノホルムの使用量が減少傾向にあり、又スモンの発生が減少していた地域についてみても、キノホルムの使用量の減少につれてスモンの発生も減少していることが認められるのであるから、結局スモンとキノホルムとの関連性は充分認められる。

四 行政措置後のスモンの発生

前記第六、一のとおり、スモン協及びスモン班の全国調査によると、昭和四五年九月から昭和四九年三月末までの間に発病したスモン患者は、昭和四五年六五名、同四六年三六名、同四七年三名、同四八年一名の合計一〇五名となっている。

しかしその数は極く少数である。のみならず、行政措置前にキノホルムを服用していたことによることも考えられ、行政措置後の発症例につき、行政措置後も病院の手ちがい等によりキノホルム剤が投与されていたり、家庭薬としてキノホルム剤を服用していた旨の杉山や祖父江らの報告があり、又他疾患がスモンと誤診された可能性も全く否定することもできない。

もっとも右によって全てが解明されたとはいえず、多少の疑念は残るけれども、極く少数の患者の発生をもってキノホルム説自体を左右しうるものとは認めがたい。

第七量と反応の関係(Dose Res-ponse Relationship―以下D・R・Rともいう)

一 はじめに

《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。

D・R・Rとは、負荷量と生体の反応の関係をいい、負荷量が大きくなれば反応も大きくなる即ち発生が多くなり、又症状その他の変化が重くなることをいう。そしてこの関係は中毒学の方で毒物の量と生物反応がS状曲線(シグモイドカーブsigmoidcurve)を示すことで知られているが、毒物の代りに病原体を用いた場合でも、また宿主である生物が人間の場合でも、多数例について観察すれば、同様の関係が成立することが確かめられており、このことから逆に、この関係が認められる場合には、因果関係の存在する公算が大きいといわれている。

右のシグモイド・カーブは横軸に負荷量を対数でとり、縦軸に累積反応出現率をとることにより作成される。

二 服用量と発症との関係

1 祖父江、青木らの調査

《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。

祖父江、青木らは、前記第三、4掲記の調査において、キノホルムの一日の投与量と投与期間とを組合わせてスモンの発生状況をみたところ、別紙第二表のとおりとなり、量が多くなれば発生率が高くなり、ドース・レスポンスの関係が明瞭となった旨報告している。

2 椿らの調査

《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。

(1) 椿らは、前記H町立病院での調査に基づき、神経症状発現までのキノホルム服用量を一〇グラム刻みに縦軸にとり、症例数を横軸にとり、右服用量と神経症状との関係をグラフにしたところ、別紙第八図のとおりとなり、五〇グラムまでは服用量が多くなると患者の割合が多くなり、量と反応の関係がみられ、五〇グラム以上ではそれほどふえてこない旨報告し、

(2) 又右H病院とS病院について、スモン発症までのキノホルム服用量とスモン発症率との関係を検討したところ、別紙第九図のとおりとなり、服用量の増加とともにスモン発症率が増加し、ただS病院では八〇グラム以上の服用者では発症率が低下している旨報告している。

(3) そして椿は、服用量が或る量を越えると発症が少くなる点につき、発症までの服用量を問題にする結果であり、少量で発症した者は大量に服用すれば必ず発症するのであり、少量で発症したことにより少量発症者群に含まれてしまうことによるものである旨述べている。

なお右(3)の点について《証拠省略》によれば、重松、中江らも同旨のことを述べており、実験とは異り、右のように発症までの服用量をとり、それぞれの量の段階で新らしい発症者だけを取って行けば、各段階で発症した者はその段階で除かれていくことになるから、発症についての曲線は一つのピークができた後下って行くことになると述べている。

3 中江らの戸田、蕨地区調査

《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。

中江らは、中江らの戸田、蕨地区調査の結果につき次のとおり報告している。

中江が蕨市の国保レセプトを調査し、昭和四一年から昭和四四年までの四年間にキノホルムの投与を受けた者の内総量一〇グラム以上の投与を受けた者一七七名、総量四グラム以下の投与を受けた者九七名を選び出し、井形がブラインド調査(キノホルム投与に関する資料を知らされない調査)によるスモンの診断を行ったところ、スモン確診者は多量投与群のみにみられた。

4 山本のスモン班四七年度研究

《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。

山本は、スモン班における昭和四七年度の研究の一つとして、スモン協第二回服用調査により、昭和四六年度に報告された二、四五一例に、昭和四七年になって新らたに報告された三六〇例を加えた二八一一例について分析した結果につき、次のとおり報告している。右の内神経症状発症前六ヶ月間のキノホルム投与量の明らかなスモン患者一〇〇七名について、その間のキノホルム投与量別(一〇グラム刻み)に患者数の分布をみると、別紙第一〇図のとおりとなり、患者の発症前服用量の分布は一〇~三〇グラムにモードをもち、量が多くなるに従って患者数が減少するパターンである。この分布を正規確率紙上にプロットすると略直線となることから、この分布関数は対数正規分布に近似の分布関数である。

そして中江は右につき、右図の示す曲線がログノーマル・カーブ(log-normal curve)に近似する点は、サートウェル(Sartwell)の理論である一点暴露における急性伝染病の発症曲線と一致しており、本症が亜急性に発症する疾患であるという違いを考慮に入れても、今後の理論疫学の一つの方向を示唆するものとして興味深いと述べ(日本公衛誌二〇巻四号)、更に、ログノーマル・カーブを積分すれば、シグモイド・カーブになる(シグモイド・カーブはいうなれば累積曲線である)が、右図に基きキノホルムに対して感受性を持った集団すなわちスモン患者全体を母集団とみて、累積患者数の分布をみればシグモイド・カーブに近似したカーブが書けることとなり、スモンの発症について量と反応の関係が現われる旨述べている。

三 一日当りの服用量と服用期間

1 椿らの一日量についての調査

《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。

椿らは、キノホルムの一日の服用量が六〇〇ミリグラムのスモン患者六例と一二〇〇ミリグラムのスモン患者四六例について神経症状発現までの服用期間を調べたところ、前者では最低が三三日、最高が一二八日、平均が四八・八日であり、後者では最低が七日、最高が一三一日、平均が二九・四日であり、キノホルム剤の平均服用量は前者が二九・三グラム、後者が三五・三グラムで両者にはそれ程の差がなかったこと、これにより一日量が多いほど短期間でスモンが発病する可能性が多い旨報告している。

2 椿らの一日量と投与期間についての調査

《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。

椿らは、S病院におけるキノホルム剤服用者につき、スモン患者(疑い例を含む)、非スモン患者毎に、横軸に一日投与量を縦軸に投与期間をとったグラフ上にスポットし、その分布状況を調べたところ、非スモン患者例では少量で短期間の服用例が多いこと、又量が多くなるほどスモンの発生が多くなることが判明した旨述べている。

3 中江らの戸田、蕨地区調査

《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。

中江らは、中江らの戸田、蕨地区調査の結果につき次のとおり報告している。

スモン患者が多発した戸田市A病院における、昭和四二年二月から昭和四五年八月までの入院患者のカルテ、昭和四五年七月から同年九月までに社会保険を使用して外来を訪れた患者のカルテ(初診が昭和四一年に遡るものもある)、昭和三九年当時スモンを疑われた患者(スモン患者を含む)のカルテ合計五、五〇〇冊の中からスモン患者と腸疾患患者を選び出し、キノホルム使用状況を調査し、キノホルムの一日投与量と投与日数との関係をグラフにプロットしたところ(スモン患者については神経症状発現までの期間、非スモン患者については全投与期間)、別紙第一一図のとおりとなった。この図に示すとおり、スモン患者群と非スモン患者群との間には一日投与量、投与日数について明らかな差が認められ、スモン患者群は一日投与量が多いか投与日数が長いかのいずれかであることが明らかとなった。

四 服用量と症状との関係

1 スモン協第一回服用調査の分析

《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。

楠井、重松らは、スモン協第一回服用調査の分析結果につき、「神経症状発現前後におけるキノホルム使用の有無別および使用キノホルムの量別にスモンの各症状(下痢、腹痛、知覚障害、運動障害、視力障害、緑色舌苔)の程度、経過、重症度、再燃の有無、既往の手術あるいは性、年令との関連を、キノホルム剤使用の有無が明らかな六七二例について観察したが、いずれの場合も明瞭なD・R・Rは認められなかった。しかし一部にはそのような傾向を示す所見があり、この場合神経症状発現前のキノホルム使用量よりは、発現前後合計のキノホルム使用量の方がより関連が深いように思われた。」旨述べている。

2 スモン協第二回服用調査の分析

《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。

スモン協第二回服用調査に基き、使用キノホルム量とスモンの各症候(下痢、腹痛、知覚障害、運動障害、緑色舌苔)の程度、経過、重症度、再燃の有無等の関係を、キノホルム使用の有無の明らかな一五二七例について観察した結果、視力障害、重症度、再燃率については、神経症状発現前後のキノホルム服用総量との間に正の相関関係が認められた旨報告されている。これにつき山本、中江らはD・R・Rが認められる旨述べている。

3 山本らのスモン班昭和四九年度研究

《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。

スモン班では、山本らが昭和四九年度の研究として、これまでにスモン協やスモン班が行った(1)昭和四二年から継続的に行われている全国スモン患者調査、(2)昭和四五年九月から昭和四六年にかけて行われたスモン患者のキノホルム剤服用調査、(3)昭和四七年(一年間)に受診したスモン患者の生活実態を調査した特定疾患スモン調査のいずれにも重複して報告されたスモン患者四一五名について、各々の調査項目を総合してキノホルム投与量と各症状との関係を調査検討した。その結果視力障害1については投与量が多い程障害が強くなる傾向が認められる、同2については全盲のうち一〇例(七一・四%)が二二一グラム以上の投与を受けているのが注目される、緑色舌苔については軽度発現者には二〇グラム以下の少量投与例があるが、中等度発現者にはそれがなく、さらに高度発現者は三〇一グラム以上の投与例に限られていることが注目される、重症度については投与量と反応との関係が認められる、上肢運動障害については投与量の多い群に障害のある例がやや多い、下肢運動障害については弱い量と反応の関係があるようである、知覚障害については、一〇一グラム以上の投与例に知覚障害なしの例がなく量と反応の関係があるようで、経過については、一〇一グラム以上投与群に治ゆ例はなく、死亡例は二二一グラム以上投与群にのみみられる外投与量の多い群は不変、徐々に悪化する例が多い傾向にある。そしてその各々につき、不明を除き、キノホルム投与量を〇~一〇〇グラム、一〇一グラム以上の二群に分け各項目とキノホルム投与量との関係をX2検定で検定した結果、視力障害1、同2、重症度の三項目は危険率五%で有意、上肢運動障害、知覚障害の二項目は危険率一〇%で有意であった旨報告している。

4 祖父江らの調査

《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。

祖父江らは、キノホルム服用量を確実に確認できる入院中発症のスモン患者五一例につき、服用総量と症状の程度との関係を調査したところ、別紙第三表のとおりとなり、服用量が多くなればなる程重症化している旨述べている。

5 中江らの湯原温泉病院調査

《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。

中江らは、中江らの湯原温泉病院調査の結果につき以下のとおり報告している。

キノホルム投与量別、重症度別患者数をみると別紙第四表のとおりとなる。これによれば、二〇一グラム以上の大量投与群では軽症者の割合が八・九%に対し、中等、重症者の割合は五七・一%ときわめて高く、これに対し六〇グラム以下の投与群でみると、軽症者三五・六%、中等、重症者六・五%と前者が高率である。又この表の関連係数(相関係数と同じ考え方)は、〇・五二であり、投与量と重症度との間に高い相関のあることがわかる。

そして中江らは、右調査が、一人の医師が全ての患者を診察していることから重症度の判定が一定しており、カルテの脱落もなく記載が明確で、キノホルムの投与量が、明確に把握され、一日投与量も一・二グラムと一定していたことから、調査の精度が高い旨述べている。

五 総括

以上のとおり各調査研究結果によると、キノホルム投与量とスモン発症との間に(特に一日量と服用期間との関連で)、又総投与量と視力障害、重症度との間に高い相関関係がみられ、又その他知覚障害、運動障害等や再燃率との間にも相関関係がみられることから、キノホルムとスモンの発症及び一部の症状との間にD・R・Rが認められるということができる。

第八キノホルム説と従来の医学理論との関係

スモンの臨床像及び病理像は第二章第二節で述べたとおりであるが、《証拠省略》によれば、前記スモンの臨床像は前記病理所見と符合していることが認められ、《証拠省略》によれば、前記スモンの病理像、特にその病変が炎症性でなくて変性であり、その変性が左右対称性でその分布と局在性は系統性(もしくは偽系統性)であることからみて、スモンは感染症(slow virus infec-tionを含む)とは考え難く、中毒症あるいは代謝障害と考えるのが相当であることが認められる。

したがって、スモンがキノホルムによるとする見解は従来の医学理論とは何ら矛盾するものではないことが明らかである。

第九疫学上のその他の問題点

一 キノホルム非服用スモン

1 キノホルム非服用スモンの存在

前記第二で認定のとおり、スモン協第一回服用調査では一五・三%、スモン協第二回服用調査では一四・六%のスモン患者が神経症状発現前六ヶ月以内にキノホルムを服用していないとされている。

2 疫学調査の困難性

《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。

疫学調査、特に前記のような薬の服用調査は、過去に遡って服用状況を調査するものであるから、それ自体に困難性がある。そして豊倉や祖父江は「調査を綿密に行えばスモン患者のキノホルム剤服用率は高くなる」旨述べており、又椿も、自己の体験に基き「詳細に調査を進めるとキノホルムの非服用者と思われた人でもキノホルムを服用していたことが明らかになる例が多い」旨及び調査の困難性について「(1)患者はしばしば二人以上の医師を受診しているが、余程よく注意しないとすべての医師についての調査を行ないえない。又患者が受診した医師を失念していることがある。(2)患者が自分で気付かぬうちにキノホルムを服用していることがある。(3)病院の病歴は必ずしも一患者一帳となっていないので見落すことがある。ことに病歴の一部が紛失している場合があるので注意を要する。(4)医師または患者に記憶違いがあることがある」旨述べている。そして甲野、豊倉らは、スモン協第一、二回服用調査の結果につき、サリドマイド事件でアザラシ症患児の母親の姙娠中におけるサリドマイド服用率についてのレンツの調査成績八〇・四%と比較すると高率であり、又同種類のわが国における森山報告の四九・三%に比べ、はるかに優っているとして評価している。

3 椿、井形、山本らの見解

《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。

井形、椿、山本らはそれぞれ「スモン患者のうち約一五%のものがキノホルムを服用せずに発病したとするならば、行政措置後も一五%に相当するスモン患者(山本の計算によれば年間二〇〇人乃至三〇〇人)が発生するはずであるのに、現実には行政措置後、スモン患者の発生がなくなった。この事実からみればそれまでキノホルム非服用とされていた約一五%のスモン患者もキノホルムを服用していたと考えるのが自然である」旨述べている。

4 非服用スモン患者からのキノホルムの検出

(1) 田村の報告

《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。

田村は、

(イ) キノホルム服用スモン患者、キノホルム非服用スモン患者、キノホルム非服用正常人各一名づつの乾燥血清からのキノホルムの検出を試みたところ、キノホルム服用スモン患者、キノホルム非服用患者のいずれからも約一〇μg/mlのキノホルムが検出され、キノホルム非服用正常人からはキノホルムは検出されなかった。

(ロ) スモン剖検例の肝臓と腎臓中のキノホルムの測定を行ったところ、キノホルム非服用スモン患者とされていた患者のうち組織学的診断によってもスモンとされた患者の肝臓から一・一μg/g、腎臓から一・〇μg/gの、又同じく非服用スモン患者とされていたが組織学的診断で非スモンと診断された患者の肝臓から〇・四μg/g、腎臓から〇・五μg/gのキノホルムがそれぞれ検出された。

旨それぞれ報告している。

(2) 椿の報告

又《証拠省略》によれば、椿は、同人らの調査においてキノホルムの服用が確認されずキノホルム非服用としたスモン患者に、キノホルムの服用を示唆する緑舌がみられた旨述べていることが認められる。

5 総括

以上のように薬剤服用調査の困難性を考慮し、他方行政措置後は従来キノホルム非服用スモンとされていた約一五%に相当するスモン患者の発生がなく、キノホルム非服用スモンとされていた患者からキノホルムが検出されていることからすれば、キノホルム非服用スモンとされていた約一五%の患者の中には実際にはキノホルムを服用していた者が存在することは充分考えられ、又スモン類似他疾患の患者がスモンと誤診された可能性も否定しえない。これらを考慮すれば、キノホルム非服用スモンの存在を全く否定し得ないとしても、疫学上の調査により前記約一五%程度のキノホルム非服用スモンとされる者があったからといって、それによってキノホルム説を左右するものとは認められない。

二 小児スモン

1 井形らの調査報告及び見解

《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。

(1) 小児におけるキノホルム服用状況

井形らは、国立小児病院、東大小児科外三ヶ所の小児専門医院において、一〇才以下の二万名の病歴からキノホルムを投与された五〇二例を抽出して調査した結果につき、次のとおり報告している。

一日投与量は決して少なくないが、投与日数は二~四日程度の短期間が圧倒的に多く、一週間以上の投与例は一七例(三・六%)にすぎなかった。

又蕨地区の国保レセプト調査では、昭和四一年から同四二年までの受診患者中、一〇才以下でキノホルムを服用したものは一六四例であったが、うち四日以内の投与が一三一例(八〇%)を占め、一週間以上は一五名(九%)、二週間以上はわずか二例(一%)にすぎなかった旨報告している。

そして井形は、右の理由として、小児において長く続く下痢は稀であり、又キノホルム剤投与で軽快しない場合にキノホルム剤をそのまま持続しないのが常とされていることによる、と述べている。

(2) 小児スモン例の調査

又井形らは、「従来小児のスモンと報告されている八例について報告者に問合わせ調査したところ、調査不能の一例、診断不確実の一例を除き、全例が発症前にキノホルムを服用しており、発症前のキノホルム服用量は成人のそれと特に著しい差はなかった。そしてこれらの症例の多くは、歩行障害、視力障害など他覚的に把握しうる症状で発症しており、又いずれも知覚症状が比較的軽度で、歩行障害、視力障害が前景に出ているが、これらは小児が知覚障害を的確に表現しがたいことによると考えられる。したがって知覚障害のみの軽症例がみのがされ、発症の発見がおくれる傾向にある」旨述べている。

(3) 潜在性キノホルム中毒症例

井形らは、従来スモン以外の診断が下されていた症例からキノホルム中毒と考え得る症例二例を発見したことから、従来多発性硬化症、多発性神経炎、脊髄炎、球後視束炎などと診断されていた症例の中にキノホルム中毒例が潜在している可能性は十分予想され、特に乳幼児では神経症状の発症が気がつかれ難いため、たとえ発症していても、先天性弱視や脳性小児麻痺などと診断される可能性が推定される旨述べている。

(4) 結論

そして井形らは、以上のことから、小児にスモンが稀なのは、(1)キノホルムが長期にわたって投与されることはきわめて稀であること、(2)小児では軽い自覚症状を的確に表現し得ないため軽症例がみのがされる傾向にあること、(3)従来小児のスモンが稀であるとの先入観から診断され難かったことなどの理由によると述べている。

2 本間、椿らの調査報告及び見解

《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。

本間義章(新潟大学脳研究所神経内科)、椿らは次のとおり報告している。

東京都の某大学病院小児科の病歴を調査し、キノホルムを投与された二四四例を抽出して検討した結果、スモンは一例も発生していなかった。そして標準体重あたりの一日投与量は成人に比べ決して少なくないが、服用期間は一四日以上の服用例が一四例(五・七%)にすぎず、大部分は五日以内であった。H町立病院の調査では、小児にキノホルムが投与されることが少なかった。

又同人らの治験例に基き、小児では異常知覚が起りにくく、あっても軽度で又治りやすいと推定されるが、他方小児には表現能力に問題があり見過ごされる可能性がある。

これらのことから、小児にスモンが少いのは、小児にキノホルムを長期間投与されることが少いこと、又小児スモンの診断を困難にしていることによると考えられる。前記某大学病院で一四日以上の服用例が一四例ありながら一例も発症していないのは、乳幼児の表現能力の問題また症状が多少異なることから軽症例では正しく診断されない可能性などが考えられるが、小児にキノホルム中毒に対する何らかの防衛能力のあることも否定できない。

3 高津の見解

《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。

高津忠夫(東京大学名誉教授、杏林大学病院長)は、小児科医の立場から、(1)小児科医の良識により小児科医はキノホルムを濫用しなかった。(2)健康保険でも、小児に対しては何割かの薬価をとるので、患者の方で早く薬をやめたがる。従って成人に比べ必然的に濫用がさけられる。(3)現行健康保険制度では薬の量を多く処方しないと医師の収入があがらない。しかし小児科医が小児にゆるされる薬用量の最大を処方しようとすると却って損をするようになっており、したがって小児科医はなるべく少量を処方するであろうとし、強力メキサホルムA散チバを例にして説明し、結局小児には、キノホルムの投与が少なかったためスモンの発症が少なくなったのであろうと述べている。

4 総括

小児にスモンが少ない、ないしはスモンの報告例が少ないことは、以上のとおり十分に説明されうるのであるから、小児にスモンが少いことをもって、キノホルムとスモンとの因果関係につき疑いをいだかせるものではない。

三 昭和三〇年代以前のスモン

1 戦前のスモンとキノホルムの使用状況

《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。

(一) 中江、片平らの調査

中江、片平洌彦(東京大学医学部保健学科保健社会学教室)らは戦前のキノホルム使用の実態とスモン様症例の発生の有無とを調査し、次のとおり報告している。

文献調査として大正二年から昭和二〇年までの医学中央雑誌の索引より探索し、原文にあたり、一部については関係文献、資料の検討ならびに関係者への問合せを行った。その結果は次のとおりである。

(1) 戦前のキノホルムの生産販売量は、ヴィオフォルムが昭和一四年~二〇年に年間およそ四〇〇~八〇〇キログラム(国産分)、エンテロヴィオフォルムが昭和一一~一五年に年間一・二~三三・九キログラムという程度であり、多い時でも一トン未満(ヴィオフォルム輸入分を除く)であった。しかし戦後生産販売量は急激に増大し、昭和三七~四四年には毎年二三~三六トンに達している。これに比べると戦前の生産販売量は非常に少ない。

(2) わが国におけるキノホルムの内用については、昭和四年(一九二九年)に腸結核その他に内用したとの報告があり、又昭和八年以降同一三年まで、毎年のように、腸カタル、結核性下痢、赤痢などに用いたという報告がある。そしてこの頃の投与量は文献報告の範囲では、成人一日量でヴィオフォルム〇・二~一・五グラム、エンテロヴィオフォルム一~三錠(キノホルム量〇・二五~〇・七五グラム)であり、期間は一五日以内というのが多く、一ヵ月以上にわたる連続投与例は少い。これらのうち、一日投与量と投与期間が明らかな一二六例についてみると、投与例の大部分は一日量一グラム以内、投与日数三〇日以内である。なお一日量一グラム以上の三〇例は、すべて大阪市立桃山病院における腸チフス患者への投与例であった(兼田巧らの昭和一三年の報告にかかるもの)。このことから戦前のキノホルム個別使用量は、臨床治験報告の範囲内では、大部分が一日量一グラム以内、投与日数三〇日以内であることが明らかとなった。そして当時の製薬会社の指示用量が一日〇・三~一グラムの範囲であったこと、薬局方の常用量が一日〇・三~〇・五グラムであったこと、極量が一回〇・三グラム、一日一グラムとされていたことなどを考えあわせると、一日量一グラム以上でかつ投与期間一ヶ月以上の大量投与例は戦前においては比較的少数であったと判断される。

そこで兼田らの報告例を対象として同病院に保管されているカルテを検索し、右三〇例のうち抽出し得た二八例について調査した。その結果、三例(うち一例は生存している)につき、カルテにヴィオフォルム投与後下肢シビレ感などの神経症状発現の記載があった。

(二) 豊倉、高須らによる症例の検討

そして豊倉、高須俊明(東京大学医学部脳研究所神経内科)らが右三例につきカルテに基きその評価を行った結果、次のとおり述べている。

一例については、ヴィオフォルムの服用と神経症状の経過の時間的関連が密接であり、患者の希望により同薬を中止したあと神経症状の一部が軽快したとの記載があること、これらの臨床経過がスモンの臨床診断の指針とも一致し、スモンの重症例では急性期には腱反射が消失し弛緩性麻痺を呈することもあることを考慮すれば、スモンの容疑がかなり強い。一例は、記載された限りでは軽度のスモンと相容れぬ症例ではない、他の一例(生存者)は、スモンを疑い得る症例と考えられる。

その後高須が右生存者を直接診察し、その結果、中等症のスモンに罹患したことが疑われるとの結論を出した。

2 総括

以上により、戦前においても比較的大量にキノホルムを投与された者の中にスモンと疑われる症例が存在しているのであり、前記認定のキノホルム生産量の推移を併せ考えれば、昭和三〇年代以降スモンが多発し、それ以前にスモン様症例を見出し難いのは、昭和三〇年代以降キノホルムの生産販売量が急増し、したがってキノホルムが繁用されるようになり、又一日投与量が増え投与期間も長期になったのに対し、それ以前はキノホルムの生産販売量が少く、したがってそれほど繁用されておらず、一日投与量も少く投与期間も短期であったと考えることにより充分説明しうるのであるから、スモンが昭和三〇年代以降になって多発したことは何らキノホルム説に矛盾するものではない。

四 外国スモン

1 被告らの主張

被告らは、「キノホルムは現在でも世界各国で大量に使用されているにもかかわらず、外国ではスモンはほとんど存在しない。このことはスモンがキノホルムによるとする考え方に矛盾するものである。」旨主張している。

2 外国におけるスモン様症例

(1) 椿、井形の調査

《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。

椿と井形は、昭和四六年(一九七一年)夏二ヶ月にわたり、スイス、ドイツ、オランダ、イギリス及びイタリーにおいて、キノホルムの投与方式やキノホルム中毒症例の調査を行った結果につき、次のとおり報告している。

キノホルム中毒八例の情報を得た。そして四名の患者で認められた臨床的特徴は主として多発的神経炎と視力障害であった。概してこれらの患者の臨床像はスモンのそれと類似していた。

(2) 片平らの調査

《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。

片平、葛原茂樹(東京大学医学部神経内科)らは、一九七〇年以降の文献によるキノホルム(ジョードハイドロキシキノリン、ブロキシキノリンを含む)中毒(神経障害例)の調査を行うと共に昭和五一年(一九七六年)八月二〇日より一一月二〇日までの間にキノホルムの副作用報告と使用規制に関する質問表を世界九九ヶ国の厚生関係者に郵送し、同年八月二七日より昭和五二年(一九七七年)三月一一日までの間に三八ヶ国から返信を得た。この調査の結果につき、次のとおり報告している。

文献調査により一九七〇年から一九七六年の間に外国でキノホルム中毒あるいはスモン(疑いも含む)として四六編合計八五症例(オーストラリアの二九例を含む)が報告されていることが判明した。発生が報告されたのは一七ヶ国に及んでおり、オーストラリアが最も多い。郵送調査では西独、フランス等八ヶ国から合計約六〇例の発生報告があったが、報告年が記載されていないものもあり、これらの中には一九七〇年以前の報告例も含まれているとみられる。

次に文献により報告された症例の臨床症状を葛原が検討し、記載が不十分なためキノホルム中毒とするには判定困難な例や診断の疑問な例を除いた三七編五〇症例について、分類したところ、大人の下痢、大腸炎等にキノホルムを投与し、亜急性ないし慢性に神経症状が発現したのが二四編三四症例、小児の下痢や腸性末端皮膚炎にキノホルム類(ジョードキンが多い)を投与し、同様に神経症状を起こしたのが九編一〇症例、急性中毒例が四編で六症例であった。神経症状の内容としては、亜急性、慢性中毒例の場合、小児では視覚障害のみを呈する症例が大部分であり、大人の場合にも三四例のうち一七例が視覚障害を伴っていた。三四例のうち二九例には知覚障害の記載があった。知覚障害、運動障害、視覚障害が全て発現した症例は九例であった。急性中毒例の場合は、錯乱(confusion)、健忘症(amnesia)等の症状が記載されていた。キノホルム類の神経症状発現前投与量は、小児の場合は大量投与例が多く、大人の場合も算定が可能であった二三例中一一例が一〇〇グラムを超えており、一〇グラム以下は一例であった。急性中毒の場合は一・五~七・五グラムの範囲であった。

以上のことから、日本と比較すればまだ数は少ないものの、キノホルム中毒の報告は諸外国においても年々累積しつつあることがわかる。文献により報告された症例数は、実際の発生数を下回っていることが当然考えられるので、調査を積極的に行えば発生数はさらに増加するといえよう。

(3) スイス・チバ社の調査

《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。

スイス・チバ社が一九七六年五月に作成した「一九三四年一月一日から一九七五年一二月三一日までのクリオキノール(チバガイギー)での治療中に神経症状が観察された日本以外での報告例」と題する報告書には、合計一七九の症例が集められている。但しこれにはチバガイギー社の薬剤を投与されていない三例は除かれている。なお右報告は、エンテロヴィオフォルム、メキサホルム及びヴィオフォルムに関する一四四二点の文献並びに一九三四年から一九七五年までの間にチバガイギー社薬品副作用センターに報告された未刊行の報告に基くもので、クリオキノールとの蓋然性の有無に関係なくこれと何らかの関連がある全ての神経症状発症例が含まれている。

3 ヨーロッパにおけるキノホルムの投与状況

《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。

椿、井形らは、前記ヨーロッパにおける調査によるキノホルムの投与状況につき、次のとおり報告している。

七一〇七名の入院患者について調査したところ、七一例のキノホルム服用者があったが、その一日服用量は、三〇〇mg以下が三〇例、三〇〇mgが一七例、六〇〇mgが六例、一二〇〇mgが九例、一八〇〇mgが三例、二四〇〇mgが二例となっており、その七九・一%は一日量六〇〇mg以下であり、又服用期間は、一~六日が一七例、七~九日が六例、一〇~一三日が一六例、一四~二〇日が一二例、二一~三四日が一〇例となっており、六三・九%は一三日以下であって、一般に用量は日本と比較して少なかった。

4 総括

以上によれば、外国においてもスモン様症例は相当数報告されており、又更に調査を行えば増加することが考えられる。しかし我が国において多数発生したことに比べれば、はるかに少数といわざるを得ない。そこで、その原因についてみるに、前記椿、井形らの調査によりヨーロッパにおいては日本より用量が少いことが報告されているのであり、これを日本以外の全ての国に及ぼし得るかは問題であるとはいえ、右報告の如きキノホルムの投与量の差は有力な要因と考えられ、又充分に解明されているとはいえないが、人種差によるキノホルムに対する感受性の差も考えられる。したがって、外国においてスモン様症例が少いことをもってキノホルムとスモンとの関連性を否定すべきものとはいえない。

五 小坂、島田らの調査報告について

ここで、以上の各調査結果とやゝ異る小坂淳夫(岡山大学医学部第一内科教授)、島田らの報告について検討する。

《証拠省略》によれば、右両名らは、岡山県井原、芳井地区のスモンの発生とキノホルムの関係につき次のとおり報告していることが認められる。

(1) 井原市民病院で昭和四三年から昭和四五年までに発生したスモン患者一一五例のうち、神経症状発現前にキノホルムを服用していたのは七三例(六三・五%)であり、四二例(三六・五%)はキノホルムを服用していなかった。そしてキノホルム服用スモン患者の割合は各年により著しく異っている。

(2) 井原、芳井地区におけるスモン患者は、昭和四〇年から同四四年前半にかけて多発し、以後発生は急速に減少した。

右減少の半減期は昭和四四年七月と八月との間にあったが、同病院におけるキノホルム投与を受けた非スモン患者は同年九月より減少しはじめその半減期は同年一〇月と一一月との中間にあった。同病院での昭和四三年から同四五年までのスモン発生数とキノホルム剤購入量及びキノホルム剤服用患者数との関係を調査したところ、昭和四四年後半以降はそれまでに比べキノホルム剤購入量及びキノホルム剤服用患者数に対するスモン発生の割合が低下している。

同病院で診療しその治療状態が発病の初期から明らかな一一三名につき、一日投与量と下肢しびれ感出現の時期までの投与日数の関係を調べたところ、一日量が増加しても下肢しびれ感出現の時期までの日数は短縮しなかった。

昭和四四年度に同病院外来でキノホルムの投与を受けた非スモン患者と、キノホルム服用スモン患者との間に、投与されたキノホルム量に差はなかった。

同病院におけるキノホルム剤投与総患者数に対する全スモン発生率は、四三年一三・九%、四四年二九・六%、四五年五・七%と年次により有意の差があり、又本間、祖父江、高崎らの調査より高率であり、地域による差が認められる。

又《証拠省略》によれば、スモン班が同班臨床班員に対するアンケート方式によるキノホルム非服用スモン患者の調査を行ったところ、回答のあったスモン及びスモン疑合計七〇例のうち四三例(疑スモン一例を含む)が小坂からの回答であったことが認められる。

ところで戊第三七三号証(島田の証言調書)により、ほぼ相前後して作成されたと思われる小坂、島田両名の論文・丁第五九号証(医学のあゆみ46・6・5号)と第六〇号証(岡山医学会雑誌46・10号)とを対比すれば、井原市民病院における昭和四四年のキノホルム投与非スモン患者数をとっても前者では二八二例、後者では一四六例となっており、データーに問題があるのではないかとも考えられる。一方、《証拠省略》によれば、スモン協社会保健部会は調査の結果、井原市民病院では特に多発期においてであろうか腹部症状出現でスモンと診断する早期診断が重視された旨報告しており、同病院でのスモンの診断方法は他に比べやや異っていたのではないかともうかがわれ、したがって小坂、島田らの報告をそのまゝ採用することもできない。又前掲証拠によれば、スモン協社会保健部会は、調査の結果、井原市民病院では昭和四三年前半をピークに同年後半以降は新外来患者数、外来延患者数が激減し、同四四年後半には同四三年前半の半数以下になっており、又新入院患者数も同四四年になって激減し、同四五年当初には同四四年当初の半数以下になっている旨報告していることが認められ、又戊第六〇号証の島田らの調査によっても同病院での非スモン患者に対するキノホルム投与回数が昭和四三年の三八〇回から同四四年の一七四回へと半数以下になっていることが認められ、これらの事実が井原、芳井地区での昭和四四年後半からのスモン発生激減の理由ではないかともうかがわれる。

第一〇疫学的手法による因果関係の判断

以上のように、病因推定のための疫学的条件につき検討してきた。これによれば、キノホルムがスモンに先行していることは第二で述べたとおりであり、第三乃至第六で述べたようにキノホルムとスモンとの間には高い関連性が認められ、又時間的、場所的及び集団の種類別にみても同様の関連性があることが認められ、第七に記述のとおりキノホルムの投与量とスモンの発症及び症状との間に、量と反応の関係が認められ、又第八で述べたようにキノホルム説は医学理論と何ら矛盾するところがない。

他方キノホルム説に対する疑問点についても、第九及び第六の三、四で述べたとおり、キノホルム説によって説明しうるものであるから、それはキノホルムとスモンとの関連性を否定するに足るものではない。

以上総合すれば、キノホルムとスモンとの間に因果関係が存在することは相当高度の確率で推認できるものといえる。

第二節動物に対するキノホルム投与によるスモンの再現

第一スモン協及びスモン班所属員らの実験

一 大月、立石らによる実験

1 各種動物に対する投与実験

《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。

大月三郎(岡山大学医学部神経精神医学教室教授)、立石潤(元同教室講師、現九州大学医学部脳神経病研究施設病理部門教授)らは、昭和四五年九月ころから、順次、雑犬二五頭(内一頭はビーグル犬と同時に追試、四頭はコントロール)、生後約一四ヶ月の純系ビーグル犬一四頭(内二頭予備実験に使用、五頭はコントロール)、猫三二頭(内五頭はコントロール)、日本猿二頭(内一頭はコントロール)を使い、雑犬及び猫の各一部には定量法、他には漸増法によりキノホルムを経口投与する実験を行い、その結果につき次のとおり報告している。

キノホルムを投与した動物(雑犬二一頭、ビーグル犬九頭、猫二七頭、猿一頭)のうち、雑犬四頭は痙攣を主とする急性中毒症状で一~四日で死亡し、雑犬一三頭、ビーグル犬八頭、猫六頭に臨床的に両下肢の運動麻痺、脱力、筋萎縮、腱反射亢進及び痙性、失調性歩行などの神経症状から成り特に脊髄性失調を中心症状とする慢性中毒症状がみられ、長期罹患動物については視力障害もみられた。猿は実験末期に食欲減退し、とくに下肢のヤセが目立ち、座りこむことが多く筋脱力を疑わせたが、八四日目に肺炎を併発して死亡した。

これらの動物を剖検した結果は、次のとおりである。

キノホルム慢性中毒動物の病変は、変性であり、局在は脊髄後索、視束、後根神経節、末梢神経に主座を持っている。これらに共通な所見は、延髄後索核周辺から頸髄上部にかけて強いゴル束を中心とした左右対象性、連続性の変性で、下部脊髄に移るほど、その強さが減じ、範囲が狭くなり、重症例ではブルダッハ束にも波及する。この変性は軸索にはじまり、ついで髄鞘も犯され、発症から三~五ヶ月で脂肪顆粒も出現する。キノホルム非投与コントロール動物には、このような変化は一切認められなかった。脊髄錐体路の変化は、脊髄後索の変性と同様その遠位部即ち下部腰髄に強い連続性の変性で、主として側索にみられ、一部で前索も犯される。この病変の性質も頸髄ゴル束の変性と同一であるが、その程度は常に軽い。脊髄後根神経節にも変性がみられ、又一部の動物では三叉神経節に変性がみられ、これらはコントロール動物の所見に比し明らかに有意の差があった。末梢神経については、罹病期間の短かい動物ではパラフィン切片の光顕的変化はつかみにくいが、エポン包埋切片又はときほぐし線維法では髄鞘の崩壊、脱落等の変性が認められ、長期罹患動物では明らかな軸索及び髄鞘の崩壊、脱落等の変性がみられた。視束の病変も遠位部に強い、左右対称性、連続性の変化が主体であり、病変の質も脊髄ゴル索とほぼ同一の変性であった。一部の発症犬、猫の網膜の多極神経細胞の変性が確認された。小脳、大脳にはキノホルムに特異的な病変はほとんど認められなかった。

2 ビーグル犬に対する再投与実験

《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。

立石らは昭和四九年八月以降、生後八ヶ月の純系ビーグル犬一一頭を一日当り三〇〇mg/kgの固定量投与群と、漸増法投与群、コントロール群とに分け、キノホルムの経口投与実験を行い、その結果につきスモン班昭和四九年度の研究報告として、次のとおり報告している。

キノホルムを投与した全例に亜急性ないしは慢性中毒による神経症状を認めた。これは前記1の慢性中毒動物と同様で、後肢の失調性歩行、腰の横揺れで発症し、進行すれば後肢の脱力、腱反射亢進が生じ、ついに後肢が立たなくなり、前記の慢性中毒動物と同一程度ないしむしろ強い後肢の脱力がみられた。そして固定量群と漸増投与群との間に症状の差はなかった。

剖検の結果、慢性中毒犬の神経系の病変は、次のとおりである。最重篤な病変は、延髄下部から頸髄上部のゴル束の遠位部の左右対称性の変性で、病変の軽い犬は軸索の膨化、断裂、消失にとどまるが、他は髄鞘の崩壊等もみられた。そしてゴル束の変性は胸髄下部に至るまで、病変の程度は弱くなるが連続的に認められた。重篤な犬では、腰髄側索錐体路に頸髄ゴル束より弱いが同質の変性がみられた。脊髄後根では軸索に、後根神経節では神経細胞に軽度の変性がみられた。パラフィン包埋の末梢神経では軸索の変性、断裂とシュワン細胞の肥大が疑われた。視神経系では視束末端部に強い頸髄ゴル束とほぼ同程度の変性がみられた。視神経の眼球側、眼球網膜などにも軽度の変性を認めた。

3 再投与動物についての再度の検索

《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。

立石らは、スモン班昭和五〇年度の研究報告として、右第二回目の実験によって得たビーグル犬の保存材料及び新らたにキノホルムを漸増投与して発症させた雑犬を用いて検索した結果につき、「脊髄後根神経節では、光顕的、電顕的に有意な病変がつかめなかった。雑犬の末梢神経の電気生理学的検索では、運動伝導速度、誘発筋電位にコントロールとの差はみられなかった。末梢神経の組織学的、電顕的検索でも有意な病変がつかめなかった。」と述べ、結論として「今回の検索では、キノホルム投与ビーグル犬の末梢神経、脊髄後根神経節には有意な病変がみられなかった。これは頸髄ゴル索の重篤な病変と対照的である。」旨述べている。

二 椿らによる実験

《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。

椿らは、雑犬四頭、ビーグル犬一二頭(内一頭はコントロール)を用いて行った実験結果につき、次のとおり報告している。

雑犬四頭及びコントロールを除く一一頭のビーグル犬にキノホルムを漸増法により経口投与したところ、早期に死亡したビーグル犬二頭を除き、キノホルムを投与した犬全例に後肢麻痺の神経症状が出現した。剖検したところ、コントロール犬には異常はみられず、早期に死亡した犬にも明らかな病的機序と考えられる組織変化は認められなかった。右以外の犬については次のような共通した変化がみられた。脊髄後根神経節では、神経細胞の萎縮と外套細胞の増殖が認められた。脊髄ではゴル束の軸索変性と髄鞘脱落が認められ、上行するに従い変化は著明となる。一部には変性がブルダッハ束にも及んでおり、変性は対称性にみられる。錐体前索及び側索にも変性がみられるが、ゴル束に比べ軽い。四肢の末梢神経にも変性がみられ、遠位部が近位部より高度であった。但し、脊髄に近い部の前根と後根の変化は極めて軽微で、かつ前後根間の差は指摘し得なかった。視束のビマン性の脱髄がみられ、軸索の変性をみると、網膜より遠位部ほどその変化が強く、またそこでは髄鞘の変化よりも高度である。この変化は外側膝状体にはいる直前で最も著しい。網膜では神経節細胞の脱落が認められ、この層は浮腫状となっている。これらの病理学的所見はヒトのスモンと同様である。

三 奥野、高橋らによる実験

1 第一回実験

《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。

奥野良臣、高橋理明(以上、大阪大学微生物病研究所)らは、昭和四五年一一月からカニクイ猿にキノホルムを経口投与した結果につき、次のとおり報告している。

(1) 体重一・五乃至二キログラムのカニクイ猿三匹に一日約〇・五グラムずつのエマホルムを経口投与していたところ、二週間位して緑便、下痢をおこし、三五日頃より二匹の両下肢に麻痺が出現してきた。麻痺は左右とも殆んど完全で下肢による運動は不可能であった。四五日頃より最後の一匹にも両下肢の不完全麻痺、知覚鈍麻があらわれた。

(2) 次いで二匹の猿に一日一グラムずつのエマホルムを経口投与していたところ、二週間後一匹に両下肢麻痺、上下肢知覚鈍麻が出現した。他の一匹は一五日目に下痢を起し、約三〇日目頃に至り不元気、両下肢麻痺を起し、その後死亡した。

(3) 前記(1)記載の内の一匹を四五日目に剖検したところ、頸髄の後索に弱い変性がみられ、また腰髄、仙髄の前角細胞にも変性がみられた。

2 第二回実験

《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。

高橋(理)、奥野らは、昭和四六年一月よりカニクイ猿にキノホルムを経口投与する実験を行い、その結果につき次のとおり報告している。

一〇匹のカニクイ猿(一・三~二・〇kg)にキノホルム(主としてエンテロヴィオフォルム、一匹あたり五〇〇mg/日)を長期間経口投与したところ、二匹の死亡例を除き、投与開始後三~九ヶ月後程度の差はあるものの後肢麻痺をおこした。

うち四匹の解剖の結果、一般に髄鞘の変性が脊髄においてビマン性にみられ、後肢麻痺出現後一ヶ月たって解剖した例では、後索及び側索にやゝ限局した高度の髄鞘変性がみられた。又脊髄神経殊に後根神経に脱髄性変性が認められた。しかし一般に病理変化は人体例程著明ではなかった。

四 江頭らによる実験

《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。

1 カニクイザルに対する投与実験

江頭らは、サルへのキノホルム投与実験を行い、その結果を次のとおり報告している。

カニクイ猿一一頭にキノホルムを漸増法で経口投与した。緑便はキノホルム投与翌日から全例にみられ、緑舌もほとんどの猿にみられた。犬程明らかでないが、後肢の軽い麻痺あるいは、運動障害の生じたものもあった。病理組織学的に検索したところ、七頭の脊髄に病変がみられた。即ち脊髄後索のゴル束に左右対称性に軸索の崩壊と髄鞘の消失が認められ、その病変は頸髄に強く腰髄に軽かった。錐体側索路にも腰髄に同性状の病変が認められた。また網膜神経細胞層の神経細胞の脱落がみられたが、視神経の病変は明らかでなかった。

2 雑犬に対する投与実験

江頭らは雑犬に対する投与実験を行い、次のとおり報告している。

立石らの実験が、スモンの集団発生地域で行われているため、地域的条件に問題があるとの考え方もあるので、その追試を目的として、雑犬を用いて立石の実験と同じ方法でキノホルムの投与実験を行った。臨床的には運動障害が明らかに認められた。発生した脊髄病変はヒトのスモンに匹敵しており、また視神経と網膜にもスモンと同様の変化を認めた。

3 幼令犬に対する投与実験

《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。

江頭らは幼令犬を用いて投与実験を行った結果につき、次のとおり報告している。

分娩前二六日間及び分娩後もキノホルムを投与されていた母犬から生れた同腹の子犬五匹に、出生後四五日間で離乳させ、以後漸増法でキノホルムを経口投与し、一三週で投与を中止した。投与開始後一〇週目に五匹とも歩行に際し何らかの異常を認め、一二週目には一匹は比較的に軽いほかはそろって強い後肢の運動障害を示した。投与中止後運動障害は回復に向ったが、軽い障害は消失しなかった。投与中止後一七日と三三日後に検索した犬は、ともにゴル束に中等度の変性と側索錐体路に軽度あるいはごく軽度の変化がみられ、投与中止後七〇日後で歩行障害も一見してみとめられない程に回復していた二匹には、ゴル束に定型的な軸索の変性と髄鞘の消失、側索錐体路に軽い変性が認められた。これらの所見は、人体例の脊髄にみられたのと全く同一の範疇にはいる変性である。

4 ウズラに対する投与実験

《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。

江頭、大滝サチ(國立予防衛生研究所)らは、ウズラにキノホルムを漸増法で胃内に注入投与したところ、全例に両肢の運動障害が出現し、剖検の結果、病変は軽いものの脊髄後索知覚路に一致して左右対称性の軸索変性が認められ、側索や前索の運動領にも軽微な変化がみられたが、後索に比べはるかに軽く、病変は知覚路に優位に認められ、又後根神経線維や神経節にも変性や細胞脱落を示すものがあった旨報告している。

五 豊倉、井形らによる実験

《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。

豊倉、井形らは、成熟家兎の耳静脈よりキノホルムを投与したところ、全例に下肢麻痺を含む神経症状が発症し、下痢、鼓腸等の腹部症状が高率に惹起し、病理組織学的検索により坐骨神経に軸索の高度の腫脹膨化、断裂、崩壊、髄鞘の崩壊等の病変が認められた旨報告している。

六 黒岩らによる実験

1 家兎に対する静注実験

《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。

黒岩、大西晃生(九州大学医学部脳神経病研究所)らは、家兎の耳静脈よりキノホルムを投与したところ、光顕的、電顕的観察により、末梢神経において、有髄線維の髄鞘と軸索、無髄線維の軸索、シュワン細胞の種々の病変が認められた旨報告している。

2 家兎、カニクイザルに対する投与実験

《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。

黒岩らは、キノホルムを家兎に経口又は静注、カニクイ猿に漸増法で経口投与したところ、下痢、便秘などの腹部症状が高率に出現し、その後家兎の静注群とカニクイ猿全例に後肢の脱力が認められ、坐骨神経を光顕的及び電顕的に検索したところ、家兎及びカニクイ猿ともにウォラー変性を主体とする病変が認められ、家兎では無髄線維やシュワン細胞にも変性が認められ、同時に行ったスモン患者の腓腹神経の検索の結果、ウォラー変性を主体とする病変、わずかではあるが節性脱髄が認められ、無髄神経やシュワン細胞にも変性が認められ、組織学的には、キノホルム投与動物とスモン患者との変性のパターンは根本的な矛盾はない旨報告している。

七 池田らによる実験

《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。

池田良雄(國立衛生試験所毒性部長)らは、ニワトリにキノホルムを定量法で連続経口投与したところ、一日量五〇〇mg/kg以上の群で両側性の歩行障害が高頻度で出現し、一日量一〇〇〇mg/kg群の一羽について組織学的検索を行ったところ、肝の中心性の脂肪変性、末梢神経(坐骨神経)の軸索変性および髄鞘脱落、脊髄前索および後索の変性像が認められた旨報告している。

八 上田らによる実験

《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。

上田喜一(東京歯科大学衛生学教室)らは、昭和四六年、同四七年、同四八年の三回にわたり、マウスに対するキノホルム経口投与実験を漸増法及び漸増法で、かつ間歇法(一週間投与し一週間休薬)等の方法で行ったところ、キノホルム投与群から、臀部が床について後肢で体を維持できず、よちよち歩きの状態即ちドルフィン現象、後肢の伸筋麻痺症状、後肢の交叉現象などの後肢支配神経の麻痺症状を呈する動物が出た。発症例の末梢神経(坐骨神経)につき電顕的検査を行ったところ、軸索の形が不規則となり、ミエリン鞘が内部へこぶ状に突出したものがみられ、フィラメントは増加し、またミトコンドリアにも軽度の変化がみられ、スモンと類似の所見をみることができた旨報告している。

九 金光らによる実験

《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。

金光正次(札幌医科大学衛生学教室教授)らは、雑犬にキノホルムを漸増法により経口投与したところ、後肢の脱力等の症状が出現し、発症犬を剖検した結果、光顕的に坐骨及び脛骨神経に強い髄鞘の変性と部分的消失がみられ、電顕的には、脊髄の髄鞘の蜂窩性構造、髄鞘と軸索の解離、軸索内小器管の消失などがみられた旨報告している。

一〇 実験方法についての問題点

1 被告らの批判

被告らは、前記スモン協班員らの動物実験は、漸増投与法という通常用いられない特異な投与方法がとられており、又キノホルムを大量に投与したものであり、正常な実験とはいえない旨主張している。

2 漸増法について

《証拠省略》によれば、前記立石らの実験において漸増法がとられたのは、急性中毒死を避けるためであり、他に何らかの意図があったものではないことが認められ、又前記のとおり定量法によっても漸増法におけると同様の実験結果が得られているのであるから、漸増法を異常なものとしてその実験結果を無視しなければならないものとはいえない。

3 大量投与について

《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。

熊岡熙(武庫川女子大学薬学部教授)は、薬剤の作用は、薬理学上、投与量によってではなく、血中濃度によって左右され、同一の作用を起すためには血中濃度が同じ程度でなければならない、そしてキノホルムで犬等において人と同じ程度の血中濃度を得るためには、体重一キログラム当りにして人の二五乃至三〇倍程度の量を経口投与しなければならず、又動物実験においては、実験動物が少数で限られているため、副作用の発生頻度を上げ、確実な副作用を発現させてそれを正確に確認するため、投与量を多くする必要があり、大量投与によって発現した副作用と常用量によって発現した副作用との間に本質的な差はない旨述べており、又田村は、実験結果から、発症し難い動物ほど非抱合キノホルムの血中濃度が上り難く、人は他の動物に比べはるかにキノホルムの血中濃度が高まりやすい。したがって犬等の実験動物が発症するには人に比べ大量のキノホルムを投与しなければならない旨述べている。

右のとおり実験動物に対しては人に比べ多量のキノホルムを投与する必要があり、又キノホルムを投与した実験動物に現われた症状、病変が人のスモンのそれと同一のものと認められる以上、それによりキノホルムの毒性が確認されるわけであって、投与量はそれほど重視する必要はないものと考えられる。

第二被告会社らによる実験

一 スイス・チバ社のヘスらによる実験

1 家兎、ニワトリに対する投与実験

《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。

スイス・チバ社のヘスらは、左記(1)、(2)、(3)の家兎に対するキノホルム投与実験及びニワトリに対するキノホルム投与実験を行ったが神経症状は発症せず、又キノホルム投与に基くとみられる組織病理学的変化もみられなかった旨、報告している。

(1) 家兎に対する定量法による一日量一mg/kg、三mg/kg、六mg/kg、一〇mg/kg二八日間連続耳介静注投与実験

(2) 家兎に対する定量法による一日量一〇mg/kg、三〇mg/kg、一〇〇mg/kg一〇日間連続経口投与実験

(3) 家兎に対する定量法による一日量三mg/kg、一〇mg/kg、三〇mg/kg八八日間連続経口投与実験

2 ビーグル犬に対する定量法による投与実験

《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。

スイス・チバ社のヘスらは、次のとおりのビーグル犬に対するキノホルムの投与実験を行ったが神経症状は発症せず、又キノホルム投与に基くとみられる組織病理学的変化もみられなかった旨、報告している。

(1) ビーグル犬に対する定量法による一日量、三〇mg/kg、一〇〇mg/kg、三〇〇mg/kg一二二日間連続投与実験

(2) ビーグル犬に対する定量法による一日量三〇mg/kg、一〇〇mg/kg、二〇〇mg/kg二年間連続投与実験

3 ビーグル犬に対する漸増法による投与実験

《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。

ヘスらは、ビーグル犬に対する漸増法によるキノホルムの長期経口投与実験を行い、その結果につき次のとおり報告している。

例外的に、一匹が異常な姿勢反応及び態度を示し、一匹が後肢の反射が失われたが、両者共重篤な全身状態の悪化にひき続いてのことであった。又二六投薬犬のうち七匹に視神経及び視索に急性の異栄養症(ジストロフィー)型の変性が、またこのうち五匹に脊髄薄束に同様な変性がみられた。右変性は、生体全体の重篤な障害のため二次的に生じたと考えられ(循環又は栄養障害によると思われる)、投与された薬剤の直接作用とは考えられない。

二 被告田辺の実験

《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。

被告田辺の甲和良夫らは、ラットに対する、定量法による、一日量一〇〇〇mg/kg、三〇〇mg/kg、一〇〇mg/kg、三〇mg/kgの一ヶ月間経口投与実験、三〇〇〇mg/kg、三〇〇mg/kg、三〇mg/kgの六ヶ月間経口投与実験を行ったが、いずれも神経症状は発症せず、又病理組織学的にも神経系に異常所見はみられなかった旨、姙娠ラットにキノホルムを投与し母体、胎仔、出生仔に対する影響を見たが、神経障害を示す所見はみられなかった旨報告している。

三 スイス・チバ社と被告田辺による共同実験

《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。

スイス・チバ社のヘスらと被告田辺の甲和らは、共同してカニクイ猿に対するキノホルムの定量法による一日量五〇mg/kg及び二〇〇mg/kgの一〇二二日間の長期経口投与実験を行ったが、一般行動や生理学的機能検査及び病理学的検査では、キノホルムに起因すると思われる障害は何ら見出せなかった旨報告している。

四 フロー研究所による実験

《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。

米國メリーランド州所在フロー研究所のバロンは、米國ニュージャージー州チバガイギー社の依頼により、ビーグル犬に対する定量法による一日量三〇mg/kg、一〇〇mg/kg及び三〇〇mg/kgの連続九〇日間経口投与実験を行ったが、四匹の腎臓にキノホルム剤によると思われる機能的形態変化がみられたほかは、キノホルム剤によると思われる他のいかなる変化も認められず、特異な神経毒性の証拠は、臨床的にも、解剖学的にも何らみられていない旨報告している。

五 メレル・ナショナル研究所の実験

《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。

米國シンシナティ市所在のメレル・ナショナル研究所のニューバンらは、アカゲザルに対するキノホルムの定量法による一日量六〇mg/kg及び二〇〇mg/kg、六ヶ月間連続経口投与実験を行ったところ、臨床的には軟便あるいは脱色便がみられたほかは、投与したことによる所見はなく、組織病理学的には、二〇〇mg/kg群の腎臓に変化がみられた以外薬剤に関連した変化はみられなかった旨報告している。

六 以上の各実験の評価

右各実験についてみると、立石らの漸増法による実験ではビーグル犬が一日投与量約三五〇~四五〇mg/kgで発症したこと、江頭らのサルでの実験では一日量二〇〇mg/kgから最高二、〇〇〇mg/kg投与されていること、奥野、高橋らのサルでの実験では前記のとおり一日一匹当り五〇mg乃至五〇〇mg投与されていることに比べ、その多くは一日投与量が少量である。又《証拠省略》によれば、立石は「最初に変化が始まり病変が最も著明なのは頸髄上部ないしは延髄下部である。しかし、ヘスらの実験ではこの部分の検索がなされていない(《証拠省略》によれば、ヘスもこのことを認めている)。又、検索方法にも問題がある。」として、ヘスらの実験を批判していることが認められ、又前記実験の多くが企業内での実験であることにも問題がないとはいえない。これらのことを考えれば、右否定的報告例が存在するからといって、前記スモン協班員らの実験報告が左右されるものとは認められない。

第三ハンチントン研究所の実験

《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。

一 同研究所独自の実験

英國ハンチントン研究所のヘイウッドらは、ビーグル犬に対し、キノホルムを一週目は、一日量五〇mg/kg、一〇〇mg/kg、一五〇mg/kg経口投与し、二週目以降、一日量一〇〇mg/kg、二五〇mg/kg、四〇〇mg/kgに増量して投与する実験を行い、その結果につき一九七五年に次のとおり報告している。

一日量四〇〇mg/kg群のうち二頭は投与期間満了前に屠殺したが、二頭とも後肢運動不能及び一般状態の悪化を伴った歩行異常を呈していた。このうち一六一日目に屠殺された犬では、頸髄の薄束に有意の変性病変がみられ、視神経にも変性がみられた。一日量四〇〇mg/kg、二五〇mg/kg群の犬に異常な歩行及び異常な反射反応と応答がみられた。症状の最も軽い犬では姿勢を保つのにあしを外側に広げて、後肢の僅かな協調不能を示し、症状の最も重い犬では後肢の完全麻痺を示した。一日量四〇〇mg/kg投与犬のうち投薬期間中死亡しなかった四頭全てにおいて脊髄薄束に病理的変化がみられ、一日量二五〇mg/kg投与犬六頭のうち四頭に何らかの病変がみられ、これらの病変の主たる形態学的特徴は、軸索の変性及び腫脹、ミエリン食細胞を伴ったミエリンの崩壊である。以上の臨床症状及び病理像は日本の研究者が記載したものと相違しない。

二 スイス・チバ社の依頼による実験

同研究所のヘイウッドらは、スイス・チバ社の依頼により、一九七三年一〇月からビーグル犬に対する定量法によるキノホルムの一日量二五〇mg/kg及び四〇〇mg/kgの二五週間連続経口投与実験を行い、その結果につき一九七五年一〇月一六日付で次のとおりの報告をしている。

臨床的には全ての投与犬に異常歩行がみられ、後肢のみが影響を受けていた。症状の重い犬では後肢が完全に麻痺していた。その他健康状態の悪化、毛の黄変、脱毛もみられた。神経学的検査では、一日量四〇〇mg/kg群の全てと二五〇mg/kg群の何頭かに定位反応及び姿勢反応の障害がみられた。投与犬全てに異常歩行がみられ、犬によっては後肢の失調にまで発展した。神経組織学的には、一日量二五〇mg/kg群の一頭と四〇〇mg/kg群の四頭の脊髄後柱に病理学的変化がみられ、右変化は二五〇mg/kgの一頭では頸髄と胸髄で、四〇〇mg/kg群の一頭では脊髄のあらゆるレベルでみられたが、延髄薄束核に近い頸髄の薄束で最も顕著であり、同群の他の犬では頸髄でみられた。病変の性質はジストロフィー性で、その発現は急性で、形態学的特徴は、軸索の変性及び腫脹、ミエリン貧食細胞によるミエリンの崩壊、時としてみられる星状細胞の腫脹であった。又脊髄のあらゆるレベルで病変のみられた犬の視神経には、軸索の腫脹を含んだ同様の変化がみられた。末梢神経、脊髄交感神経節には有意の組織病理学的変化は認められなかった。

三 右実験についてのヘイウッドの報告

ヘイウッドらは、右二の実験結果について、一九七八年(昭和五三年)一月二八日付ランセット誌上において「右実験でみられた脊髄後柱の変化は、ビーグル犬において栄養障害、胃摘出後症候群、ビタミンB6過剰投与または老化の結果として記録されているものと類似していた。末梢神経に影響がないことは立石らの知見と一致しているが、SMONの診断基準に合致するダイイング・バック(dying back)型の神経症に関する報告とは一致しない。実験データーをヒトに適用することはいうまでもなく困難であり、動物実験モデルにおいて、中枢神経障害は適当な食餌環境下においてクリオキノールの極めて高い投与量においてのみ認められ、かつ、スモンの場合にみられる全ての徴候あるいは障害が認められているものではない。」旨述べており、又トキコロジー同年三月号においても、右実験における脊髄後柱の病変につきランセット誌におけると同旨のこと及び「イヌの中枢神経で観察された形態学的変化は、甲野により述べられている日本の独立疾患であるスモンの診断基準とは一致しないし、又クリオキノールによる治療後に起った変化を特異的で基本的なダイイングバック型の末梢神経性神経症として説明することにも合致しない。」旨述べている。

第四総括

一 実験動物にみられる臨床、病理所見と人のスモンのそれとの比較

1 臨床面

犬(雑犬、ビーグル犬)、猫、サル、ウサギ、マウス、ニワトリ、ウズラ等に左右対称性の後肢麻痺、運動障害がみられ、立石の実験では、犬、猫に両下肢の運動麻痺、脱力、筋萎縮、腱反射亢進がみられており、これらは前記スモンの臨床像と類似していることが認められる。

2 病理面

各実験動物に脊髄後索の変性がみられており、これは頸髄上部から延髄下部に強いゴル束を中心とした左右対称性、連続性の変性であり、重症例ではブルダッハ束にも変性が及んでいるが、ゴル束に比べ程度は軽い。又錐体路にも同様の病変がみられるが、脊髄ゴル束に比べ病変は弱い。又その他後根神経節、視束にも病変がみられている。末梢神経については第一の一・3や第三のとおり病変がみられなかったとの報告もあるが、他の報告では病変がみられた旨述べられている。これらの実験報告にみられる病変は、前記人のスモンの病理像に一致するか、又はそれに近いものと認められる。

二 結論

以上のとおり、各種動物実験によりみられた実験動物の臨床、病理所見は、一部末梢神経の病変につき問題点を残しているものもあるが、人のスモンの臨床、病理所見に一致するか、それに近く、動物でスモンがほぼ再現されたものと認められる。

第三節発症機序に関する研究

第一スモン協及びスモン班所属研究者らの研究成果及び所見

一 研究成果

《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。

スモン協及びスモン班の田村、豊倉、立石、宇野豊三(京都大学薬学部教授)、高橋康夫(新潟大学医学部脳研究所教授)、米沢猛(京都府立医科大学助教授)、八木國夫(名古屋大学医学部教授)及びその他の研究者らにより、それぞれ放射性キノホルムを各種動物に投与し、オートラジオグラフィ、シンチレーションカウンター等による測定、ガスクロマトグラフィによる測定、試験管内における実験その他の方法により、キノホルムの吸収、代謝、分布、排泄、作用等に関する研究が行われ、それらの成果につき次のとおり報告されている。

(一) スモン協昭和四七年三月一三日総会におけるキノホルム部会報告

(1) 経口投与されたキノホルムは消化管よりかなりよく吸収され、マウス、ラットで一〇~二〇μg/kgの経口投与でほぼ二〇~三〇%が吸収されると推定される。投与量を増すと吸収率は低下するが、吸収絶体量はほぼ直線的に増加する。反復長期投与による吸収率の変化はみられない。

(2) 体外排泄は、糞、尿を介してかなり速やかであるが、三日後に全身滞留率が一〇%以下になってからゆるやかになる。投与量を増すと全身滞留率は低下するが、全身滞留量は増大する。反復長期投与によっては、全身滞留率が低下し、滞留量は一定限度以上に増加しない。

(3) 吸収されたキノホルムは肝、腎にもっとも多く集まり、胆汁と尿の中に高濃度に排泄される。胆汁に排泄されたキノホルムは再び腸管から吸収され、肝腸循環が成立する。

(4) 神経系では、坐骨神経等の末梢神経、後根神経節、脊髄神経根、網膜などに強く分布するが、中枢神経へのとりこみは一様に低い。

(5) 神経細胞にとりこまれたキノホルムは、ミクロゾームとミトコンドリアに比較的高濃度に集まる。試験管内の実験では、キノホルムはミトコンドリアの酸化的リン酸化に対して脱共役作用を現わし、この際二価金属イオンを必要とした。肝で抱合されたキノホルムのグルクロナイドはこのような毒作用を全く示さなかった。

(6) 鶏胚の後根神経節を、血清と種々の濃度のキノホルムを含む培地で培養したところ、8μg/ml以上の濃度にすると数日後に神経に変性が認められた。

(7) キノホルムが胆汁酸の弱アルカリ性水溶液にかなりよく溶けることがわかり、水に溶けないキノホルムが吸収されることが理解され、又各組織への到達と貯留に関しては、脂溶性であるキノホルムが血清(アルブミン)によく溶けることにより理解される。

(8) キノホルムの服用をやめて一ヶ月たったスモン患者の血清から約一〇μg/mlのキノホルムが検出され、又キノホルムの服用をやめて九ヶ月たって死亡したスモン患者の肝臓、腸間膜脂肪組織、坐骨神経から、それぞれ一gにつき〇・五μg、〇・三μg、〇・一μgのキノホルムが検出され、キノホルムが長期間体内に貯留することが判明した。

(9) スモン患者の肝臓、腎臓のキノホルム含量には大きな個人差が認められた。

(二) スモン班昭和四九年三月一三日総会発症機序分科会報告

(1) キノホルムが主として十二指腸及び回腸から吸収されることが判り、胆汁が強く吸収を促進すること、CMCにも弱いながら吸収促進効果があることが確かめられた。

(2) 尿中への排泄形は、ラットではスルフェートが多く、モルモット、ウサギ、ヒトではグルクロナイドが多く、とくにヒトではほとんどがグルクロナイドであり、二四時間に投与量の約二〇%が排泄された。

(3) 血中には遊離キノホルムも存在し、抱合体との濃度を比較すると、発症し難いマウス、ウサギ、サルで遊離キノホルムの濃度が下廻っているのに対し、発症しやすいイヌ、ヒトでは、毒性のある遊離キノホルムの濃度が無毒化された抱合体を上廻っていた。

(4) 又経口投与後血中濃度が最高になるまでの時間は動物の大きさによって異り、マウスで〇・五~一、ウサギで一~二、サルとイヌで二、ヒトで四~六時間であった。

(5) 一日一回漸増投与による発症実験において、発症時の投与量(mg/kg/day)と血清中遊離キノホルムの最底濃度(μg/ml)との関係をしらべたところ、成犬で一〇〇対六~二二・六、キノホルムを連続投与された母犬から生れた幼犬で七四〇対〇・一~七・三、カニクイザルで一〇〇対二・六~八・八であり、発症し難い動物ほど血中濃度が上り難いことが示された。

一回の投与実験において、投与量(mg/kg)と血清遊離キノホルムの最高濃度(μg/ml)を比較すると、マウスで一〇〇対六、ウサギで一〇〇対〇・六に対し、ヒトでは八対三~六であり、ヒトが他の動物に比べて血中濃度が高まりやすいことが示された。

(6) キノホルムの坐骨神経へのとり込みが、神経切断によって影響をうけなかった。したがってaxonal flowを介してでなく血管系から直接にとり込まれると思われる。

(7) 成熟ラットの中枢へのとり込みが坐骨神経の一~二割であるのに対し、幼若ラットでは五割前後であった。このことからとり込み速度に脳血液関門が関与していることが示された。

(8) ラット及びマウスの胎児後根神経節を血清混合培地で培養し髄鞘形成を終えた時点でキノホルムを含む培地に替えたところ、6~10μg/mlの濃度でミトコンドリアが変性腫脹し、空胞を形成した。この変化は神経線維の末梢から起こり、数日の間に全域に及び、軸索が破壊される。ついで髄鞘も破壊され、神経細胞に同様の変化がはじまった。なお同様の実験により、知覚神経、運動神経及び自律神経を比較すると、自律神経が最も速く変性した。

(9) 摘出標本を用いてキノホルムの作用をしらべたところ、神経の刺激伝達に対する影響は認められなかったが、ウサギ空腸に対し一μg/ml以上の濃度で著しい弛緩作用を示し、自動運動を抑制した。このことはキノホルムが消化管平滑筋に直接作用して非可逆的変化をひきおこしたことを示している。

(三) スモン班昭和五〇年三月二二日総会発生病理分科会報告

(1) 前記立石らのビーグル犬に対する再投与実験の過程において、血清中のキノホルムとその抱合体の濃度が測定され、個体差とともに日差変動も大きいことが明らかになった。この大きなバラツキの主因として腸管からの吸収の変動が考えられるが、その機構は明らかではない。それにもかかわらず、キノホルムの発症までの累積血清中濃度を概算すると275±30(n.mole/ml)×dayとほぼ一定になり、累積の効果が発症に関係することが示された。

一回投与では末梢神経に比べはるかに低濃度にしか入らない中枢神経にも、連続投与によっては末梢神経に匹敵する濃度に分布し、しかも血清中より永く滞留することがわかった。

(2) 炎症や金属塩服用が体内の非抱合キノホルムの濃度を高め、発症を促す可能性を示す知見が得られた。

(3) キノホルムの毒性発現に金属イオンが関与していることを示唆する知見も得られた。

(4) イヌにキノホルムを腸管投与すると、三〇分後から小腸に周期性緊張亢進が現われ、暫く持続すること、この症状が延髄より高位の中枢の興奮によって引き起こされることが確かめられた。これはスモン固有の腹部症状を説明する重要な知見である。

(5) これまでの研究結果から、神経症状発現のためにはキノホルムの過量継続投与が必要条件であることが明らかとなった。

また発症機序としては、キノホルムが金属イオンを伴って神経細胞に入り、過酸化脂質を生成させ、蛋白変性を介してミトコンドリアを空胞変性させると考えられるようになった。

しかし、なぜ頸髄でゴル束が、腰髄で側索が、また末梢神経で末端が優先的に冒されるかは説明できず、またキノホルムの血中濃度を変動させ発症に個体差を生じさせる主因も不明のまま残されている。

(四) スモン班昭和五一年三月一九日総会発生病理分科会報告

(1) キノホルム投与によってラット馬尾の亜鉛濃度が二倍に上昇するが、この上昇は神経の軸索でなく髄鞘で起こっているらしいことがわかった。ウサギにキノホルムの亜鉛キレートを投与すると、キノホルムと亜鉛が別れて行動し神経にとり込まれ、キレートにした効果は認められなかった。またウサギにキノホルムを連続投与すると、三日目から血清銅が上昇し、これと並行して血清セルロプラスミンも上昇した。

(2) キノホルムの抱合体は体内で加水分解されやすいことが確認され、これが非抱合キノホルムの血中濃度を維持する一つの因子と考えられるようになった。

(3) これまで得られた知見により、一応、キノホルムの血中濃度がいろいろな原因で高まると、これに伴って神経中の濃度が高まり、この状態が続くとミトコンドリアの空胞変性による神経の変化が起こると説明できる。しかし、なぜ長い神経の末端が優先的に侵されるかは不明である。さらに金属イオンがキノホルムの毒性発現にどのように係わっているかも今後に残された問題である。

二 神経末端部の病変についての豊倉、立石らの意見

《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。

豊倉、立石、椿、田村らは、長い神経の末端部が先に侵される点につき、末梢神経の末端部、脊髄ゴル束の末端部(頸髄レベル)については、キノホルムが直接侵入することによる傷害のほか、親細胞の存する脊髄後根神経節にキノホルムが強く取込まれていることから親細胞が侵され、代謝障害の結果ニューロンの末端部から変性が始まるいわゆるダイイングバック(dying back)による変性と考えられ、又視束についても、網膜にキノホルムが強く取込まれていることから同様のメカニズムによるものと考えられる旨述べている。

しかし脊髄側索錐体路の病変について明確な説明はなされていない。

第二考察

以上のとおり、キノホルムの毒性やキノホルムの服用により消化管から体内に吸収され、スモンの発症に至る機序が完全ではないとはいえ相当程度解明されており、このような研究成果によりキノホルムとスモンとの関連性がより明らかになったものと考えられる。

第四節その他の病因論について

第一はじめに

スモンの病因については、キノホルム以外に、第二章第一節二項記載のとおり多くの原因が挙げられていた。ところで本件においては、被告田辺は、スモンは井上ウイルスによるものである旨主張し、又被告チバは、農薬による中毒の疑いも考えられる旨主張しているので、これらにつき検討する。

第二感染説―特に井上ウイルスを中心として

一 感染説に有利、不利な事実

《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。

甲野は、当初、スモンに顕われた現象として次のとおり分類していた。

(一) 感染を示唆する現象

(1) 小地域に数年にわたり流行的に発生する。

(2) 特定の工場、鉱山等との関連はない。

(3) 家族内発生は少くない。家族集積性がある。

(4) 院内発生があり、病棟集積性を示した例がある。

(5) 家族内又は院内発生における一次、二次患者の間隔は平均二・五ヶ月で、発生は連鎖的である。

(6) 流行地では患者年令につき侵染度前進現象がある。家族内発生では二次患者の年令は一次患者に比し若い傾向がある。

(7) 職業別罹患率では医療職、事務職に多い。

(8) 夏季に多発し、腹部症状が先行するので消化管感染を疑わせる。

(9) 逐域伝播を思わせる現象がある。

(二) 感染説では説明しがたい現象

(1) 日本独特の病気で、一九五〇年代の後半から新らたに出現したこと。

(2) 小児にきわめてまれで、中年以後の女性に多いこと。

(3) 散発地では伝染を思わしむる事実がない。

(4) 臨床的に、発熱を欠き、血液像、髄液像に特記すべき変化がない。

(5) 病理学的に、神経の軸索変性、脱髄が主病変で、感染症に通常必発する炎症反応がなく、その変性は左右対称的で系統的乃至偽系統的である。その病変は局所解剖学的には、亜急性脊髄連合索変性症に最も似ている。

二 感染説についての研究

《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。

スモンが感染症ではないかとの疑いから多数の研究がなされた。そしてスモン患者からウイルスが分離されたとの研究報告がなされ、その主なものとしては、新宮正久(久留米大学医学部微生物学教室助教授)らによるエコー二一型ウイルス、中沢博士(慶応大学医学部神経科)らによるエンテロ様ウイルス、桜田教夫(北海道立衛生研究所)らによるコクサツキーA2、A4、Bウイルス、井上幸重(京都大学ウイルス研究所助教授)らによるヘルペスウイルス(以下井上ウイルスという)等がある。しかし井上ウイルスについては後に述べるとして、これらのウイルスについては追試によりその存在が確認されず、又病原性が認められない等によりスモンの病因と認められるに至らなかった。又マイコプラズマやその他の細菌についての研究も行われたが、いずれもスモンの病因となるものは認められていない。又甲野はslow virus in-fectionとの仮説を立てたが、これも後記のとおり否定的結果に終っている。

三 井上ウイルス説の根拠

1 井上らの報告

(一) 組織培養法による分離

《証拠省略》によれば、井上、西部陽子(京都大学ウイルス研究所)、木村輝男(大阪市立衛生研究所)らは次のとおり報告していることが認められる。

スモン患者由来の材料をBAT―6細胞に接種し、細胞変性効果をみることによりウイルスの分離を行ったところ、岡山地方の五例のスモン患者の糞便全例から同種の細胞変性効果を示してウイルスが分離され、大阪地方の一〇例のスモン患者の脊髄液のうち八例から同様にウイルスが分離され、北海道地方の二九例のスモン患者の脊髄液のうち二三例から同様にウイルスが分離された。そしてこれらのウイルスは交叉中和試験によって血清学的に同一のものであることが証明された。

(二) 動物実験による分離、病原性

《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。

井上らは、次のとおり、スモン由来のウイルスをマウスに感染させたところ、後肢麻痺を起し、病変がみられた旨報告している。

(1) C57BL/6マウスに脳内接種したところ、二~三週間又はそれ以上の潜伏期をおいて後肢麻痺を起し、病理的に脊髄ゴル索と錐体路に対称性の軸索変性がみられた。

又発症マウスの脳乳剤からBAT―6細胞にウイルスが分離され、発症マウスの脳乳剤を順次C57BL/6マウスに脳内接種することにより継代された。

(2) C57BL/6マウスに腹腔内接種及び皮下接種をしたところ、いずれも二~三週間以上の潜伏期後に後肢麻痺を起し、病理所見も基本的に前記(1)と同じであった。

(3) サイクロフォスファマイド処置をしたd・d・N系成熟マウスに経口投与したところ、二~三週間後に後肢機能障害がみられた。

(三) 井上ウイルスの性状等について

(1) 《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。

井上、西部、木村らは井上ウイルスの性状等につき次のとおり述べている。

(イ) スモン患者の血清の井上ウイルスに対する中和抗体価は、初期においては低く回復期には上昇する。スモン患者の看護にあたった健康な看護婦やウイルス研究者の中に、高い中和抗体価の認められるものがある。このことから不顕性感染が起りうることが証明され、又ウイルスが高率に分離されることと合わせてスモンは免疫不全に伴う持続性ウイルス感染症と考えられる。

(ロ) 井上ウイルスはエーテルに感受性があり、又DAN型に属すると考えられる。

(ハ) これらのことから井上ウイルスは新らしい神経性のスローウイルスと考えられる。

(2) 《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。

井上、西部らは、血清学的試験等から井上ウイルスは鶏伝染性喉頭気管炎ウイルス(I・L・Tウイルス)の変異株と考えられる旨述べている。

(3) 《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。

井上、別所敞子らは次のとおり報告している。

別所によって、井上ウイルスの電子顕微鏡による写真撮影に成功した。それによればその形態は次のとおりである。エンベロープ(外被膜)に囲まれていて、カプシッド(蛋白性殻)は直径が約一一〇nm(ナノメートル)で外形は正六角形である。環状構造をもったカプソメアは外径が約一〇nmで正三角形に配列されており、ウイルス粒子当り一六二個のカプソメアからなっている。その結果、井上ウイルスは形態学的特徴においてヘルペスウイルスの一種である。

2 島田らの報告

《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。

島田らは、井上ウイルスに対する家兎抗血清を用いて螢光抗体法により、スモン患者の脊髄組織中のウイルスの検出を試みたところ、五例のスモン患者の脊髄組織のうち四例に特異螢光がみられ、対照例からは特異螢光はみられず、これによりスモン患者の脊髄組織に井上ウイルスの抗原が確認された。

3 木村らの報告

《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。

木村らは次のとおり報告している。

(1) スモン患者及び非スモン患者の脊髄液をBAT―6細胞に接種して細胞変性効果を検索したところ(一部の検体については京大ウイルス研究所で再検)、定型的スモン一七例中一四例、非定型スモン一二例中九例、スモン疑六例中二例、非スモン三〇例中リンパ球性髄膜炎の三例に細胞変性効果がみられた。そして井上ウイルスの家兎抗血清で中和試験を行い、いずれも井上ウイルスと血清学的に同一のものと確認された。

(2) スモン患者脊髄液由来の九代継代の分離株をC57BL/6新生マウスの脳内に接種したところ、第一回の実験では六匹中三匹、第二回実験では六匹中二匹に後肢の異常がみられた。

4 西村の報告

《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。

西村千昭(北里大学薬学部ウイルス学教室)は次のとおり報告している。

(1) 井上より分与を受けたBAT―6細胞に、同じく分与を受けた井上ウイルスを接種したところ、細胞変性効果がみられ、ウイルスの存在が確認された。

(2) 井上ウイルスに対する家兎抗血清を用い螢光抗体法により、感染されたBAT―6細胞内に井上ウイルスの抗原が確認された。

(3) 鶏卵漿尿膜に井上ウイルスを接種することにより井上ウイルスを培養することができ、これを順次鶏卵漿尿膜に接種し継代培養することができた。

(4) C57BL/6マウスの脳内に、井上ウイルスを培養した漿尿膜の乳剤を接種すると、比較的長い潜伏期の後に典型的な症状が現われた。

(5) 放射性同位元素51Crを使用する免疫溶解法の実験の結果、井上ウイルス感染のBAT―6細胞において産生される膜抗原は、ILTウイルス及びヒトのヘルペスウイルスと部分的に共通する抗原を持つことが証明された。又間接螢光抗体法による実験においても同様の結果となった。

(6) 井上ウイルスに感染した漿尿膜の切片をヘマトキシリン・エオジン染色法により染色すると、何層にも肥厚した上皮細胞の核の中にヘルペスウイルス特有の核内封入体であるcowdry小体を証明することができた。

(7) 感染漿尿膜の血清学的試験により、井上ウイルスとヒトのヘルペス・シンプレックス・ウイルスとは、補体給合反応では共通抗原を持つが、中和反応では全く異質であることが示された。

(8) これらのことから井上ウイルスがヘルペスウイルス群に属する新らしい型のウイルスと考えられる。

5 吉安、井出らによる報告

《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。

吉安克彦、井出幸彦(以上大阪在住の医師)、甲和らは、昭和五〇年一月に発症したキノホルム非服用スモン患者の脳脊髄液をC57BL/6J系新生児マウスに脳内接種及び腹腔内接種をしたところ、脳内接種群五二例中一二例、腹腔内接種群三一例中七例に、二~三週間後立毛、後肢の歩行障害、体重低下等の症状が現われた旨報告している。

そして井上は、右患者の血清(昭和五〇年六月一六日採血)の井上ウイルスに対する中和抗体価を測定したところ四五倍であり、右患者の脊髄液からの井上ウイルスの分離は陽性であった旨報告している。

四 井上ウイルスの追試及びその批判

1 甲野らによる追試及び批判

《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。

甲野らは、井上ウイルスの追試その他の実験結果につき次のとおり報告している。

(1) 井上から分与を受けたBAT―6細胞を用いて岡山及び東京のスモン患者の糞便二七例、脊髄一例からウイルスの分離を試みたが、全て陰性に終った。一〇例のスモン患者の血清につき、井上がスモン患者から分離したagentの代表株である佐藤株に対する中和試験を行ったところ、全て陰性であった。佐藤株にみられた細胞変性効果はマイコプラズマによるものであることがわかった。

BAT―6細胞は、増殖が旺盛である反面極めて脆弱な細胞で、無接種の対照において自発的な細胞の変性崩壊が強く、余程明瞭であるときは別として細胞変性効果が弱い時には判定が困難であると考える。

(2) 青山友三、荻原博(医科学研究所)らと共に、死後短時間後に剖検されたスモン患者につき、患者の血清を用い、脳、脊髄、脊髄後根神経節、大腿神経、視神経及び腸その他の臓器につき間接螢光抗体法で検索したが、特異螢光はみられず、又脊髄及び大便材料を乳のみマウス脳内及び腹腔内継代接種並びにヒト胎児肺及び腎細胞での継代接種を行い、ウイルスの分離を試みたが、全て陰性であった。

(3) 又slow virus infectionの一種ではないかと考え、岡山、東京、三重における定型的スモン死亡例の脊髄などを乳剤として、カニクイザル、マウスなどに接種して約一年間観察したが、何ら発症せず、中枢神経系にもスモンと一致するような変化はみられなかった。

又同じ材料をアメリカのN・I・Hに送り、チンパンジーの脊髄内に接種してもらったが、三年間の観察期間中何らの症状も示さず、病理学的にも変化がなかったとのことであった。

slow virus infectionの中にはスモンの如く炎症反応を欠くものもあるが、その病変ははるかにランダムである。しかしスモンの病変はあまりにも左右対称性の脊髄ないし末梢神経の変性であり、この点は病理学的にウイルス感染症とは考えにくく、少くともウイルスの直接作用とは考えられない。

(4) われわれは、井上ウイルスに対する予防接種その他の宿主対策も、井上ウイルスを社会から一掃するような環境対策も講じたことがないから、もし井上ウイルスが存在するとすれば、感染の連鎖は存続し、とくにキノホルム説が確実になってから患者の隔離はまったく行われておらず、感染のチャンスはむしろ増大しているはずであり、スモン患者の発生は依然と続いていなければならず、かつて感染説を疑わせた最大の疫学現象である集団発生は、以前にもまして起こっていなければならない。キノホルム発売停止措置以後のスモン患者激減と集団発生の消滅は井上ウイルス説の立場からはまったく説明できない点である。

2 永田らによる追試

《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。

永田育也(名古屋大学医学部無菌動物研究施設教授)らは、次のとおり報告している。

(1) スモン患者の糞便、剖検材料、脊髄液から、各種細胞を用いてCP因子の分離を試みたが、継代可能な因子は検出されなかった。

(2) 井上から、井上の分離した佐藤株、BAT―6細胞等の提供を受け、実験したところ、佐藤株の比較的高濃度の接種によりBAT―6細胞に、対照に比べより強い細胞変性を示すことが認められたが、その終末点を求めることはできず、ウイルスや中和抗体価の定量的取扱いは不可能であった。

(3) C57BL/6マウスに井上がスモン患者から分離した渡辺株及びスモン患者の脊髄液を接種したところ、一部に片側後肢の異常が認められたが、これらは一過性で休めばまもなく回復した。又脳、脊髄の病理学的検索を行ったが、対照に比べ明らかに有意な病変は認められなかった。

3 奥野らによる追試

《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。

奥野、高橋(理)らは次のとおり報告している。

(1) 四一例のスモン患者の糞便、一三例のスモン患者の脊髄液を各種細胞に接種してウイルスの分離を試みたが、三代以上継代しうる細胞変性効果は認められず、一〇例のスモン患者の血液を細胞に接種してウイルスの分離を試みたが、全て陰性であり、又五例の血液をカニクイザルに静脈注射して六ヶ月間観察したが、何らの変化もみられなかった。

(2) 井上より、BAT―6細胞及び井上ウイルスの分与を受け、井上の方法により井上ウイルスをBAT―6細胞に接種して観察したが、対照に比べ特異な細胞変性効果は認められなかった。

(3) 人胎児肺細胞に右井上ウイルスを感染させ、電子顕微鏡で観察したが、ウイルス粒子らしきものはみられなかった。

4 多ケ谷らの追試

《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。

多ケ谷勇(国立予防衛生研究所腸内ウイルス部長)らは、昭和四六年度、同四七年度の二回にわたって行った実験結果につき、次のとおり報告している。

(1) 昭和四六年度において、三例のスモン患者の脊髄液(内一例は井上がBAT―6細胞に細胞変性効果を確認したもの)をそのまま又は人胎児肺細胞を二回通過させた後、C57BL/6新生児マウスに脳内接種して三ヶ月間観察したところ、二~三週間後にRunting、立毛、四肢麻痺の症状を示すものがみられ、対照群にはそのような症状を示すものはなかった。しかし異常を呈したものはリッター(同一の母から産まれた一腹の子の一群をいう)当り一又は二匹で、井上の報告の如く高率にはみられなかった。異常を呈するマウスの発生頻度が低いので、接種材料の稀釈に伴う発生頻度の実験、継代実験を行うことが極めて困難であり、スモンの病原因子の存否を定める明確な成績は得られなかった。

(2) 昭和四七年度においても、右同様に三例の脊髄液について実験を行ったが、うち二例について接種後二~三週間後に立毛、Runting、運動障害を示すものが認められ、対照には右症状を示すものは認められなかった。しかし発生頻度は低くリッターに一又は二匹であり、同じ材料を接種してもリッターによっては全く発症しないものもあり、現在までに得られた結果からは、このマウスの発症がスモンの病原と関連しているか否かの判断は極めて困難であった。

5 江頭らによる、多ケ谷らの実験動物の病理組織学的検索

《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。

江頭らは、前記多ケ谷らの実験マウスの病理組織学的検索を行った結果につき、次のとおり報告している。

病原因子接種マウスの少数に脊髄錐体路の髄鞘のL・F・B(luxol fast blue)に対する染色性が弱いものがみられるが、これらの例の軸索には変性は認められず、又接種群のいずれにおいても脊髄後索知覚領域に変化はみられなかった。右実験に用いられた対照群について検索すると、生後一九日例及びそれ以前においては脊髄錐体路のL・F・Bに対する染色性が弱かった。同時に右実験とは別に飼育したC57BL/6系マウスとdd系マウスにつき検索したところ、これらも生後一定時期までは髄鞘特に錐体路部分のL・F・Bに対する染色性が弱かった。

これらの結果を考慮すると脊髄錐体路の髄鞘の弱染性と病原因子接種との間に直接の因果関係を肯定することはできない。

6 桜田らの追試

《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。

桜田、飯田広夫(北海道大学医学部細菌学教室)らは、井上ウイルスの追試結果につき次のとおり報告している。

(1) 井上がウイルスを分離したという二九例の北海道のスモン患者の脊髄液と同一の脊髄液をC57B/6マウスに脳内接種したところ、三検体につきそれぞれ接種したマウスの中に動作緩慢、立毛、振顫、後肢麻痺、体重減少等の症状がみられたものがあったが、病理組織学的検査では特異な変化はみられなかった。右発症マウスと同一の材料を再度C57B/6マウスに脳内接種したが、陰性であり再現性がみられなかった。発症した一例のマウスの脳、肝、脾の乳剤をC57B/6マウスに脳内及び腹腔内接種したが陰性であった。

(2) 井上から分与された渡辺株をC57B/6マウスに脳内及び腹腔内接種したところ、腹腔内接種群五匹の内四匹が発症した。発症した四匹のうち三匹につき病理組織学的検査を行い、病理組織標本をスモン協会議で供覧したところ、白木が、脱髄はみられずおそらくミエリン形成の抑制されたものであろうとの見解をのべた。残った一匹はその後回復し生存し続けた。渡辺株を再度C57B/6マウスに脳内及び腹腔内接種したが、全て陰性であり再現性がみられなかった。

(3) 実験成績では発症頻度がきわめて低く、井上の要請する実験条件を守ったとしても結果的に陰性例が圧倒的に多く、発症マウスの病理組織像に特異的な所見が得られないことからスモンがウイルス感染によるという確定的根拠は乏しい。

7 吉野らの報告

《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。

吉野亀三郎(東京大学医科学研究所教授)らは、昭和五〇年一〇月七~九日に開かれた第二三回ウイルス学会において、西村の方法で井上ウイルスのBAT―6細胞上の細胞変性効果の再現を試み、又同時に鶏卵漿尿膜にも植え、更に継代培養も試みたが、いずれも陰性に終った旨報告している。

8 クレッヒの報告

《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。

スイスのサンガレン(又はサンダレン)ウイルス研究所のクレッヒは、井上から提供を受けた材料により、免疫電顕法等により井上ウイルスの追試を行ったが、ウイルスを検出することはできなかった旨報告している。

9 スモン班における結論

《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。

スモン班では昭和四七年七月二〇日、多ケ谷、江頭、北原典寛(国立予防衛生研究所腸内ウイルス部)、内田信之(同研究所病理部)、甲野、永田、桜田、石井慶蔵(北海道大学医学部教授)らが出席して井上ウイルスの検討会を開き、前記追試結果を中心にし、白木ら多数の病理学者らの意見をも参考に検討した。その結果、追試によるも一定の結果が得られず、その脊髄の病変に関する限りは、神経病理学者の意見によれば、ウイルスを接種しない同日齢の幼若マウスにも同様の所見が見られ、むしろ髄鞘の発育過程の範囲内のものとみなされ、したがってヒトのスモンならびにキノホルム投与による実験的スモンの脊髄病変とは性格が異るとの結論が出され、それに基き前記第二章第一節六、6認定のとおり凍結措置がとられた。

五 感染説についての判断

1 井上ウイルスの存否について

以上のとおり、井上ウイルスについては、西村ら一部の研究者によりこれを肯定する追試がなされたのみであり、多くの研究者からは追試には成功しなかったとか、さらにはウイルスの存在ないしは病原性について否定的な報告がなされている。学問上多数だから正しいとは言えないことは勿論であるが、自然科学上の真実は普遍性を具備することにより証明されるのであり、研究者ならば何人が追試してもそれが確認されるものであることが必要である。したがって井上ウイルスはいまだ普遍性を備えたものとして証明されたとはいえない。

2 臨床、病理面からの検討

臨床面についてみるに前記一、(二)、(4)において甲野の指摘した点が解明されていない。又病理面についてみると、前記スモンの病理像等で述べたとおり、スモンの病変は炎症性でなくて変性であり、左右対称性の系統的ないしは偽系統的であり、病理学上、中毒あるいは代謝障害のカテゴリーの中に入るべきものであって、感染症とは考えにくく、又slow virus infectionと考えるにしても、前記甲野の指摘の如くその病変の分布状態の説明がつかない。

3 疫学面からの検討

(1) 《証拠省略》によれば、緒方正名(岡山大学医学部公衆衛生学教室教授)らは、湯原地区、井原地区の調査では侵染度前進現象がみられた旨、大平昌彦(同大学衛生学教室教授)らは湯原地区の調査で、又島田らは井原地区での調査で、患者の発生は周囲へ拡がっていく傾向がみられた旨それぞれ報告していることが認められる。しかし右証拠によれば、大平らは、湯原地区の調査では、はじめは三〇~五〇代が中心であったのが年と共に次第に上下の年令層に広がっており、特に若年層に移行する現象はみられなかった旨報告していることが認められ、又《証拠省略》によれば、青木らは、名古屋市内におけるスモン発生状況を調査した結果、侵染度前進現象はみられず、一定地域内で発生するが周辺に拡がる傾向はなく、患者間の接触もみられず伝播性は認められなかった旨報告していることが認められる。

結局、甲野が当初指摘した侵染度前進現象や伝播性がスモンに一般的な現象であるとは認められない。

(2) 又家族集積性、病院集積性、地域集積性についても、前記本章第一節第四で述べたとおり、キノホルムとの関連性が認められており、ウイルス等による感染に特有な現象とは認められない。

(3) そして、スモンがウイルス等による感染症であるとした場合、スモンが小児に少いことは何故なのかの解明がなされていない。この点につき高津は「多くのウイルス疾患は成人よりむしろ小児に多い、スモンが小児にないということはスモンが感染症ではなく他の原因によるものである」とまで述べている。又、同様にスモンが外国では少ないことについても何らの説明がなく、これらもともとキノホルム説に向けられた批判はウイルス説等の感染説にもあてはまるものであるのに、何ら合理的な理由は示されていない。

(4) さらに、行政措置以降スモンの発生が激減した事実については感染説によって合理的に説明されておらず、この点は前記甲野が批判するとおりである。

この点につき被告田辺は「不顕性感染により天然の免疫現象が住民に生じ、住民が免疫を得ることによりウイルス性疾患の激減がみられる」旨主張し、《証拠省略》によれば、西部が同旨のことを述べているが、右の如き免疫現象が生じたとの事実を認める証拠はなく、かつ前記認定の行政措置後のスモン発生の激減状況及びその後終熄に至った事実をみた場合、合理性のある主張とは考えられず、キノホルム説の方がより合理的である。

(5) 以上のとおり、井上ウイルス説を始めとする感染説はとうてい採用し得ない。

第三その他の中毒説等について

《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。

農薬中毒説については、甲野、椿らは、スモンは農民に多発することなく発生地域が都会に多いことから農薬による直接的被害とは考えられないと述べており、江頭は、動物実験の結果に基き、又平木潔(岡山大学医学部第二内科教授)らは、人の血清中の有機塩素剤等の測定結果から、それぞれスモンと農薬との関連性を否定している。重金属説については、甲野、椿らは、スモンと特定の工場との関連はなく又重金属によるとの確証もない旨述べている。又病理所見から説明されやすいとされているビタミン欠乏、代謝障害についても、現在の食糧事情からは考えにくいとされており、アレルギー説についても何らの確証もないとされている。

以上のようにこれらの説は、いずれもスモンとの関連が明確にされておらず、仮説の域にとどまっているものもあり、又本件においても立証はない。

第四総括

以上検討してきたとおり、井上ウイルス説をはじめとするキノホルム以外の病因論は、いずれも合理的な理由に欠け、スモンの病因とは考えられない。

第五節結論

以上種々検討してきたとおり、疫学的調査、研究の結果、キノホルムとスモンとの間の因果関係が相当高度の確率で推認され、キノホルム投与実験動物に現われた症状、病理所見がヒトのスモンの臨床、病理所見に極めて類似していることが確認され、又発症機序に関する研究においても、未だ完全とはいえないにしてもキノホルムとスモンとの関連性が相当程度解明されているのであって、これらを総合すればキノホルムとスモンとの因果関係は充分これを認めることができる。

第四章被告らの責任

第一節被告会社らの責任

第一被告会社らの行為

被告会社らがいずれも医薬品の輸入、製造、販売を目的とする会社であること、昭和二八年以降被告チバが別紙キノホルム剤製造許可等一覧表4乃至9記載のキノホルム剤を輸入、製造し、これを被告武田を通じて販売し、被告武田が同表4乃至9記載のキノホルム剤を販売し、被告田辺が同表1乃至3記載のキノホルム剤を製造、販売し、被告丸石、同岩城、同保栄が、キノホルムを小分けの方法により製造してこれを販売したことは当事者間に争いがない。

又被告田辺が立石製薬株式会社をしてキノホルム原末を製造させ、これを他の薬品会社を通じて被告保栄、同丸石、同岩城に供給していたことは後記本節第二、四認定のとおりである。

第二注意義務

一 注意義務の根拠

《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。

医薬品は、それが持っている生理活性作用を利用し、疾病の予防、治療等を行うことをその目的としているものである。しかし医薬品特に化学合成医薬品は、本来的に生体にとっては異物であり、有用な作用を有する反面、人にとって有害な作用を伴う危険性を内包しており、「両刃の剣」的性格を有している。そして医薬品は、人の生命身体に直接的な関わりあいを持っていることから、人の生命身体を侵す危険性を有している。又現代において医薬品は大量に消費されているが、一般消費者は、医学、薬学等の専門的知識を有しないため、医薬品の効果は勿論のこと、その安全性を判定する能力を欠いており、医薬品の選択は、医師の処方、指示、薬剤師の助言にゆだねられており、無防備な状態におかれている。そのため医薬品がその安全性を欠いていた場合、広範囲の消費者がその生命、身体に重大な被害を受けることとなり、その結果の重大性は計り知れないものがある。

これらの事情に照らせば、医薬品の製造業者は、その時点における最高の知識と技術水準をもって医薬品の安全性を確保すべき義務を課せられているものといわねばならない。

二 注意義務の内容

1 予見義務

右医薬品の安全性確保のためには、製薬会社は、まず、当該医薬品が人の生命、身体に及ぼす影響につき調査、研究し、その安全性を確認すべきものといわねばならない。

即ち医薬品の製造、販売を開始するにあたっては、当該医薬品、同種の医薬品ないしその類縁化合物について医学、薬学その他関連諸科学の分野での文献、情報の収集、調査を行い、又動物実験、臨床試験等を行うべきであり、製造、販売開始後も常時右同様の文献、情報の収集、調査を行い、当該医薬品の臨床使用の結果につき追跡調査を行い、副作用の存在が疑われるような場合には、その事案に応じ再度、動物実験その他の試験や各種の調査研究を行い、医薬品の安全性を確認すべきである。

2 結果回避義務

右調査、研究の結果、当該医薬品について副作用の存在あるいはその存在について合理的な疑いが生じた場合は、その副作用による被害の発生を防止するため適切な措置をとらなければならない。そしてそのとるべき具体的な措置は、当該医薬品の有用性に照らして決定されることとなるが、それには、副作用の公表、適応症、用法、用量の制限、医師や一般使用者への警告や指示、製造、販売の中止、製品の回収等がある。

三 小分け業者の注意義務

薬事法上、医薬品の製造とは、原料を一定の操作により変形若しくは精製して医薬品を作る、既製の医薬品等を調合して医薬品を作る、既製の医薬品を品質を変えることなく他の容器、被包に分割充填する小分け等をいうものとされており、右の全てを一貫して行う行為も又その内の一部分を行う行為も何ら区別せず製造行為として同一に規制している。これは法が、医薬品が流通におかれる前段階までをとらえその安全性を確保しようとすることによるものと解される。したがって医薬品の製造業者としての安全性確保の義務は、右の全てを一貫して行う者と小分けのみ等その一部分を行う者とで何ら区別されるべきではなく、小分け業者も製造業者としての注意義務を課せられているものと解される。

したがって被告保栄、同丸石、同岩城らは、小分けの方法によって製造、販売したキノホルムにつき製造業者としての注意義務を負っているものといわねばならない。

四 被告保栄、同丸石、同岩城の製造、販売にかかるキノホルムについての被告田辺の注意義務

《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。

昭和二一年八月、厚生省東京衛生試験所の技手であった篠崎好三が、同試験所が有していたキノホルムの製法特許権の実施権と製造用機械等を譲り受けて八州化学株式会社に入社し、昭和二三年四月より同会社においてキノホルムの製造販売が開始された。昭和二七年頃三沢敬義、野上寿(以上東京大学教授)らがキノホルムにC・M・Cを添加した乳化キノホルムの製造方法を開発して製法特許権を得たが、八州化学株式会社はその実施権を得て昭和二八年二月頃からキノホルムと共に乳化キノホルムの製造、販売を始めた。ところで八州化学株式会社は昭和三〇年四月倒産したが、被告田辺は、八州化学株式会社の債権者らの要請により同会社の債務整理資金を捻出するため、八州化学株式会社の工場、設備一切を賃借し、同会社の主力製品であったビタミンB1、キノホルム、乳化キノホルムを製造することとなった。そしてその方法として被告田辺は、同年一一月、資本金五〇〇万円を全額出資し、東京支店長らがその取締役等となって立石製薬株式会社を設立し、同会社をして前記八州化学株式会社立石工場の工場設備一切を使用してビタミンB1、キノホルム、乳化キノホルムを製造させ、その全量を被告田辺が購入することとした。被告田辺はこのようにして得たキノホルム、乳化キノホルムの一部を他の製薬会社等に販売すると共に自らもエマホルム等のキノホルム剤の製造販売を行ってきた。

被告保栄は、昭和三三年一一月以降、繁和産業株式会社から、被告丸石は昭和三二年末以降金剛薬品株式会社から、被告岩城は互栄商事株式会社からそれぞれ前記のように被告田辺が販売したキノホルム原末を購入し、これを小分けの方法で製造し販売していた。

右認定の事実によれば、立石製薬株式会社は、被告田辺の全額出資による会社であり、右事実とその設立の経緯に照らせば、被告田辺が経営その他全ての面で支配しているものと考えられ、形式上被告田辺とは法人格が異るものの実質上は被告田辺と同一体と考えられ、いわば被告田辺の一工場ともいえる関係にあったものと考えられる。したがって被告田辺は、立石製薬株式会社の製造にかかる医薬品につき、製造業者としての注意義務を負っているものと解される。そうすれば被告田辺は、被告保栄、同丸石、同岩城らが小分けの方法により製造し販売したキノホルムにつき、製造業者としての注意義務を負うものといわねばならない。

五 被告武田の注意義務

《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。

被告武田は、医薬品等の製造、販売を目的とする我が国最大の製薬企業である。ちなみに資本金の額は昭和四七年九月当時約二四六億円で、又同年四月から九月までの売上高は約九三七億円であり、売上高においては常に二位の企業の約二・五倍に達している。そして医薬品に関する研究施設を有し有能な研究者をそろえている。

被告武田の前身である武田長兵衛商店(以下、同商店時代を含め被告武田という)は、大正二年(一九一三年)関西における全チバ製品の特約店となり、同一一年(一九二二年)全チバ新薬の日本における総代理店発売元となった。昭和一三年(一九三八年)になり、昭和二年(一九二七年)以来スイス・チバ社から原料を移入して被告武田において製造、販売してきた契約を一歩進め、ヴィオフォルム等につきマイス・チバ社の日本における製造権を被告武田に移譲し、日本の原料により被告武田が製造販売することとなった。

昭和二八年(一九五三年)三月三一日、被告武田は、被告チバ(当時はチバ製品株式会社)と、チバの医薬品につき製造契約を結び、右契約に基き、自らエンテロヴィオフォルム「チバ」等キノホルム剤につき厚生大臣の製造許可を受け、被告チバの委託により、被告チバから原末の供給を受け、規格等全て被告チバの指示を受け、打錠、小分け等の方法によるキノホルム剤の製造を行い、後記配給契約に基きこれを販売するようになった。

又被告武田は、右同日付で被告チバと、チバの医薬品の日本における配給人になる等を内容とする配給契約を結び、それにより事実上日本における一手配給人としてチバの医薬品を独占的に販売するようになった。そして昭和三三年(一九五八年)三月一日、右契約を実情に合わせて修正し、被告武田がチバの医薬品の日本における一手配給人となる等を内容とする契約に改められた。これにより、チバの医薬品は被告武田を通じてのみ販売されることとなり、被告チバ自身も日本国内で自らはこれを販売することができない関係になり、被告武田はチバの医薬品を独占的に販売することとなった。

その後昭和三五年(一九六〇年)末に被告チバが宝塚工場を新設し、キノホルム剤の製造を開始したため、昭和三六年四月頃、被告武田によるキノホルム剤の製造は中止され、それ以後被告武田は、キノホルム剤に関しては、被告チバの製造にかかるものの販売のみを行ってきた。

被告武田は、被告チバ製造にかかるキノホルム剤の販売に関し、能書等に、製造者としての被告チバの社名と並べ販売者として自社の社名を表示し、又宣伝雑誌「武田薬報」でキノホルム剤の宣伝を行ってきた。

以上認定の事実によれば、被告武田は、被告チバとの密接な関係のもとに我が国最大手の製薬企業として、その販売網を通じ、被告チバの製造にかかるキノホルム剤を、販売者として自社の名を表示して独占的に販売してきたものであり、被告チバ製のキノホルム剤に関しては単なる中間流通業者といったものではなく、実質上は被告チバと一体の関係にあり、製造業者と同一視しうる地位にあったものというべきである。そうすれば被告武田は被告チバ製造にかかるキノホルム剤につき製造業者と同様の注意義務を負っていたものといわねばならない。

六 国の関与と製薬会社の注意義務

医薬品の安全性の確保は実質的には本来製薬企業が行うべきものである。ところで国は、薬事法の制定、それに基づく厚生大臣の公定書の公布、医薬品の製造承認(許可)等の薬事行政によってこれに関与しており、厚生大臣は薬事行政を行うにつき国民に対し医薬品の安全性を確保すべき義務を負っている。しかしこれは、国民のために医薬品の安全性につき、その万全を期するため、企業とは別個独自の立場で行うものであり、厚生大臣の行為は企業との関係においては行政上の監督権の行使にほかならない。そして又公定書への収載、製造承認(許可)は医薬品の安全性を確定する行為ではない。したがって製薬企業において製造した医薬品が公定書に収載されているものであったり、厚生大臣の製造承認(許可)を得ているからといって、それにより製薬企業の注意義務が軽減されたり又免除されたりするものではない。

七 医師の介在と製薬会社の注意義務

被告会社らは、本件スモンの罹患は、医師がキノホルム剤を大量かつ長期にわたって投与したことに原因があり、全て医師の責任であり、被告会社には責任はない旨主張する。

医師は、その専門的知識に基き、個々の患者の症状に応じ、それに適応する医薬品及びその用法、用量を決定し投与するものである。この意味で医薬品についての最終的責任は医師にあるともいえる。しかし、だからといって医薬品の副作用について製薬会社に何らの責任も生じないとはいえない。製薬企業が、医師の投薬によって生じた患者の生命、身体に対する障害について責任を免がれうるのは、予測し得た副作用を公表し、使用上の注意、過剰投与による危険性等副作用発生防止のための指示、警告を適切に行っていることを要し、それにもかかわらず医師がこれを無視した場合に限られると解される。ところで本件において被告会社らが何ら右のような指示、警告をしていないことは、後記本節第五、三記載のとおりである。

したがって指示、警告等の注意義務を果たさず、一方的に医師の責任であるとする被告会社らの主張は失当である。

第三責任判断の基準時

後記認定のとおり本件原告らのうち最も古くキノホルムを服用してスモンに罹患したのは原告堀江美保子(原告番号一〇八番)であり、同原告がキノホルム剤の服用を始めたのが昭和三八年三月一五日であるから、右時点における被告ら(被告会社ら及び被告国を含めて)の責任が認められれば、その余の原告らに対する責任も認められるので、右時点を基準時として責任を判断することとする。

第四予見可能性

一 予見の対象

前記のとおり医薬品特に化学合成医薬品が「両刃の剣」的性格を有し、有効な作用のほか有害な作用をも及ぼす危険を本来的に内包しているものである。したがって予見可能性の対象を、人の生命、身体に対する何らかの危険で足りるとするならば、常に予見可能性があることとなり、かくては無過失責任を課するのと同じ結果となり、ひいては医薬品そのものの否定につながりかねず妥当なものとはいえない。

他方、医薬品の作用が多面的であり、未知の部分が多く、又病理機序にも未知な部分が多いことに照らせば、予見の対象を具体的に発生した障害そのもの―本件ではスモンそのもの―に限定するならば、医薬品の副作用の殆んどにつき予見が不可能であったとされることが予想され、かくては製薬会社に対して責任を問うことは殆んど不可能となり当を得たものとはいえない。

結局、具体的事案に照らして正義、衡平の見地から判断するほかないが、一般的にいえば、その対象を、現実に発生した障害そのものに限らず、これと関連のある障害とするのが合理的なものと考えられ、これを本件についていえば、前記認定のスモンの臨床、病理像に照らし、予見の対象は神経障害であると解するのが相当である。

二 責任判断基準時における神経障害の予見可能性

1 キノホルム開発の過程

《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。

キノホルムは、キノリン誘導体の一種でキノリン核を母体としてその八位に水酸基(OH)、五位に塩素(Cl)、七位にヨー素(I)を導入したもので、その化学構造は第二章第三節で認定したとおりである。そして解熱・殺菌作用を有することからマラリアの特効薬として使用されてきたキニーネの右作用がキノリンにあることが確認され、次いでキノリンに水酸基を導入することにより殺菌作用が増強されることが判り、その八位に水酸基を導入した8ハイドロキシキノリン(8オキシキノリン、ナキシンともいわれる)が合成され、そしてハロゲン化(塩素、ヨウ素等のハロゲン元素を導入すること)されたフェノール、例えばパラクロールフェノールがフェノールよりも強い殺菌作用を有することが知られていたことから、その原理が応用され、その五位に塩素が導入され、七位にヨー素を導入し、ヨードホルムに代る外用の消毒剤としてキノホルムが開発されたものである。

2 キノホルム及びその類縁化合物の副作用に関する報告、文献の検討

(一) キノホルムのヒトに対する神経障害に関する報告文献

(1) テルングの報告。スイス医師通信誌一八巻五号、明治四一年(一九〇八年)

八才の少女の卵巣腫瘍摘出手術後にヴィオフォルムガーゼを使用したところ、ひどい興奮と見当識喪失におちいったが、右症状はヴィオフォルム中毒と考えられる。

右報告は、大正五年(一九一六年)に陰山(東京日本赤十字社本社病院外科)により、治療薬報同年一一月五日号の「小児外科とヴィオフォルム」によって我が国にも紹介されている。

(2) P・B・グラヴィッツの報告。ラ・セマナ・メディカ四二巻七号、昭和一〇年(一九三五年)、「アメーバー症の治療における新らしいオリエンテーション」

一五三例のアメーバー症患者に対し、〇・五gのヴィオフォルムを一日三回三〇日間投与した。主な副作用は便秘であり、便秘の結果として心悸亢進、痛み、膨満等の不快を伴なった鼓腸が起きることがある。いくつかの症例では激痛を伴った結腸炎の発作、嘔吐を伴った胃の発作が観察された。一例において横断性脊髄炎に似た下肢の麻痺及び聴力低下の症状が観察された。これは一つの孤立例であり、他の原因に帰することができる偶然の一致で、患者の薬物不耐容性に帰することができるものではないにしても、これについて前もって注意し、同時に患者に指示を与えれば役に立つであろう。

(3) E・バロスの報告。ラ・セマナ・メディカ四二巻一二号、昭和一〇年(一九三五年)「増えゆくアメーバー」

前記グラヴィッツの報告症例を診断した結果についての報告として、次のとおり述べている。

その患者は三一才の既婚女性で過去に腸の病変はなかった。第一子出産後約二ヶ月経った退院時の一九三四年八月二〇日、ヴィオフォルム〇・五g入りオブラート包九〇包を一日三包という方法で投与を受けることになった。服用開始三日後に胃痛、嘔吐、頭痛そして少しのちに足のしびれ感(足がまるで死んだような気持)が現われた。一〇日後に投与を中止したところ軽快したが、異常知覚は残った。七日後に投与を再開したところ、数日後嘔吐と腹痛を伴って反応したため服用を中止した。それにより軽快したが、足は常に重い感じが続いていた。九月二一日に服用を再開したところ、腹痛と下肢の知覚及び運動障害が増悪し、日増しに悪化し、足をひきずり、歩行のために壁によりかかって身体を支えなければならず、幼児を抱いたまま四回も床に転倒した。治療を中断したが今回はほとんどよくならないので医師は強壮剤の服用を勧めた。九月二八日服用を再開し、一〇月三日に処方された全部の服用を終えた。少しづつ下肢の弛緩は消えてゆき、一〇日後には著しい痙攣性の歩行ができるようになった。一一月一〇日、発熱し数日間続き私(バロス)の診察を受けた。その結果、痛覚減退、両下肢の腱反射亢進、両足及び両膝のクローヌス、腹部皮膚反射の消失、バビンスキー高度陽性並びに少ししてからの拘縮を認め、又相当の栄養失調と一過性であるが尿中の糖分の存在を認めた。そこで脊髄炎と診断した。この症例は、私から直接製薬会社に伝えられ、会社からは、情報提供に感謝し、医師に対し能書に示された投与量を超過しないよう勧告すべきであるとの返事がきた。この症例では感染症的因子は関与していないように認められ、妊娠もその原因から除外される。

重症度は、はるかに軽度であるが、右症例と非常に良く似ている四五才の男性の症例がある。右症例と同様の治療を受け、不全対麻痺及び糖尿を伴う類似の知覚異常が現われた。

ヴィオフォルムは、ヨードフォルムの代用物であり、ヨードフォルム以前には毒性学において重要な薬剤であった。したがって我々は実験による研究をなすに値する新らしいタイプの中毒に直面している。

(4) 水間圭祐、今井信子らの報告。日本皮膚科学会雑誌第七〇巻昭和三五年。

腸性末端皮膚炎に罹患した四才の女子に、初診時よりエンテロヴィオフォルムを投与したところ、一年後に軽快したが、その間に不全麻痺性歩行と視神経萎縮による視力障害をきたした。脳波、脊髄液、頭部単純撮影に異常はなかった。歩行及び視力障害と皮膚の一連の症状に就いての確然とした関係は解明し得なかった。

(二) キノホルムの動物に対する神経障害に関する報告、文献

《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。

動物と人間との種属差により、動物に現われるが人間には現われない作用、また反対に動物には現われないが人間に現われる作用があり、また、動物実験では主観的症状を確認することは不可能であり、期間、数に限度があることから長期間服用することによって起る副作用や、きわめて稀に起る副作用を見おとすことがある。したがって動物実験の結果から、人に対する副作用の全てを予測することは極めて困難である。しかし他方動物実験は、医薬品の人に対する作用を知るための重要な手段であり、医薬品の効果や毒性を確かめるために広く用いられている手段であり、今日、医薬品の開発過程において動物実験を行うことは至上命令となっている。

以上の事実に照らせば、動物実験によって現われた有害な作用は、種属差を理由にこれを無視することはできず、人に対する有害作用を予測する重要な資料となるものである。

キノホルムの動物に対する神経障害に関する報告、文献としては次のものがあった。

(1) アレマン(スイス・チバ社)の報告。「サパミン及びヴィオフォルムの合剤(エンテロヴィオフォルム)に関する研究」昭和一四年(一九三九年)

急性毒性試験の結果につき、純粋のキノホルム、ヴィオフォルム、エンテロヴィオフォルムをそれぞれ投与された九匹のネコに、下痢、痙攣、振顫、呼吸促進、もうろう状態、無欲的状態、よろめき歩行、硬直性、動揺性歩行、不確実な歩行等の症状が現われた。

(2) ベルモンら(スイス・チバ社)の報告。「ウサギに対するブロムクロルオキシキノリン及びエンテロヴィオフォルム製剤の毒性」昭和一九年(一九四四年)

これらの薬品をウサギに投与した結果、程度の差はあっても全て毒性がある。中毒像に関する明白な相違は存在しない。外面的な中毒症状はただまれにしか現われない。そして大抵、麻痺症状として発現する。

(3) トリポら(スイス・チバ社)の報告。「毎四半期品質検査・ウサギにおける経口的毒性の検査」昭和二七年(一九五二年)

ウサギにキノホルムを投与したところ、数日後に食欲の減少及び全身の感覚鈍麻からなる中毒症状が現われた。

(三) キノホルムの試験管内実験での神経毒性報告

M・J・ホーグの報告。「抗アメーバ薬の組織培養細胞に対する作用についての研究補遺」昭和九年(一九三四年)

ヴィオフォルムその他の抗アメーバー薬の試験管内で培養した鶏胚消化管組織に対する作用についての実験を行ったところ、ヴィオフォルムについて一、〇〇〇分の一、一〇、〇〇〇分の一、五〇、〇〇〇分の一の希釈度液を用いたが、いずれの濃度においても神経を死滅させることが確認された。

(四) キノホルムの類縁化合物のヒト又は動物に対する神経障害に関する報告、文献

《証拠省略》によれば、合成医薬品の薬理作用を考えるにあたり、類似の化学構造を有する薬物は類似の作用を有するとの一つの原則があることが認められる。他方《証拠省略》によれば、わずかな化学構造の変化によりその作用が大きく変ることがあることが認められる。

キノリン誘導体についてみると、《証拠省略》によれば、パマキンのマラリア作用につきキノリン核を毒作用基とし、側鎖は結合基と考える説のあることが高木敬次郎(東京大学教授)らにより紹介されており、ケーザーは、オキシキノリン誘導体は潜在的に神経毒であるとし、その理由の一つとしてよく似た構造を持つ4アミノキノリン即ちクロロキンの投与により神経筋障害と網膜障害を起すと述べ、またランセット誌では、ハロゲン化ハイドロオキシキノリンの投与により視神経萎縮をきたしたとの報告は、クロロキンやその他の4アミノキノリン類の投与により不可逆的な網膜症がおこることから何らおどろくべきことではないと述べられ、熊岡も薬理学上の経験則によりキノリンやその誘導体であるオキシキノリン類、アミノキノリン類の神経毒性報告からキノホルムの神経毒性は予測できた旨述べていることが認められ、又第二章第一節の五で認定のとおり行政措置が行われた際、中央薬事審議会は、キノホルムと共に8ヒドロキシキノリンのハロゲン誘導体の販売停止を答申し、国も8ヒドロキシキノリンのハロゲン誘導体であるプロキシキノリンの販売停止措置を行っている。また《証拠省略》によれば、キノホルムと同様のハロゲン化8ハイドロオキシキノリン誘導体であるジョードキン(5・7ジョード・8ハイドロオキシキノリン)、キニオフォン(ヤトレン、5スルホン酸・7ヨード・8ハイドロオキシキノリン)、プロキシキノリン(5・7ジブロム・8ハイドロオキシキノリン)は後記のとおりいずれも8ハイドロオキシキノリンの五位、七位にハロゲン原子が導入されており、その化学構造はキノホルムに類似しており、これらはキノホルムとその作用において共通性を有していることが認められる。他方《証拠省略》によれば、アルバートは、8ハイドロオキシキノリン類の生物活性は、キノリン核の八位に水酸基を有することに由来するとの趣旨のことを述べており、R・リヒターは後記のとおり8アミノキノリン類の神経毒性は、側鎖の種類と配置に影響されると述べており、C・C・スミス、L・H・シュミットらは、一〇〇種を超える8アミノキノリン類のサルにおける薬理特性を研究した結果、惹起された中毒反応の型は主として側鎖の構造に依存し、ごく少数の例外を除いて核置換と無関係であった旨述べていることが認められる。

右認定の事実によれば、一般に類縁化合物の副作用報告のみから当該化合物の副作用を予測すること、特に本件においてはアミノキノリン類の神経障害報告のみからキノホルムの神経障害を予測することは困難であると考えられるが、少くとも類似の副作用の発現を疑わせるに足る資料となる。そして特に右認定の事実に前記認定のキノホルム合成の過程、後記オキシキノリンのハロゲン化の影響に関するアンダーソン、デービッドらの報告を総合すれば、キノリンからオキシキノリン類(特に8ハイドロオキシキノリン)更にはハロゲン化8ハイドロオキシキノリン類へとその化学構造がキノホルムに近づくにつれ、それら類縁化合物の神経障害報告はキノホルムの神経障害の発現の疑いをより強くしていくもので、特にハロゲン化8ハイドロオキシキノリン類の神経障害報告はキノホルムの神経障害の発現を強く推測せしめるものと考えられる。

そしてキノホルムの類縁化合物のヒト又は動物に対する神経障害に関する報告、文献として次のものがある。

なお《証拠省略》によれば、これらキノホルムの類縁化合物の化学構造は別紙化学構造図のとおりであることが認められる。

○キノリン

(1) A・ビアック、G・ロイマンらの報告。アルヒフ・フェル・パトロギッシェ・アナトミイ・ウント・フィジオロギー・ウント・フェル・クリニッシェ・メディツィン六八巻、明治一四年(一八八一年)

「キノリンの生理作用に関する実験」

家兎にキノリンを経口投与又は皮下注射してその作用を調べた。

〇・二~〇・三gの投与で既に毒作用が認められる。その顕著な所見としては活動力の低下である。即ち殆んどの場合、疲労、知覚の鈍化、更には反射機能の大巾な低下が認められた。投与量〇・六~一gという場合には完全な麻痺状態に陥りあらゆる反射機能を失い、虚脱状態で死に至り、或は数時間後に死亡した。

(2) R・ハインツの報告。右同書一二二巻、明治二三年(一八九〇年)「ピリジンとピペリジン、キノリンとデカヒドロキノリン」

キノリンはピリジンおよびピペリジンと全く類似した作用をもっている。これらの化合物は一方では中枢麻痺をきたし、他方運動神経の機能を著しく低下させる。キノリンはピリジンよりも著しく強い神経作用をもっている。

(3) R・ストックマンの報告。ザ・ジャーナル・オブ・フィジオロジー一五巻、明治二七年(一八九四年)「キノリン、イソキノリン及び若干のそれらの誘導体の生理的作用」

キノリンの作用はしばしば研究されてきた。これは強力な消毒剤および解熱剤であり、また中枢神経系を抑制する。キノリンおよびイソキノリンについてカエルおよびウサギに対する比較実験を行った。その結果、両アルカロイドの酒石酸塩二・五㎎は、カエルの脊髄の著明な抑制をおこすのに十分で、さらに大量は脳および脊髄の両者を抑制し、きわめて軽度の反射亢進がこれに続いた。心臓および運動神経はきわめて大量によってのみ影響される。

(4) 高瀬豊吉。「化学構造と生理作用」昭和一六年(一九四一年)

キノリンは中枢神経を刺戟し後麻痺する、ことに延髄において明らかであり、そのため呼吸および血圧を始め亢進し後抑制する。

(5) 杉原徳行。「薬学用薬理学」昭和一三年(一九三八年)

キノリンは、中枢に対して始め興奮的に、後に麻痺的に作用する。また知覚神経麻痺の傾向を有するけれども著しくない。

○ハイドロキシキノリン類

(1) 杉原徳行。「薬学用薬理学」昭和一三年(一九三八年)発行

水酸化キノリン(ハイドロキシキノリン)の中枢作用は、キノリン同様に、概して始め興奮、後に麻痺作用を呈するが、基の作用の型には多少の相違がある。作用度は概してキノリンに比して強く、しこうして各異性体によって差違がある。末梢作用は原形質作用によって、知覚神経に対し始め刺戟的に、後麻痺的に作用する。即ち疼痛性麻痺の現象を呈する。

(2) 高瀬豊吉。「化学構造と生理作用」昭和一六年発行

一般にハイドロキシキノリンの毒性は、キノリンに比し強いが、水酸基の位置によりその作用の性質及び強度に相違がある。8ハイドロキシキノリンは極く少量でも中毒症状を来す。中枢神経の抑制は2ハイドロキシキノリンが優り、8ハイドロキシキノリンは多少初期に刺戟がみられる。

○ハロゲン化8ハイドロキシキノリン類

(キノホルムを除く)

(1) H・H・アンダーソン、N・A・デービッドらの報告。実験生物医学会会誌二八巻、昭和六年(一九三一年)「生物学的作用に対するオキシキノリンのハロゲン化の影響」

オキシキノリン、硫酸オキシキノリン(キノゾール)、クロールオキシキノリン、ヨードオキシキノリンスルフォン酸ナトリウム(キニオフォン)、ヨードクロルオキシキノリン(ヴィオフォルム)、塩酸ジエチル・アミノ・ジメチレン・ハイドロオキシ・ヨードクロールキノリンについて、モルモット、家兎、ネコに経口投与した場合の毒性及びその他の作用についての研究をした。

毒性は、オキシキノリンのハロゲン化につれて、また、そのハロゲン原子量に比例して増大することが認められる。つまり、クロールオキシキノリンはオキシキノリンより多少毒性が強く、ヨードオキシキノリン化合物は塩素含有オキシキノリン化合物よりやや強い毒性を持つ。オキシキノリンにヨウ素と塩素の両方を加えるとかなり毒性が増すが、そのうえさらに可溶化基を加えると毒性が多少減少する。同様に、自然に感染したモルモットにおける殺バランチジウム作用はオキシキノリンのハロゲン化が高まるにつれて強まるようである。しかし、試験管内における殺アメーバー作用に関してはこれら一連の薬剤の化学構造との間にはこれと同様な関係はないようである。

右報告の結果については、高瀬豊吉著「化学構造と生物作用」(昭和一六年発行)にも紹介されている。

(2) シューベルの報告。クリニッシェ・ウォヘンシュリフト三巻八号大正一四年(一九二四年)「ヤトレンの毒物学について」

〇・四%の濃度のヤトレン溶液にウグイを入れると三〇秒後に強い興奮が確認され、それはすぐに麻痺状態になり、側位あるいは背位に移行した。

カエルにヤトレンを〇・二四g/㎏(致死量)以上投与すると二〇~二五分後に呼吸困難、呼吸停止、不穏、逃走企図、後肢の麻痺等を起した。

ハツカネズミにヤトレンを投与すると呼吸困難、運動失調、四肢の麻痺を起した。

(3) D・N・シルバーマンらの報告。アメリカ医師会雑誌昭和二〇年(一九四五年)八月一一日号「ジョードキンの毒性作用」

ジョードキンを投与したアメーバー症患者三例に毒性反応がみられた。

一例はフルンケル(腫)が出現し、他の一例では重い全身性の症が発生し、もう一例では咽喉痛及び悪感を訴え、細かい皮膚発疹が現われ、これは急速に全身におよぶ斑点のある発赤となった。これらはいずれもジョードキンが原因と考えられる。

○アミノキリン類

(1) A・S・オーヴィングらの報告。ザ・ジャーナル・オブ・クリニカル・インベスティゲーション二七巻昭和二三年(一九四八年)「クロロキンの慢性毒性に関する研究」

クロロキンを各二〇名からなる二グループに、第一グループは七七日間毎日〇・三g、その後は一週一度〇・五g投与し、第二グループには一週一度〇・五g投与したところ、第一グループに視力障害、頭痛、白髪化、体重減少が起った。

(2) I・G・シュミットらの報告。神経病理と実験神経雑誌、昭和二三年(一九四八年)一〇月、「8アミノキノリンの神経毒性・プラズモシドの投与によって惹起された赤毛ザルの中枢神経系統における障害」

赤毛ザルに、8アミノキノリンの誘導体であるプラズモシド(6メトキシ8(3ジエチルアミノプロピルアミノ)キノリン)を適当量投与したところ、規則正しく、極度の知覚過敏、眼球震盪、瞳孔反応の消失、めまい、運動失調、歩行困難症、ジスエルギーおよびディスメトリアを生じ、またしばしば斜視と明らかな視力の消失を惹起した。

(3) R・リヒターの報告。神経病理と実験神経学雑誌昭和二四年(一九四九年)四月、「猿の神経系に対するある種のキノリン化合物の作用」

プラズモシドを五匹のサルに投与したところ、初ず平衡障害が現われ、後には、立ち上ることも、坐ることも、歩くこともできなくなった。又いずれも眼振が明瞭で、上下左右あるいは廻転する眼振様振動が持続し、二~四日目に一匹を除いたその他の猿に瞳孔の異常が現われ、又膝蓋腱反射は鋭敏になった。解剖学的に、動眼神経、滑車神経、外転神経、前庭神経および蝸牛神経の諸神経核と薄束核、楔状束核、小脳の深部核、黒質およびある種の視床核に変化がみられた。

プラズモキン・スルファを三匹のサルに投与したところ、頭と四肢の振顫、眼瞼下垂、内斜視、眼球運動麻痺などが現われた。解剖学的には、動眼神経核、滑車神経核および外転神経核は常に損傷を受け顔面核、舌下核は比較的稀に損傷を受ける。

右実験結果およびその他のキノリン誘導体の動物実験結果から、キノリン骨格の上に組み立てられた数種の化合物は、中枢神経系に特殊な破壊的親和性をもっており、その作用は側鎖の種類と配置の如何によって異るという結論に到達した。この毒作用のうちのあるものは、脳幹核それも主として知覚神経と運動神経に選択的に局在性壊死を起すためにあらわれるものである。

(4) A・C・レーケンらの報告。アメリカ熱帯医学雑誌二九巻(一九四九年)「ヒトにおけるパマキン中毒の一例の臨床病理学的研究」

パマキン(プラズモキン)が一九二六年にマラリアの治療に取り入れられて以来、その毒性について多くの報告がある。パマキン中毒は初期に呼吸速度が遅くなり、呼吸困難と徐脈が、後期にはメトヘモクロビン血症とチアノーゼがおこることが特徴であった。

誤まって〇・四gのパマキンを三回合計一・二g(一日の治療に用する量の二〇倍)を投与された患者が、次の日までにチアノーゼにおちいり、不安感、腹、背、胸、あごの痛みを訴え、後に頭の昏悦、発声の困難、呼吸困難、口蓋の麻痺を起こし七日目に死亡した。

メトヘモクロビン血症と血色素尿症がパマキン摂取後すぐに起った。病理解剖の立場からは、basis pontisの小さな領域内に活発な変化をともなった虚血壊死と淡蒼球のextraocular神経前庭核と大脳皮質の中程度の変性がおこった。顕著な内臓の病変は小葉の肺炎からなっていた。

(5) I・G・シュミットらの報告。神経病理と実験神経雑誌昭和二六年(一九五一年)七月「8アミノキノリン系化合物の神経毒性・ペンタキン、イソペンタキン、プリマキン及びパマキンの赤毛ザルの中枢神経系への作用」

8アミノキリン誘導体であるペンタキン、イソペンタキン、プリマキンの中枢神経系に及ぼす作用を調べるため比較対照薬としてパマキンをえらび、これら四種の薬物をサルに投与したところ、四種の薬物はいずれも背側運動神経核や視索上核、旁室核あるいはマイネルト交連に関連した細胞の障害を起こした。

(6) H・E・ホップスらの報告。

ランセット昭和三三年(一九五八年)六月七日号「クロロキン治療における眼障害」

クロロキンを投与した紅斑性狼瘡等の患者に、角膜上皮に特徴的な沈着を有する視力障害が現われた。

ランセット昭和三四年(一九五九年)一〇月三日号「クロロキン療法による網膜症」

クロロキンを投与された患者三例に明らかに不可逆的な視力障害が現われた。これらに共通する重要な眼障害の所見は、黄斑部位の病変、毛細血管の狭小化、暗点視野、視野欠損であった。これらにみられる網膜変化はクロロキンの投与に起因するものと考えられ、重症度合も使用量と関係があるように思われる。

(五) キノホルムの吸収に関する報告、文献

キノホルムが体内に吸収されるからといってそのことから直ちに危険だとはいえず、キノホルムの吸収に関する情報から直ちに神経障害を予測することはできないが他の神経障害に関する情報と相伴うことにより、神経障害発現の予測を補う資料となる。

キノホルムの吸収に関する報告、文献として次のものがある。

(1) N・A・デービッドらの報告。

アメリカ医師会雑誌昭和八年(一九三三年)五月二七日号「ヨードクロルハイドロキシキノリン(ヴィオフォルムN・N・R)によるアメーバー症の治療」

キノホルムは胃腸管からいくらか吸収され一部尿中に排泄される。

「ヴィオフォルムとディオドキン・動物での毒性とヒトでのヨード吸収作用」昭和一六年(一九四一年)

九人の医科大生に一〇日間ヴィオフォルムを投与したところ血中ヨードが増加するのが確認された。

「アメリカ熱帯医学雑誌昭和一九年(一九四四年)「ヨードクロルハイドロキシキノリンとジョードハイドロキシキノリン・動物での毒性とヒトでの吸収」

ヒトでヴィオフォルムを数日間服用したあと尿中にヨードの排泄がみられるので、ヴィオフォルムのヨード分子の吸収と排泄が行われていることがわかる。

(2) A・A・ナイト、J・ミラーの報告。「アナヨジン、キニオフォン、ジョードキン及びヴィオフォルムのヒトにおけるヨウ素吸収の比較研究」昭和二四年(一九四九年)

右薬剤の吸収を経口投与後のヨウ素の血中濃度の定量により間接的に調べたところ、いずれの薬剤もある程度吸収されることが確認された。

(3) W・T・ハスキンス

「放射性ヨウ素によって測定されたウサギでのジョードキン、ヴィオフォルム及びキニオフォンの生理的特質」昭和二五年(一九五〇年)

放射性ヨウ素を使ってキノホルムの吸収、分布、排泄を測定したところ、キノホルムは分解されることなく体内に吸収され尿中に排泄される。

「ウサギにおけるヴィオフォルム及びジョードキンの尿中排泄」昭和二八年(一九五三年)

ハロゲン化誘導体定量のための分光測定法を用いてヴィオフォルムを経口投与したウサギの尿を分析した結果キノホルムが抽出された。

3 結論

以上認定の事実に照らせば、被告会社らは、責任判断基準時においてキノホルムの内用によりヒトに神経障害が発現することを予見することが可能であったというべきである。

即ち、キノホルムの経口投与後にヒトに神経障害が発現したとのグラヴィッツやバロスの報告、水間らの報告が存在している。ただグラヴィッツはその報告の中で神経障害が「他の原因に帰することができる偶然の一致で……」と述べているが、同報告では他の原因が明らかにされていないから、キノホルムに一応の疑いをもってしかるべきであったし、更にバロスは右グラヴィッツの見解を批判し、神経障害がキノホルムによるものであることを強く示唆している。又キノホルムが動物に神経障害を起すとのスイス・チバ社の一連の実験報告も存在している。キノホルムの外用によるテルングの報告やホーグの試験管内での実験報告はキノホルムが体内に吸収された場合には神経障害を起すことを強く推測させるものであるが、デービッド以下のキノホルムの吸収に関する報告が存在し両者が相伴ってキノホルムの内用による神経障害の発現を推測させるものと考えられる。更にさかのぼってキノホルムの合成の過程をみた場合、キノホルムは、キノリンから8ハイドロキシキノリン、更にそのハロゲン化へとその殺菌作用をより強く高める過程で開発されたものであり、キノリン、8ハイドロキシキノリンの神経毒性が明らかになっていたことからそのハロゲン化されたキノホルムに神経毒性が存在することを疑ってしかるべきであったといえる。アミノキノリン類の神経毒性報告もキノホルムによる神経障害発現の予見を補うものといわねばならない。

4 被告らの主張に対する判断

(一) 報告、文献の入手が不可能との主張について

被告らは、全ての報告、文献を入手することは事実上不可能である旨主張する。前記2の報告、文献の検討においての認定のとおり報告、文献の多くは外国におけるものであるが、右認定に供した各証拠によれば、グラヴィッツやバロスの報告を掲載したラ・サマナ・メディカは昭和一二年六月一五日に東北帝国大学図書館に備え付けられたこと、又その他の各報告を掲載した雑誌等も我が国の大学の図書館その他の図書館に備え付けられていたことが認められ、これらの文献が入手不可能だったとは考えられない。

(二) キノホルムが安全な医薬品として繁用されていたとの主張について

後記本節第五、一、2認定のとおり、キノホルムの内用薬としての治験報告が多数存在し、これらの中には安全性を確認するものもあり、又我が国では古くは昭和四年より使用されている。しかし本件全証拠によるも昭和三〇年代前半までの間キノホルムが内用薬として繁用されていたかは疑問である。又前記2で認定したとおり、キノホルムの神経障害発現の危険性についての報告、文献も存在しており、これを無視してよいとはいえず、治験報告の存在や使用実績をもって安全確認義務を免れうるものではない。

第五結果回避義務違反

一 キノホルムの有用性

1 有用性の判断基準

前記のとおり医薬品が、「両刃の剣」的性格を有し本来的に害作用の危険性を有しているものであることに照らせば、その価値、即ち有用性は、その効果即ち有効性と安全性とを比較衡量して決められるべきこととなる。

ところで《証拠省略》によれば、医薬品の副作用の評価に際し考慮すべき点として、

(1) 副作用の重篤度。副作用の症状の重いものは避けるべきであり、死に至るような副作用を有しているものは価値がない。

(2) 可逆性。軽度な副作用でも治療方法がなく不可逆的なものは避けるべきである。

(3) 頻度。比較的重篤な副作用であっても、きわめて稀にしか起らない副作用なら、場合によってはその医薬品は利用価値がある。

(4) 原病の種類、重さとの関係。生命の危険の大きい病気の場合、比較的重大な副作用のある医薬品の使用もある程度是認される。

(5) 効果とのバランス。効果の方が副作用よりも大きいというものでなければ、医薬品としての意味がない。

(6) 代用薬の有無。他に代わるべき医薬品がない場合は、副作用があっても用いなければならないことがある。

があげられていることが認められる。したがって、これらの点を考慮して有用性を判断すべきものと考えられる。

2 キノホルムの治験例等

前記認定のとおり、キノホルムは、当初デービッドらの研究により主としてアメーバー症の治療薬として内用が始められたものである。ところで《証拠省略》によれば、その後昭和三八年(一九六三年)までの間、外国におけるキノホルムの内用による治験報告は約四〇編を下らないところ、その多くはアメーバー症についてのものであるが、その他には細菌性赤痢、トリコモナス症、ランベル鞭毛虫症、結核性下痢、腸性末端皮膚炎、結腸炎、その他の胃腸障害についてのものもあることが認められ、又《証拠省略》によれば、日本(当時の満洲、台湾、南洋諸島を含む)におけるキノホルムの内用による治験報告は、前記梶川の報告以後昭和三八年(一九六三年)までの間約四〇編あるが、アメーバー症ないしはアメーバー赤痢についてが最も多く、その他腸結核、結核性下痢、細菌性赤痢、赤痢、腸カタル、腸炎、下痢、その他の胃腸障害、腸性末端皮膚炎等があることが認められる。又前記各証拠によれば、腸性末端皮膚炎、アメーバー赤痢以外の胃腸疾患に対しては止瀉剤として使用されていることが認められる。

3 アメーバー赤痢

《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。

アメーバー赤痢は、根足虫に属する原虫の一種である赤痢アメーバーによって起る大腸炎で、熱帯及び亜熱帯地方に流行し、日本本土にも散在的に発生する。多くは突然に下痢、腹痛、しぶりばらをもって始まり、腹痛、嘔吐、腹部不快感などが数日間持続したのち糞便は水様かつ粘液便となる。一般に全身的症状は軽いが往々にして頻回の下痢のため衰弱に陥り、はなはだしくやつれることもあり、あるいは大血管が侵蝕されて腸出血を起こし、又は混合伝染のため腸に壊疽性変化をきたして腐敗性悪臭を放ち、壊疽組織片を含有する便を排出し、衰弱のため死亡することもある。又慢性アメーバー赤痢に移行する傾向が大きく、再発が相次いで起る。適当な治療を加えない場合には貧血して蒼白となり衰弱するとともに、しばしば高度の全身性浮腫を起こして数ヶ月後に死の転帰をとる、そこまでいかないにしても作業能力ははなはだしく阻害される。合併症として肝膿瘍がアメーバー赤痢患者の約三分の一にみられる。圧痛、疼痛があり、時には黄疸をきたす。悪寒戦慄、間歇熱をきたす。適当な時期に切開しなければ腹腔、右側胸膜腔などに破け、又往々にして肺膿瘍、脳膿瘍を誘発することもある。

アメーバー赤痢の治療薬としては、キノホルムを含むハロゲン化8ハイドロキシキノリンの他、エメチン、カルバルソン等の有機ヒ素化合物、抗生物質等があったが、それらは、副作用が強かったり又有効性に問題があったり等し、キノホルムを含むハロゲン化8ハイドロキシキノリンが最も有効なものとされていた。

4 腸性末端皮膚炎

《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。

腸性末端皮膚炎は、主に離乳期の幼児に発生する疾患で、最初は、水疱、膿疱が主に開口部周辺、突出部、四肢末端に対称性に発生し、約一週間で乾燥やがて落葉状に落屑し、周辺に環状に鱗屑が附着した境界鮮明な紅斑となり、しばしば中央にも鱗屑が生じて乾癬様となる。又爪の変形、頭髪、眉毛、睫毛の完全脱毛等の附属器病変、食欲不振、嘔吐、腹痛、下痢等の胃腸障害を起し、一般に身体の発育が阻害される。当初は効果的な治療方法がなく、多くは数ヶ月ないし数年で死亡した。しかし昭和二八年(一九五三年)にジョードキンが、次いでキノホルムがその治療に効果があることが発見され、それにより長期間の生存が可能となっている。

5 止瀉剤

キノホルムが止瀉剤として使用されていたことは前記認定のとおりであるが、通常下痢はそれ自体それほど重篤なものでなく、スモンと比較した場合スモンがはるかに重篤であることは明らかであり、又《証拠省略》によれば、止瀉剤、腸内殺菌剤としてはキノホルム以外に多数の医薬品が存在していたことが認められる。

6 結論

以上認定の事実にキノホルムの神経障害発現の危険性を考慮すれば、キノホルムは、適応症をアメーバー赤痢及び腸性末端皮膚炎に限定した範囲でのみ内用薬としての治療上の価値を認めることができ、それ以外については有用性を肯認しがたいというべきである。

二 被告会社らの結果回避のためとるべき措置

右範囲内での治療上の価値を考慮すると、被告会社らは、責任判断基準時以降、キノホルムあるいはキノホルム剤を製造、販売するについては次のとおりの措置をとるべきであった。

即ち、能書への記載あるいはその訂正、医師その他の関係者に対し書面、口頭その他の方法により、適応症をアメーバー赤痢、腸性末端皮膚炎(なお被告ロチバ、同武田、同田辺はその製造、販売にかかるキノホルム剤について腸性末端皮膚炎を適応症としていなかったので、同被告ら製造販売のキノホルム剤については同疾患は特に問題とならない。)のみに限定して、他の疾患に使用しないこと、前記バロスら外の神経障害に関する副作用報告を公表し、神経障害発現の危険性があること、神経障害の徴候が現われた場合直ちに投薬を中止するなど適切な措置をとるよう指示警告をすべきであった。

三 被告会社らの注意義務違反

1 被告会社らの製造販売の実情

(一) 被告チバ、同武田

《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。

被告チバ、同武田は、責任判断基準時以降、キノホルム剤の能書、宣伝用パンフレットに、

(1) エンテロヴィオフォルムについては、適応症を下痢、腸結核による下痢、醗酵性腐敗性消化不良、胃腸炎、小腸大腸炎、大腸炎、細菌性赤痢、アメーバー赤痢、熱帯及び亜熱帯地方に頻発する胃腸障害と、又長期に及ぶ治療の後でも極めて良好な耐容性があるため、薬物過敏症の患者、小児及び高令者にも使用できる特長を有していると記載し、

(2) メキサホルム及び強力メキサホルムについては、適応症を急性非特異性下痢、慢性再発性下痢、夏期下痢、胃腸炎、小腸大腸炎、大腸炎、細菌性腸疾患、腸炎、アメーバー症と、メキサホルムでは忍容性の高い薬剤で、小児に対しても使用できる、強力メキサホルムでは稀に食欲不振、胃部不快感などの胃症状が報告されているが、いずれも一過性であり、投与中止を要する場合はほとんどないと記載し、

これらキノホルム剤の製造販売を行っていた。

(二) 被告田辺

《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。

被告田辺は、責任判断基準時以降、

(1) エマホルムにつき、能書、宣伝用パンフレット等に、内用の適応性を細菌性赤痢、疫痢、急性及び慢性腸カタル、大腸カタル、急性及び慢性下痢、夏期下痢、神経性下痢、頑固な慢性下痢、腸内異常醗酵、急性及び慢性アメーバー赤痢と、副作用はほとんどみられないと記載し、

(2) キノホルム原末については、適応症を特に限定することなく、又神経障害発現の危険性についての指示、警告をすることなく

それぞれ製造、販売していた。

(三) 弁論の全趣旨によれば、被告保栄、同丸石、同岩城は、責任判断基準時以降、適応症を特に限定することなく、又神経障害発現の危険性についての指示、警告をすることなくキノホルムを製造、販売していたことが認められる。

2 当裁判所の判断

右認定の事実によれば、被告チバ、同武田、同田辺は、適応症としてアメーバー赤痢の外に多数の疾患を掲げ、かつ安全性を強調してキノホルム剤を製造、販売してきたのであり、又被告田辺、同保栄、同丸石、同岩城、適応症をアメーバー赤痢、腸性末端皮膚炎に限定することなく、かつ神経障害発現の危険性について何らの指示、警告もせずにキノホルムを製造、販売してきたのであり、これら各行為は結果回避義務に違反した行為であることは明らかである。

第六結論

以上を総合すると、被告会社らは、キノホルムあるいはキノホルム剤を製造、販売するにあたり、その課せられた安全性を確保すべき注意義務を怠ったものであり、過失があったものといわねばならない。そして原告らないしはその被相続人である患者らは、アメーバー赤痢、腸性末端皮膚炎以外の疾患の治療のためキノホルムあるいはキノホルム剤の投与を受けスモンに罹患したものであることは後記損害の章で認定するとおりである。したがって被告会社らは、関係する原告らに対し不法行為に基く損害の賠償責任を免れ得ない。

第二節被告国の責任

第一被告国の行為

次の事実は当事者間に争いがない。

一 被告国は、公衆衛生の向上及び増進を図るため、厚生大臣をして薬事行政を担当させている。

二 厚生大臣は、

1 昭和二六年三月、第六改正日本薬局方を公布してこれにキノホルムを収載し、次いで昭和三六年四月、第七改正日本薬局方を公布し、これにキノホルムを収載し、昭和四六年四月までキノホルムを日本薬局方に収載し続け、

2 別紙キノホルム剤製造許可等一覧表記載のとおり、被告チバ、同田辺らのキノホルム剤の製造又は輸入にかかる許可又は承認申請に対し、それぞれ許可又は承認をし、以後昭和四五年九月まで何らの措置もとらなかった。

第二反射的利益論について

一 被告国の主張は要するに次のとおりである。

薬事法の立法趣旨及び目的は、適正な医薬品の供給を通じて「公衆衛生の向上及び増進をはかる」という公衆の利益を保護することにあり、副作用のない医薬品の供給を受け得るという特定の個人の利益の保護を目的としたものではない。したがって厚生大臣の薬事法上の行政処分によって特定の個人が副作用のない医薬品の供給を受け得たとしてもそれは単なる反射的利益にすぎないから、医薬品の副作用によって被害を受けたとしても、それにより特定の個人が国に損害賠償を請求することはできない。

二 ところで元来反射的利益の問題は、行政処分の取消訴訟その他の抗告訴訟において原告適格の有無を判断する基準として論じられてきたものであり、そこでは、行政処分が公益的性格を有することから、いかなる範囲の者に当該処分に対する不服申立をなす資格を与えるのが妥当であるかの問題としてとらえられてきたものである。他方本件では、原告らは厚生大臣のした行政処分が違法であり、それにより身体を侵害され損害を受けたとして国家賠償法一条一項により損害の賠償を求めているのであるから、右反射的利益の問題が直ちに本件に結びつくものではない。

ところで厚生大臣の行う医薬品の製造(輸入)許可、承認の直接の相手方が製薬企業であり、原告らを含め個々の国民はその意味において第三者であることは実定法上明らかであり、そして薬事法の立法趣旨及び目的が被告国の主張どおりとすれば、厚生大臣が行う医薬品の製造(輸入)許可、承認等に関する処分により個々の個人が受ける利益は反射的利益であるとする被告国の主張も理解し得ないではない。しかし国家賠償法上、公務員が職務を行うにつき故意又は過失により違法に他人に損害を加えた場合、国はその損害を賠償すべきものとされており、したがって本件のような場合においても、行政処分が違法であり、右違法な行政処分と損害との間に相当因果関係が認められさえすれば、国はその損害を賠償すべきものと解するのが相当であって、損害を蒙った者が当該行政処分の相手方であるか又は第三者であるかは問題とされるべき点ではない。

よってこの点についての被告国の主張は失当である。

第三注意義務

一 注意義務の根拠

1 我が国の薬事法制は、明治以来各個別的な法令によっていたが、昭和一八年に、それまでの売薬法、薬品営業竝薬品取扱規則その他の法令を整理、統合し、昭和一八年三月一二日、法律第四八号をもって薬事法(以下旧々薬事法という)が公布された。そして戦後、日本国憲法の施行に伴い従来の一切の法令が再検討され、旧々薬事法も改正されることとなり、昭和二三年七月二九日、法律第一九七号により薬事法(以下旧薬事法という)が公布された。その後、旧薬事法について数次の部分的改正がなされた後、全面改正がなされ昭和三五年八月一〇日法律第一四五号により現行の薬事法が公布され現在に至っている。

ところで責任判断基準時当時施行されていたのは現行薬事法であるので、以下現行薬事法を中心に必要な限度で旧薬事法をも加え検討することとする。

2 旧薬事法では、医薬品の製造業を営もうとする者は、製造所ごとに厚生大臣の登録を受けなければならず(二六条一項)、右製造業者が公定書に収められていない医薬品を製造しようとするときは、品目ごとに厚生大臣の許可を受けなければならなかったが(同条二項)、他方公定書に収められている医薬品を製造するについては許可は必要とされていなかった。そして厚生大臣が新医薬品その他公定書に収められていない医薬品の製造品目を許可しようとするときは、あらかじめ薬事委員会に意見を求め、その建議に基づいてこれをしなければならないとされていた(二六条四項)。しかし《証拠省略》によれば、薬事委員会は、昭和二三年一二月二七日「公定書外医薬品製造に関する包括建議」を定め、一定の医薬品については、あらかじめ薬事委員会が包括的に建議し、その範囲内では、厚生大臣は、前記薬事委員会の建議を個々に求めることなく許可を与えるとの運用がなされてきたことが認められる。その後薬事委員会は昭和二四年法律第一五四号によりその名称が薬事審議会と改められ、昭和二六年法律第一七四号により厚生大臣の諮問機関となり、同時に薬事法二六条四項の規定は削除された。

なお右医薬品の製造に関する規定は、医薬品の輸入販売業に準用されていた(二八条)。

又公定書とは、薬局方、医薬品集又はこれらの追補をいい(二条八項)、当初厚生大臣は、医薬品の強度、品質及び純度の適正を図るため、薬事委員会の提出する原案に基いて日本薬局方、国民医薬品集又はこれらの追補を発行し公布しなければならないとされていたが、前記昭和二六年の改正後は、「薬事審議会の意見を聞いて」これを発行し公布しなければならないと改められ(三〇条一項)、厚生大臣は日本薬局方の改訂について少くとも一〇年ごとに、その追補について少くとも二年半ごとに薬事審議会の意見を聞かなければならないと定められた(同条二項)。

現行薬事法は、医薬品等に関する事項を規制し、その適正をはかることを目的とする旨定めている(一条)。

医薬品を業として製造しようとする者は製造所ごとに厚生大臣の許可を受けなければならないとされている(一二条)。そして日本薬局方に収められている医薬品を製造しようとする場合は、右医薬品製造業の許可を受ければ足りるが、日本薬局方に収められていない医薬品を製造しようとする者が右許可を受けるには、品目ごとに厚生大臣の承認を受けることを必要とされている(一三条一項、一四条)。右製造承認は、当該医薬品を製造しようとする者の申請により、その名称、成分、分量、用法、用量、効能、効果等を審査して与えることとされている(一四条一項)。又右製造承認に際して厚生大臣が必要と認めたときは、医薬品等若しくはこれらの原料の見本品、基礎実験資料、臨床成績その他の参考資料を提出しなければならない(同法施行規則二〇条)。

なお又医薬品を業として輸入しようとする者は、営業所ごとに厚生大臣の許可を受けなければならないとされ(二二条)、右製造に関する規定は医薬品の輸入販売業に準用されている(二三条)。

又旧薬事法の規定により医薬品の製造又は輸入の許可を受けている者は、当該品目につき薬事法の規定による承認を受けたものとみなされている(附則五条)。

一方国民医薬品集は日本薬局方に統合され、厚生大臣は、医薬品の性状及び品質の適正をはかるため、中央薬事審議会の意見を聞いて、日本薬局方を定め、これを公示する旨定め(四一条一項)、厚生大臣は、少くとも一〇年ごとに日本薬局方の全面にわたって中央薬事審議会の検討が行われるように、その改定について中央薬事審議会に諮問しなければならないものと定められた(同条三項)。

又旧薬事法により発行され公布されている日本薬局方及び国民医薬品集はそれぞれ薬事法による日本薬局方とみなされた(附則八条)。

ところで薬事法一四条では製造の「承認」との語を用いているが、これは旧薬事法三六条三項の品目ごとの「許可」が品目ごとの「承認」と製造業の許可との両方の性格を併せ持っていたのに対し、薬事法ではこれを明確に分離して規定したことによるものであり、薬事法一四条の承認は、同法一二条の業態許可の前提要件とされているから、旧薬事法の許可とその性格を異にするものではない。

そして医薬品の製造、輸入、販売等につき、日本薬局方に収められている医薬品については、その性状又は品質が日本薬局方で定める基準に適合しないもの、又製造等の承認を受けた医薬品については、その成分又は分量がその承認の内容と異るものは製造、販売等をしてはならないとしている(五六条)。又その他医薬品の製造、輸入、販売等に関し種々の規制をなしている。

3 憲法は、その前文で「……そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法はかかる原理に基くものである」旨宣言し、「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追及に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」(憲法一三条)と定め、「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。」(同法二五条)と定めている。

これらの定めをふまえて考えるならば、国民の生命、健康を保持することは、国政の最大の理念であり国の責務であり、そのため国は、公衆衛生の向上及び増進に努めるべき責務を負っているといわねばならない。そして医薬品はその性質上、人の生命身体に直接的にかかわりあいをもっていることから、薬事に関する基本法である薬事法も右理念のもとに解釈運用されねばならず、又薬事行政も右理念にしたがって適切に行われなければならない。

4(一) 医薬品は利潤の追求を目的とする私企業によって製造され流通していることから、その安全性が軽視される傾向にあることは否めない。他方前節第二、一で述べたとおり、これを使用する一般国民は医薬品の安全性を判定する能力を欠き、全く無防備な状態におかれている。したがって医薬品の安全性の確保を私企業のみに委ねておくことは多くの危険性を伴うものであり、国が国民に代ってこれに関与することが必要となり、他面このことは前記のとおり無防備な状態におかれている国民の側からみれば国に対する要求でもある。

(二) 医薬品特に合成化学医薬品が本来的に生体にとって異物であり、有用な作用を有する反面有害な作用をも伴う危険性を内包していることは前記のとおりである。したがって医薬品がその価値を有するため即ち有用性を有するためには、単に有効性のみでなく安全性を考慮しなければならず、安全性が確保されてこそ初めて適正な医薬品といいうるのである。そして薬事法が医薬品の適正をはかることを目的としていることは前記のとおりであるから、このことはとりもなおさず医薬品の安全性をはかることをもその一つの目的としているものといわねばならない。そしてこのように解することにより、前記憲法の理念にしたがい公衆衛生の向上及び増進がはかられることとなる。

(三) 以上のような見地から、国は薬事法を制定し、医薬品についての規制を行っているものであり、その目的とするところは、医薬品の有効性と安全性即ち有用性を確保し、それにより国民の生命、健康を保持することにあるといわねばならない。

5 《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。

(一) 公定書(前記のとおり現行薬事法では日本薬局方に統合されたので、以下「局方」ということもある)は、医療に関する医薬品について、その強度、品質、純度、貯法等を定めたもので、国家が制定し、発行公布した基準書である。

(二) そして局方制定の目的としては、①純良な医薬品を供給して病者の安全を図る、②精良な医薬品を規定して時代に即応したものを収録し、その基準を示すこと、局方収載品は、純良なもので一般に治療効果が充分に認められ頻用されているものである、③病人の金銭上の負担を軽減すること、④薬剤師または医師等の専門家の便をはかること、⑤行政上の立場から不良医薬品の取締の基準とする等が挙げられており、又局方制定の方針の一つとして、その医薬品を医療上に使用した場合、絶体に安心できる最低の基準を保障する線を標準として、なるだけ精良なものを、安価に供給する目的に充分応じられるように考慮して制定するとされている。

(三) 又局方には従来から極量が記載されていたが、第六改正日本薬局方(昭和二六年三月一日公布)からは常用量も記載されるようになった。そして第七改正日本薬局方(昭和三六年四月一日公布)第一部通則には、「常用量とは、医薬品が普通に用いられる場合に治療効果を期待し得る量で、別に規定するもののほかは大人に対する経口投与量を示す。この量は、使用者の参考に供したものである。常用量の項で「用時、医師が定める」と記載する場合は、用時に医師、歯科医師、または獣医師がその用量を定めることを意味する。」と、「極量とは、通例、その量をこえて用いない大人に対する量で、別に規定するもののほか、経口投与量を示す。医師または歯科医師がその量をこえて処方する場合には、処方せん中、医薬品分量に注意標!を明記しなければならない」と定めている。

ところで局方収載医薬品の製造について厚生大臣の承認を必要としないのは、その時々の薬学、医学等の最高の学問的水準によりその性状、品質が定められ、有用性が認められているとされているためであり、他方局方外医薬品の製造について厚生大臣の承認が必要とされているのは、右のように性状、品質が定められておらず有用性が認められていないため、これらの点につき審査する必要があるからである。これらのことは被告国も昭和五三年一月二六日付準備書面で述べているところである。

又前記のとおり、製造承認に際しては、その名称、成分、分量、用法、用量、効能、効果等を審査することとされており、厚生大臣が必要とみとめたときは、医薬品若しくはこれらの見本品、基礎実験資料、臨床成績、その他の参考資料を提出しなければならないとしており、これらにより厚生大臣は、その有用性について審査することとなる。

このように薬事法は、公定書への収載と製造承認とによって医薬品の安全性をはかろうとしているものである。

6 以上のとおり、厚生大臣は、薬事法上、医薬品の安全性を確保すべき注意義務を負っているものといわねばならない。

7 なお被告国は、薬事法の立法趣旨及び目的は、医薬品の性状及び品質を確保し、これに違反した不良医薬品を取締ることにあり、又薬事法は医薬品の製造承認にあたっての審査基準手続及び審査機関並びに追跡調査制度及び承認の撤回等の安全性確保のための具体的規定がないから、国に対し医薬品の安全確保の法的義務を課したものとはいえない旨主張する。

たしかに薬事法が不良医薬品に対する取締法規的性格を有していることは被告国主張のとおりである。しかし、だからといってそれのみを目的としているものではない。取締の客体即ち製薬企業等との関係において規制していることから、一般国民が法の保護の対象外に置かれるというものではなく、したがって薬事法が取締法規の性格を有していることから直ちに国の安全性確保の義務が存しないといいうる論理的必然性はない。医薬品の性質上、その安全性は、製薬企業に対する規制を行うことによって確保されるものと考えられ、それにより、前記国民の生命、健康の保持という目的が達成されるのであり、この点から見れば薬事法が取締法規的性格を有することは右目的達成のための手段とも考えられる。したがって、この点についての被告国の主張は失当である。

又公定書外医薬品の製造承認に際しての審査基準等の規定、承認の撤回等の規定を欠いていることも明らかである。この点については、製造(輸入)承認の審査にあたっては、医薬品の安全性確保の目的にしたがい、有効性と安全性との比較衡量のうえ適切に有用性を判定すべく、又それは専門的技術的判断を要する自由裁量処分であることから明文による何らの制限を加えることなく、それぞれの事情に応じた審査を可能にしているものと考えられる。そしてこのように製造(輸入)承認が自由裁量処分であれば、その後において当該医薬品の有用性に疑問が生じた場合、明文がなくとも厚生大臣の自由裁量により製造承認の取消(撤回)をなすことも可能であると解される。

二 注意義務の内容

1 前記のとおり薬事法は、公定書への収載及び製造(輸入)承認を通して医薬品の安全性を確保しようとしているのであるから、厚生大臣はまず右の公定書への収載、製造承認の時点で安全性確保のための注意義務をつくさねばならない。

又、公定書への収載、製造承認時における注意義務の履行はその時点における最高の学問的水準及びそれまでに集積された各種知見を基になされるものであり、それをもって医薬品の安全性の確保が完全であるとはいえない。科学は常に進歩しており、又時の経過と共に副作用その他の知見もさらに集積されるのであり、ことに公定書への収載、製造承認後当該医薬品は臨床的に使用されることになるであろうから、それまでに得られなかった副作用その他の知見がより豊かになってくるものと考えられる。そしてこれらを基に再検討していくことにより医薬品の安全性はより高められていくものといわねばならない。したがって厚生大臣は、公定書への収載、製造承認後においても、常に当該医薬品の安全性を確保すべき注意義務を負っているものといえる。

2 予見義務

右各時点において、厚生大臣は、当該医薬品について、人の生命、身体に及ぼす影響を調査、研究し、その安全性を確認すべきである。

即ち当該医薬品及びその類縁化合物についての各種文献の収集、調査や動物実験等を自ら行い、又申請者をして行わせ安全性について審査を十分になすべきである。

3 結果回避義務

右調査、研究の結果、当該医薬品について副作用の存在あるいはその存在について合理的な疑いが生じた場合、その副作用による被害の発生を防止するため、当該医薬品の有用性に照らし、それに応じた次のような措置をとるべきである。

有用性が肯認されずあるいはそれに疑問がある場合は、公定書への収載、又は製造承認をなすべきでなく、有用性が肯認され、公定書に収載するとしても、適応症、用法、用量等を制限し、副作用を明らかにして副作用についての指示、警告等一般利用者にこれを周知徹底させる方法を講じて収載し、又製造承認をするとしても適応症、用法、用量を制限し、又製薬企業をして一般利用者への副作用の公表、副作用についての指示、警告等をさせる方法を確保するなどして製造承認をすべきである。又公定書への収載、製造承認の後であれば、公定書からの削除、製造承認の取消(撤回)、適応症、用法、用量の制限(製造承認のなされた医薬品については一部の取消にあたると考えられる)、製造販売の中止あるいは製品の回収をさせ、一般使用者に対し、副作用を公表し、指示、警告する等の措置をとるべきである。

三 医師の介在と注意義務

前節第二、六の被告会社らの責任に関連して述べたのと同様、医師が介在したことにより責任を免れ得るためには、副作用の発生防止のための指示警告等適切な措置を行っていることを要するところ、被告国がこのような措置をとっていないことは後記本節第五、二記載のとおりであるから、この点についての被告国の主張は失当である。

第四予見可能性

前節で述べたと同様、被告国についても被告会社らと同様に昭和三八年三月一五日当時を基準にして、右基準時において厚生大臣がキノホルムによる神経障害の発生を予見し得たかを検討することとなる。

そして前節第四で認定した事実によれば、厚生大臣は、右責任判断基準時において、キノホルムの内用により人に神経障害が発現することを予見することが可能であったというべきである。

又、文献収集が不可能とか、キノホルムが繁用されていた等の主張についても、前節で述べたと同様の理由により失当である。

第五結果回避義務違反

一 前節第五、一で述べたように、キノホルムは適応症としてアメーバー赤痢及び腸性末端皮膚炎に限定した範囲で有用性を有していた。

二 厚生大臣のとるべき措置

厚生大臣が昭和三六年四月、第七改正日本薬局方にキノホルムを収載し、責任判断基準時までに別紙キノホルム剤製造許可一覧表1、2、4乃至7記載のキノホルム剤について製造(輸入)許可又は承認をし、その後同表3、8、9記載のキノホルム剤につき輸入承認、製造品目追加許可をしたことは前記のとおりである。

そこで厚生大臣としては、責任判断基準時以降、医師その他の利用者らに対しキノホルムの適応症が前記二疾患に限定されること及び神経障害発現の危険性があり使用には注意するよう指示、警告して周知徹底させ、公定書にもその旨記載し、又既に製造(輸入)許可、承認済のキノホルム剤についてはその適応症をアメーバー赤痢に限定し(承認の一部取消)(なお腸性末端皮膚炎については製造許可承認に際して適応症として挙げられていない)、その後の製造(輸入)承認にあたっては適応症をアメーバー赤痢に限定してこれをなすべきであった。

三 厚生大臣の注意義務違反

1 厚生大臣の行為の内容

《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。

厚生大臣は、

(1) 第七改正日本薬局方にキノホルムを収載するに際し、適応症の限定、神経障害発現の危険性について何らの記載もしていなかったが、責任判断基準時以降も昭和四六年四月一日の第八改正日本薬局方の制定公示まで前記適応症の限定、神経障害発現の危険性について記載をせずに収載を続けた。

(2) 基準時以前に製造(輸入)の許可、承認をしたキノホルム剤については、アメーバー赤痢の外大腸炎、腸炎、大腸カタル、急性及び慢性下痢等多数の疾患を適応症とし、かつ神経障害発現の危険性についての指示、警告等に関する何らの措置もなさずに製造(輸入)の許可、承認をしていたが、基準時以降昭和四五年九月まで承認の一部取消による適応症の制限その他の何らの措置もとらなかった。

(3) 又基準時以降に製造(輸入)承認をしたキノホルム剤について、適応症をアメーバー赤痢に限定せず、その外大腸炎、腸炎、大腸カタル、急性及び慢性下痢等多数の疾患にも有効であるとしたうえ、神経障害発現の危険性についての指示、警告に関する何らの措置もせず製造(輸入)承認をした。

(4) 医師その他一般の利用者に対しても、適応症が前記二疾患に限定されること、神経障害発現の危険性があり使用上注意する必要がある等の指示、警告もしなかった。

2 当裁判所の判断

右認定の厚生大臣の行為(不作為も含め)は、前記二のとるべき措置にしたがったものではなく、結果回避義務に違反した行為であることは明らかである。

第六被告国の主張に対する判断

一 自由裁量論について

被告国は、厚生大臣が行う医薬品の製造許可、承認は、専門的、技術的見地から合理的な判断に基づき行われるもので、いわゆる自由裁量行為である旨主張するので、この点につき判断する。

医薬品の製造許可、承認は、その時の最高の学問的水準の下で、有効性と安全性とを比較衡量してその有用性が認められた場合になされるべきものと解される。したがってそこでは当然専門的、技術的、合目的的な判断を必要とするものであるから、自由裁量行為としての性格を有しているものと考えられる。しかし安全性の面についてみれば、それが国民の生命、身体にかかわりをもっていることから、その裁量の範囲は、極めて狭いものというべく、その裁量の範囲を逸脱した場合は直ちに違法となるものといわねばならない。

そして厚生大臣がキノホルム本来の有用性の範囲をはるかにこえた部分にまで有用性を認めたことは、医薬品の安全確保の点から社会観念上著しく妥当を欠いたものといわねばならず、右は裁量の範囲を逸脱した違法な行為というべきである。

二 その他の主張について

前記本節第五、二に述べた公定書への収載後又は製造(輸入)承認後に厚生大臣がとるべき措置は、被告主張の如き単なる行政指導ではないことはその行為の性質上明らかであり、又同所で述べたとおり厚生大臣に、それぞれの措置をなすべき法律上の作為義務があったのであり、これに違反した以上行政処分の不行使が違法となることは明らかである。したがって被告国の答弁及び主張の第七の2、3の主張は失当である。

第七結論

以上を総合すると、厚生大臣はキノホルムもしくはキノホルム剤の安全性の確保のために課せられた注意義務を怠ったものであり、過失があったものといわねばならない。又厚生大臣の行為(不作為も含む)は違法な職務行為といえる。そして原告らないしはその被相続人である患者らは右違法な職務行為によりスモンに罹患したものであるから、国は原告らに対し国家賠償法一条一項により損害を賠償すべき責任がある。

第五章損害

第一節個別的因果関係

後記個別的損害額の項で認定の各原告患者らの発病前の病状、キノホルムあるいはキノホルム剤の服用状況、スモン発病の時期、その症状その後の経過に鑑定の結果(その判定については、原告患者らについて臨床症状がスモン協の設定した「スモンの臨床診断指針」に合致し、かつ神経症状の発現前にキノホルムの服用があり、さらにキノホルム以外の原因及びスモン以外の疾患を除外するとしている。)を総合すると、原告患者らはいずれも後記個別的損害額の項にそれぞれ記載したキノホルム剤あるいはキノホルムを服用しスモンに罹患し、又病状が増悪し、ないしはその改善が阻害されたことが認められる。

第二節損害額の算定

第一  スモン被害の実情

《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。

一 原告患者らは、一般の胃腸障害等の治療のため、自らの選択によることなく医師の判断によりキノホルムないしはキノホルム剤の投与を受けスモンに罹患したものであり、原告患者らには全く落度はみられない。かえって自己の疾患の回復を期待し医師に対する信頼のもとでキノホルムないしはキノホルム剤を服用し、全く予期せぬ重篤なスモンに罹患したものであり、その悲痛な心情ははかりしれないものである。

二 又その症状をみるに、その程度の差はみられるにしても下肢のジンジンする、しびれ感、しめつけ感、冷感、足に物がくっついたような感じ等々の異常知覚に常時なやまされ、時には激痛におそわれている。そして下肢の麻痺、筋力低下等に右異常知覚が加わって歩行困難、歩行不能、起立不能等の運動障害があり、杖、車椅子、他人の介助等による移動や伝い歩き等によっており重症者では寝たきりの状態にある者もいる。さらに視力障害を伴った者もあり、それらの中には両眼失明に至っている者もいる。又下痢、腹痛、便秘等の腹部症状もいまだに続いている状態である。

三 その治療方法として、ステロイドホルモン、ATDニコチン酸、ビタミン類等の投与、高圧酸素療法、等の外リハビリテーション等が行われているが、運動障害に対し多少の効果がみられるのみであり、根本的な治療方法は未だ確立していない。

四 スモンに罹患したことにより、患者本人は、就学、結婚に又転職、失職更には将来における就業が困難ないしは不能等就業に著しい支障をきたしており、その治療、看護のためその家族も過重な労力をしいられ、かつ就学、結婚、就業、子女の養育等にも支障をきたし、治療費等多額の出費を余儀なくされ経済的にも多大の負担に苦しめられている。又一時期には、原因不明の奇病、伝染病などといわれ、家族全体が地域社会から疎外される等した。

第二  損害額算定の基準

以上認定の各事情に、後記個別的損害額の項で認定した原告患者らの症状の程度及び経過、入院状況、年令、職業、発症時の家族構成、鑑定による症度等の諸事情を総合し、本件口頭弁論終結時における弁護士費用を除く全損害を包括して算定することとし、弁護士費用を含む損害額は次の基準により算定することとする。

一 鑑定による症度区分に応じて基準額を定め、これに他の修正要素による加算を行う。

二 基準金額は次のとおりである。

症度Ⅲ度 金二五〇〇万円

症度Ⅱ度 金一七〇〇万円

症度Ⅰ度 金一〇〇〇万円

三 年令加算

いずれも発病時(神経症状発症時をいう、以下同じ)において、

1 三〇才未満の者は、それぞれの基準金額に二〇%を加算する。

2 三〇才以上五〇才未満の者は、それぞれの基準金額に一〇%を加算する。

四 超重症者加算

1 症度Ⅲ度の基準金額に三五%を加算する。

2 超重症者とは次に該当するものをいう。

(一) 失明者またはこれに準ずる者、

(二) 歩行不能者またはこれに準ずる者、

(三) 視力障害と歩行困難があいまってその症状の程度が(一)または(二)と同視される者、

五 一家の支柱についての加算

発病時において一家の支柱(有職者で扶養親族を有する者)であった者については、それぞれの基準金額に次のとおり加算する。

症度Ⅲ度につき三〇%

症度Ⅱ度につき二〇%

症度Ⅰ度につき一五%

六 主婦加算

発病時において乳幼児ないし義務教育就学中の子女を有した主婦(ただし「一家の支柱」に該当する者は除く)については、それぞれの基準金額に一〇%を加算する。

七 超重症者の介護費用

超重症者につき、本件口頭弁論終結時より各該当者についての平均余命の期間の次の区分にしたがった介護費用につき、ホフマン式計算方法にしたがい年五分の割合による中間利息を控除した金額を加算する。

1 前記四項の超重症者のうち同項2(一)(失明者またはこれに準ずる者)に該当し、かつ同項2(二)(歩行不能者またはこれに準ずる者)に該当する者について月額金一〇万円、

2 その他の超重症者については月額金六万円、

八 弁護士費用

以上二乃至七に基き算定した総額の七・五%とする。

第三  個別的損害額《省略》

第四  なお本件における事実関係のもとでは、前記個別的損害額の項に記載された関係被告らの当該原告らに対する損害賠償債務は不真正連帯債務の関係にあるものと解される。

第六章結び

以上により原告らの各関係被告に対する請求は、認容金額一覧表のとおり同表記載の原告に対応する認容金額欄記載の金額及び右各金員に対する本件口頭弁論終結の日である昭和五三年九月一九日から支払済まで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度で理由があり、その余の部分は失当である。

よって訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条、九三条を適用し、仮執行の宣言については各認容額の三分の二の限度で相当と認め、仮執行免脱の宣言は相当でないので付さないこととし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 荻田健治郎 裁判官 寺崎次郎 裁判官 井深泰夫)

〈以下省略〉

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